た一つの引出しがあったのね。それが杖で触れられて開くようになって、ああああ何とそれは鳴るでしょう。全く謙遜に、抑えかねるよろこびと献身で、小さいオルゴールは何と鳴るでしょう。よろこばしさの中にエゴイスティックなもののないかということを気にするくらい、へり下って。
 荷づくりしている手や膝は、おきまりどおりによごれて珍しい何一つもありませんが、このお古のテニスシャツの下にうっているのは、余り丈夫とも云えない女の心臓一つではないわ。
 あなたには、これらの感動が文学的[#「文学的」に傍点]すぎて聴えるでしょうか、もしかしたらそうね、少くとも「いく分そういうところもなくはないね」? そういうものよ。自然なものはいつも自分でそれを知っては居りません。チェホフが、若いゴーリキイに云ったようにね、君は風が囁く、とかくが、風は軽く吹いているだけですよ、と。そうよ、でもその風があんまり爽やかで活々としていれば、土方《ドカタ》だって御覧下さい、ああやって胸をあけ、皮膚にじかにそれをふれさせようといたします。

 九月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 九月十一日
 雨が降り足りないせいか、むしむしして来ました。きょうは、隣組の当番です。八百や魚やなどが、当番の一括購入となり、うちの組は十軒三十二人。十ヶの八百やザル、十ヶの魚入れなどを、もう一人の当番と各戸から集めました、朝九時頃。モンペはいて仔熊よろしくの姿で。
 それからフーと水のんでいたら、国男さんがお手紙もって来てくれました、自分のが待たれるから、いつも自分でとりにゆきます、出すのも自分よ。面白いものね。
 読んで、国男さんがフラフラしている間に、乞食の洗濯をいたしました、すごいでしょう。わたしはこの夏、お下りのテニスシャツ一つにスカート一つですごしてしまったのよ。従って寝る前に洗って朝干いたのをきるという乞食の洗濯でやって来たところ、この間うち雨がふった上に、きのうは急に運送やが来て成城へ行くというものだから、大バタバタで荷作りさわぎいたしました。前晩は咲のを十キロずつ七ヶも作ったのよ、国と二人で。ですから、あわれいとしきテニスシャツも黒くなってしまって、きょうはあたりまえのキモノ着て居ります、働く人に何と不便でしょう。靴というものがないから外出はこまるけれども、働いて、それ八百やだ、それ何だと、ことしは冬になっても工夫してこの西洋乞食でやるつもりです。ずっと楽で疲れませんもの。尻尾のきれた丸い牝鶏姿は十年昔でお廃しと思っていたら、又々そうなってしまったと苦笑いたします。動坂の家へ、小さい風呂敷へつつんで、浅青のスウェターもって行って、チョコンと着て、浅緑の毬のようになっていたのを思い出します。あの緑の色は大変きれいだと思って着ていたのよ、尤もすこしよごれては居りましたが。
 さて、洗濯ものを乾してから、あなたの冬の羽織を、今年も多賀ちゃんに縫って貰うため、綿を出して用意いたしました。真綿なんて、何と無いものになってしまったことでしょう、これは即ち、去年のを又今年も使いますということなの。ことしは、御平常着と、外出用と綿の入ったものが二通りいるでしょう、それとも、そとのは、袷でどてらの上にお重ねになりますか? 枚数の点などでどちらが便利でしょうね、明日でも伺いましょう。折角風邪をひかさないように掛布団は出来ましたから、着物も間に合わないというようなことのないようにしたいと思います。
 小包作り終り、やっとやっと、という気もちで此をかきはじめた次第です。書くこと、読むこと、あれこれのこと、わたしはどうしてもつい、あれこれ時間が惜しくて閉口の時があります。だもんだから、何となし仙人くさい状態[#「仙人くさい状態」に傍点]になってしまって、それを世帯もちの眼から見ると、アラ、でも仕方がございませんわ、外になさることがおありなんですものホヽヽヽヽということになるのね。それでもまだまだわたしには比例がとれません、オホホホ式であってなお此だけ時間がかかるなんて、ね。うちの隣組をあっちこっち歩いて、全くびっくりいたします、どこのうちも、どうしてああなめたようなんでしょう。そのために一生を費している人々には叶いっこないと、率直簡明に、うちのオホホホを承認いたします、情熱がちがいますから。こうかいていて、はた、と思い当ったことがあります。思い当って、これは大変と思ったの。あなたは、もしや万※[#濁点付き小書き片仮名カ、442−6]一にも、ユリが、文章を、だ、だ、で終らなくなったのだから、きっと家もちも何となしあかぬけたろうなどと思いちがいしてはいらっしゃらないわね、大丈夫ね。わたしは、その前に坐って眺めて眺めて、眺めあかざるものがあったら、迚も台所をテカリとさせるために、立ち上るというような芸当は出来ないのよ。すると、そのうちにいつしか風は埃を運んで、遺憾ながら草履なしでは歩くに難き板の間よ、となってしまいます、風のつみよ、ね。わるいのは。
 この手紙終る迄甲高いあのチュウジョウサン! がきこえないといいと思います、八百や魚やの品わけが、午後というわけだったから。
 九月六日のお手紙。先ず本の予告の勘ちがいのこと、お詫びいたします。仰云ることよく分ります、わたしは、これでも追風に背中をもたせて足をすくわれない用心はして居るつもりなのですが、あの本のことは、すみませんでした。尤も、出版計画のなかったことを真さか、空耳できいたのでもなかったのでした。出版所の顔ぶれが急に変ったにつれて既往の出版プランは殆ど大半変更になった中の一つであったようです。ジグザグの幅で見てゆくことの肝要さは、これから益※[#二の字点、1−2−22]適切であり、さもないと帰趨を失うことになりましょう、咄嗟のいろいろのときね。よく気をつけます、つまり、勉強してよく万事を考えます、リアリスティックに。学ぶべき経験であったと思います。くりかえしますが、わたしの気分に立っていたのでなかったのは事実です。そうでなかった、ということには、よしんば出版されなかったにしろ、プランとしてもたれたところに意味があり、又中止されたところにも亦意味があるわけと申すのでしょう。紙の配給は又々縮少となります。『文学界』、『文芸春秋』、まだうまく手に入りません、六月号(『文秋』)があるきりで。気をつけておきましょう。『週刊朝日』送金いたしました。『風に散りぬ』どうしたというのでしょう、まだつきません、まさか途中で迷っているのではあるまいし。
 マンスフィールドの手紙は主として良人のマリに当てたものらしいようです。ちょいちょいした時間に、このひとの日記をよんで居ります。ごく内面的な、そして仕事と連関をもった日記で、今のわたしには、調子(本のたち)の合った読みものと感じます。自分の中に徐々展開するものが感じられているものだから、キャスリンの内部世界と全く違ったもの乍ら、小さい蕾が一つ一つ枝の上で開いて行くようなこまやかな、真面目な、地味なそのくせ、胸の切ないように活々した感覚のリズムが、このひとの日記のこく[#「こく」に傍点]のあるところと調和して、いいこころもちです。たまにこういう読書があるのね、逆に見ればその本をよむより、自分をよんでいるという風な。「伸子」のとき「暗夜行路」がそうでした。三四年の間、机の上にある本と云えばあれきりで、やっぱりリズムが合ったのね、それによって自分がよめたのでしたろう。旦那さんの批評家ジョン・ミドルトン・マリは、善良な男らしいけれども、キャスリンは、自分と全く似ていると云っています。これはつまりキャスリンが作家なのに、作家に似た批評家というのはどうかしら、ということになるのね。キャスリンは感受性が柔軟で繊細で、心情の作家だったようです。彼女が永い間、内へ内へ感じためるだけでまとまって表現しかねていたものが、愛弟の戦死によって、一つの焦点を与えられ、ニュージーランドで暮した生活の再現に集中してから、いい作家になったということには深い示唆があると思いました。前大戦前後の動揺の中で、キャスリンは、安易に作家になり上るためには、本もののテムペラメントをもっていたのでしょう、頽廃にも赴けず、空粗[#「粗」に「ママ」の注記]なヒロイズムのうそも直感し、人間悲劇を感じ、何か真実なもの、心のよれるものを求めて、感受性の内壁ばかりさわって苦しがっていたと思います。マリは、その点でのキャスリンの云わば健気な弱気とでもいうようなものの性質を明かにして居りません、伝記の中で。(マリは、キャスリンの伝記で凡庸さを覆えませんが)ヴァージニア・ウルフが、知脳[#「脳」に「ママ」の注記]的な女の作家で、同じ時代にシュールリアリズムに入り、ああいう作品をこしらえ(ウルフのは全く頭でこしらえたのね)この第二次大戦のはじまりで、シュールでもちこたえられないリアルに負けて自殺したことと対比して、ともかくあの地の婦人作家たちが、一通りならぬ苦労をもって、どの道にせよ拓いたということを考えます。今次の大戦後、イギリスはどんな婦人作家を送り出すでしょう。分裂の方向でない新しさ、健やかなリアリズムが、どの程度甦るでしょうね、サッカレーが出たこと丈考えてみても、その素質がないとは云えますまい。でもイギリスにはディケンズ病みたいなものが流れていて、心情的傾向は、とかく炉辺を恋うて、剛健な大気のそよぎそのものの中に心情を嗅ごうとしない危険があります。キャスリンにしてもそうよ。文学におけるヴィタミン欠乏症です。「風に散りぬ」などと肌合いのちがうことどうでしょう。キャスリンの文章は、殆どメロディアスです、文章そのものが或る慰安です。甘くはなくても。彼女は人生を愛しました。
 愛した、と云えば、イギリス人が、あんなに自然のままということを大切に珍重する公園、所謂イギリス式庭園を愛するのは、アメリカ人みたいに、家の中も外もなく、森から湖から土足で愉快に出入りして暮す気分からではなくて、要するにコントラストなのね、生活感情の。一面で、社会生活がヨーロッパでは亢進してやかましくて、ぬけ目なくて、しきたりで、大きい声でものを云うと失礼で、ウーとなってしまうから、太古ながらの樫の木が生えて、鹿がいて、むかし祖先たちが、裸で炙肉の骨をつかんでケンカした風物がなつかしいのね。風景画となると、もう絵はうち[#「うち」に傍点]で見るものだから、あのイギリス独特の、面白くてつまらない風景画となってしまうのでしょうか。全くイギリスの風景画は、愉しんで紊《みだ》れず、と云いつたえに立って身を守っているようね。ゴッホが、燃える外光の中に見たあのポプラや糸杉や麦畑。気の遠くなるように白く美しくて、その白さは朱でふちどらなくてはくっきりあらわせない程白く美しい梨の花と思って見たものなんか、イギリスでは、白いものの上の陰翳は紫がかった藍色ときまってしまうのね。イギリスの中流の女たちが誰でも、しなびて水っぽいスケッチしたり、ピアノをお客にひいてきかせるのは、何といやでしょう。わたしは、それを辛棒しているうちにコワイコワイ顔になってゆく自分を屡※[#二の字点、1−2−22]感じました。空襲で、そんな暇のない時代に育つ若い女たちは、不幸中の幸です、一つのマンネリズムからは少くとも解放されるでしょうから。
 空襲と云えば、国男さんが建築家である功徳が一つあらわれました。かなり本式の待避壕が(ここで一時間半八百や魚や米炊きさわぎ)出来かかって居ります。間に合えば、すこしはましな壕でコンクリートで屋根もついて泥が三尺ほどのります、なかで眠れるように出来そうです、スノコをでもしいて。火がぐるりをかこんでも大丈夫と主人公は申しますが、さてそれはどうでしょう、わたしはまだローステッド・ブランカになるには早すぎますから、火事が本式となったら、その穴からは這い出すつもりで居ります。今はまだ七尺五寸の地底にコンクリートの柱が何本か立っている丈よ。トラックがなくて材料が来ないのですって。では明日。明日は砂糖配給
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