カライ》り)三冊。これは兵タン、衛生、風紀まで、当時の諸原典を引用してしらべてあり、全体として真面目な研究です。もし興味がおありになるなら、おかしいたします由。御返事下さい。
 どこの家も大ごたごたでボロを着てヤッコラヤッコラ暮していますが、そんな本がつみ重ってゴタついているとわるくありませんね、大工のかんなが光っているようなものでね。ちらかりかたにもいろいろあります。
 そうかと思うと目白の先生は、カボチャのみそ汁をたべ乍ら面白いこと話してくれました。カビのことよ。青カビの一種から肺炎の薬をとることに成功したソヴェート医学の業績は先頃報告されましたが、結核菌培養を早くするためのカビの研究をやっていて、となりの因業なおくさんがくされトマトをくれたのですって。ひどいものをくれやがったと切って台所のゴミすてにすてておいて一夜あけ、その間(五時間)すっかりひどい青カビで、こんな短い時間にこんなに生えたカビ見たことない由で、それを大切に、田舎から見つけて来た滅菌器へ入れて研究所へはこんで目下しらべ中の由。面白いことには、ね、先生の家族は細君の実家の田舎へ疎開して行って、今たった一人のやもめ暮しです。グロッキーで、御飯の仕度もしているので、このカビも見つけ出したというわけです。台所もブーブー云い乍らやったが、バカにならないですよとニコニコでした。
 きょうのわたしのお喋りは、何となく炭酸水の小さい泡のようでしょう? わるくない御機嫌というところでしょう? いろいろわけがあるのよ、一つは涼しいこと。そのほかはひろき波音のあの音この音。
 八月二十八日のお手紙三十一日につきました、大変早かったこと。周防の麻里布の海のうた、思い出すようです、あの頃の官船、赤船が麻里布のさきを通ったのではなかったかしら、何だか遠くに赤船がゆく、余り遠くて、たよりもことづけられない、という意味のうたがあったように思います。このあたりにしろ、虹ヶ浜にしろ、あなたの想像なさるよりも倍も倍も変ってしまっているでしょう。麻里布というような地名からの感じは、遙かで、赤船の色彩的な迅い感じと美しく調和します、あの辺の(中国・四国辺の)美しさは、そういう連想からも生れるのね、東北のは人間生活の歴史の絢《あや》がなくて、自然のままの優しい荒っぽさの情感です。日本人がああやりこうやりして生きて来たことを中国はなつかしく思いおこし、東北は、めいめいが生きんとする原始生活力を森や丘から吸い込みます。富雄さんはどうしてこんなに仕合わせ者でしょう。くりかえしこの貴重な小さい紙面で、本のこと思いおこされて。わたしがずぼらというばかりでもなさそうです。隆ちゃんにも送りましょう。もうおかきにならなくても大丈夫よ。ちゃんと発送いたしますから。
『風に散りぬ』の第二巻だけが、ポツンとかりられました。送ってくれるのが、やがてついたらおとどけいたします。あの本は妙なめぐり合わせの本ね、全く、ありすぎてない本となりました。
 うちの南瓜は蔬菜の雑草化の見本だと思って放っておいたら、小さい実が一つついて居りました、大うら成りのうらなり乍ら。蝉の声がしきりに赤松の林を思いおこさせます、そのくらい秋っぽいのね。

 九月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 九月三日
 きのうは御苦労さまでした。[自注11]本当に、御苦労さまでした。さぞお疲れでしたろう、蒼い色になっていらしたから、帰りに脳貧血気味におなりになったろうと思い、気にして居ります。気持はわるくないお疲れでしたろうが、体の気持はおこたえになったことでしょう。かえって食事あがれましたか? 全く、美味いおつゆをたっぷりのませて上げとうございました。そして、お湯をあびせて上げてね。きのうの御苦労さまという感じの中には、たったきのう一日だけではない、その当時の様々が御苦労さまでした、にひきつづき今日から明日への御苦労さまがみんなこもった感じでした。云いつくせない御苦労さま、よ。しかもその御苦労さまが磐石のようにしずかで、もちこたえよくて柔軟であるとき、こころのおどろきはどんなでしょう。
 字面にすべてがこもるものでないと痛感いたします。わたしが、見たりきいたりしたものはすべて生きていて、与えるものは筋ではないのね。人間を感銘せしめるのは筋[#「筋」に傍点]ではないのですものね。ありがとう。
 わたしというものがめぐり合っている人間的仕合わせの全延長について、昨夜はくりかえしくりかえし思い及び、人間の質について沈思し、感動をとどめ得ませんでした。
 生活の真面目さと、浅薄さとの相異がどんなに大きいものかということは、平常人が考えているより遙かに巨大ですね。
 この手紙ぐらい、思うままに表現出来ない感じの手紙はこれ迄書いたことがないようです。わたしは、もとから、余り気もち一杯だと言葉に出せなくなるの、御存じでしょう? あれらしいわ。そして、そういうときは、せっぱつまって、いきなり何か小さい行動で表現してしまうこと、覚えていらっしゃるでしょう? あなたはそういうわたしのやりかたを、快くうけとって下さいました。この手紙もそれよ。よくって? ここにあるものは、字ではないのよ、わたしよ。よくて?
 堂々として、一つのこま[#「こま」に傍点]のぬきさしならぬ、渋い美しい壮麗な大モザイックの円天井を見ます。その美しさのもとに生きることの歓喜のふかさは、それが大理石の円柱であったとしても耀き出さずにはいられないと思います。
 喝采というものは、芸術のテーマとして最もむずかしいものだと思います。讚歎に負けてしまわず、その内容と意義を掌握することはむずかしく、もしそれが十分出来たらその芸術家そのものが、既に喝采に価するわけでしょう。
 わたしは駄目ね。ここにいるのは、わたしよ、と、犬がうれしがってワンというようなことをするから。でも自分がワンといってかみつきたいようになるのは、何と満足でしょう。最上の理性と智慧とが、人間の最も本然な、素朴な、愛すべき表現をとるしかないということは、ほむべきかな、と云うしかありません。

[#ここから2字下げ]
[自注11]きのうは御苦労さまでした。――顕治の第四回公判の陳述。
[#ここで字下げ終わり]

 九月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 九月六日
 風があらくて、空では雲がきっとはげしく流れているのでしょう、初秋らしくかーっと日がさすかと思うと急にかげります。
 食堂のテーブルで、食べながら、これをかいて居ります、珍しいことでしょう、くいしん棒のわたしが、どういうわけで食べ乍らなんか、とお思いになるでしょう?
 わたしもどうしてか分らないが、どうも書き乍らでないと、今はゆっくり食べられないのよ、カチカチのやいたパンは、かむのに時間がかかります、つまり早く話したいのね。朝おそくから今まで、成城へやる荷ごしらえをして居りました。去年の春から荷ごしらえ一般は随分やって、力に叶うものならば技術もたしかになりました、けれどこんどのこの荷作りは、特別な思いがわたしに湧いて、一服したとき、あなたに黙っていられないところがあるようになりました。
 成城への荷物なんかはじめは只ありふれた意味で分散させて置こうとしたのよ。原稿紙や古布類を。段々ときが経つうちに、気持がちがって来て、わたしが一緒に疎開して暮すとき必要なものを、と思うようになって来ました。そういうとき、どんな形で暮すのか、全く今は判らないけれども、何処ということさえ茫漠として居りますが、たった一つ極めて明瞭で、こころを動かすことがあります、それは「|一緒に《ス・トボーユ》」という短い言葉です。これは詩の題として恥しからぬ表現です。一巻の美しい物語の題であり得ます。この言葉をくりかえしくりかえし考えていると、つまりはこうして話し出さずにはいられなくなって参ります、わかるでしょう?
 動坂以来、いくたびか引越しをいたしました。けれどもこの言葉が、こんなに生々として中核にある移りかたというものは知りませんでした。これは何と瑞々しい気もちでしょう。何か愉しげなような[#「ような」に傍点]感じでわたしを揺ぶります。自分で自分に訊きただします、(何だかいぶかしくもあるのですもの)果して愉しいことなのかね、と。さすがに、すぐは返答しかねるのね。まさか、そう単純でもないわけですもの、全く。でも、やっぱりわたしがそのために自分の用意を心がけることのうちには不思議な感動があり、詩の新しいヴァリエーションの響があり、その展開の期待と、そこでも詩はそのときなりの充実をもつに違いない信頼とがあります。一緒に、新しい頁にうつってゆくときめきがあります。
 いろいろと空想し、それを自分で空想と思って空想するのですが、一等の魅力は、そういうところで少くとも半年は落付いて暮して、その間に今の渇きがしんから治るまで、勉強することです。人とつき合うことは殆どないでしょうし、一度から一度へと御褒美をたのしんで、一心に勉強するのは、どんなにいいでしょう。あとの半分位は、ゴタゴタした東京で、もまれて、埃をあびせられて、よかれあしかれ、今日[#「今日」に傍点]につよく接触して、又次の半年は、巣ごもりで暮すの。うんとうんと仕事をしたいのよ。ある日に、わたしが、しんからあんぽんブランカとなり終せ、気持いいこと、美味しいことしか思わないでどれ丈か暮しても、それは十分これ迄の勤勉の御褒美として天地に愧じるところない丈、うんと仕事しておきたいと思う次第です。賛成でしょう?
 二日の帰りみち、わたしは疲れたのと感銘に打たれたため、よそめにはすこしぼんやりした風で、しきりに考えました。人間が幸福を感じる奥ゆきは、いかに深いものか、云いかえれば、ある人を幸福にしてやる、ということには、いかに、ピンからキリまで、その方法があるか、ということについて。自分はすこし大きくなって以来、いつも生きるに甲斐ある生きかたをしたいと思いつづけていました。それは野心その他とまるきり違ったもので、感覚として内在するようなものだったのね。それにつき動かされて、より新鮮な空気を求め求めて来たわけですが、二日のかえり、プラタナスの下をゆっくり歩いて来ながら、わたしはその自分の願望が、勿体ないように叶えられているのを感じました、自分自身の力には叶わない望みが、叶えられて与えられてあるということに驚愕しました。自分というものは、ごく厳密に云って、願う丈の生き甲斐を創り出してゆくには、ちいと力が不足して生れついていると思います。勇気が足りないのか、頭の堅木《カタギ》のように美しい木目が荒いのか、ともかく残念ながら、私に出来ることは、非常によく感じ、理解し、それによって、そこから何か人間的集[#「集」に「ママ」の注記]果を生み出してゆくことだと思われます。女というものが、そうなのかしら。文学的な素質というものが、そういう特長をもっているのかしら。いずれにせよ、わたしは、創られた新しい頁の価値にうたれ、それに導かれ、その価値と美を語ることによって、自分も一つの何か醜からぬものをこの人生に寄与してゆくもののようです。
 生きるに甲斐ある人生を求めることが、人間として健気であるというにしろ、それは怠慢を許さないと云え、それにしろ、わたしはやっぱりおどろきを抑え得ません。年々深まるおどろきを。そして、それは、まぎれもなくこの秋空に、燦く頂きを見せました。
 そこには全く時代として新しいものがありました。ずーっと昔、十年ほど前、華々しい論説というような前期的空気にはふれましたが、世代の進展の大さ、着実さ、高さ、尤も注目すべき現実性に於て、極めて感歎に価しました。それの堂々さは、自然現象の壮麗さと同じように公明正大であり、企らみなく、自然です、自然現象のおどろくべき仕組みを見て、人の感じるおどろきは素直であって、おそらくはその人の一生に影響するものよ。虹でさえ、人は美しいと思って見れば一生忘れることは出来ません。
 わたしの中に、オルゴールのつい
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