うれしうございます。文武両道に達してこそ真の人間ね、男というにふさわしいと思います。しかし何と其が少いでしょう。そういう人物のつきぬ味いというものは、全く名器をもっている音楽家と同じで、その音をかき鳴らし微妙なニュアンスと靭やかなつよさを味ったものは、どうにもその味を忘れかね、代えるものを見出すことは出来ません。石で云えばオパールのごくいいのね。オパールという宝石は、ダイヤモンドよりやすいものですが、光線の工合で、焔色を射出し、溶けるような緑青色を放ち、こまかい乳色と銀と紫のまだらを示し、夕やけのような桃色を示す実に飽きない石です、それはダイヤモンドのように一定の権柄を意味しないし、真珠のように女の飾りっぽくないし、うれしい石というところがあります。わたしの一つの指環にそれが三つ小さく並んでほんとに可愛くきれいなのがあります、(ああ。「白藤」でおよみになった、あの父のくれたというのがそれです)複雑な調和の変化があって、この音とその音を合わせて面白く、さて、その響とこの響の和音の恍惚とさせるよさ、とつきるところがないようです。人間の精神と感覚の至上の幸福というものがあるなら、それはそういう諧調の感じられる対象をこの世にもっているということにつきますね。こういうよろこびは天上的よ。その天上的なる愉悦のためには下界の波瀾は、波瀾に止るというところがあります。波は砂と岩とを洗います、怒濤ともなり私たちを溺らしもします、しかし波[#「しかし波」に傍点]だわ。
八月七日十一日のお手紙による軽い本のこと。只今ここにあるのは、『アロウスミスの生涯』(アメリカの医者が、医療企業の悪辣さと争いつつ科学者として生きる努力)、それでも地球は動く(ガリレー伝)、『飢と闘う人々』(クライフ著)小麦、食肉、玉蜀黍《とうもろこし》、見えざる飢(ヴィタミン)等の改良、発見に献身した人々の伝。このクライフという人は、『細菌を追う人々』パストゥールや何かの伝をかき世界的な著者です、『細菌』の方もあります。
メレジェコフスキー『神々の復活』、旅行記では『トルキスタンの旅』、カスリン・マンスフィールドの手紙と日記。この一時代前のイギリスの婦人作家の手紙は、繊細さで或る味がございます。『飢と闘う人々』は面白いが訳文がわるくてね。どれをお送りしましょうか。『風と共に』はもっていると思った人がもって居ず目下さがし中。『怒りのブドー』は引越しさわぎ中ですこし遠慮して居ります。ツワイクの『マリ・アントワネット』二巻、もしかおよみにならないでしょうか、彼女の一人のみならず周囲も分って面白うございますが。それと、『エリザヴェスとエセックス』お送りして見ましょう、エリザベスの時代がよく分って、あなたのイギリス史の土台で面白いかもしれませんから。伝記というものはこういう仮面のはがされてゆく時代には小説より面白いわね、とどのつまり、いかに生きたかという事実は興味ふこうございます、そして歴史の基石をなします。
今借りた本でアナトール・フランスの『フランスの天才達』というのをよんでいて、これはアナトール流に瀟洒すぎもしますがなかなか面白うございます。「マノン・レスコオ」をかいたアヴェ・プレボウ、「ポオルとヴェルジイニ」のサン・ピエール、シャトウブリアン。等、大革命前後、アンチクロペディスト、ルソー等の影響が歪曲されて現れたロマンティスト達のことをかいて居ります。アナトールという人は野暮ぎらいで、そのために突こみの足りないものをかくことになったのではなかったでしょうか。フランス流の明察はありますが。野暮をおそれぬ大風流もあり得るのにね。アナトールと云えば緑郎は伯林へ行きました。エトワール、コンコード、よく散歩したリュクサンブルグ公園、オペラやマデレーヌ寺院のある大ヴルヴァールが、激戦の巷となって居る由です、わたしのいたホテルから近いモンパルナッスも。ロダンの家のあったムードンの森というのはね、ヴェルサイユ門の外のクラマールという町の外で、いい面白い森でした。そこも大激戦の由。あのポート・ド・ヴェルサイユをはさんで砲火が漲っていると思うと感慨深うございます。郊外は廃墟の由、わたしのいたクラマールのちょいとした家はどうなったでしょうね、緑郎夫妻はいずれはシベリア経由で戻るのでしょうが、それは果していつのことでしょう、さし当ってはどこか山の奥へでもゆくのでしょう。
スターリングラードもああやって歩いた広い通りなんか今どこにもなくなったでしょうし。自分で創り自分でこわしてゆく胆っ玉の太さいかがでしょう、この頃わたしはその点でああ人間よ人間よとうなります。決して哲人[#「哲人」に傍点]のように人間は永遠に愚者也などと思いません。但、こういう胆っ玉の太い、憎々しいほど生きる力のあるものだからこそ、一人の人間の生命が六七十年以上あったらたまらないし、なくて自然と思います。自分は希わくば、そこいらで一遍死んで又生れかわりとうございますが。そして、この創造と破壊の猛烈なテムポにつれて、いつの時代も必ず人々の一生は短縮され、そのテムポにふさわしい、過去を知らぬ世代の大量的代謝が行われます、これも意味ふかいことです。こういう代謝によって、歴史は流血の腥さに痛まないで(其を経験しない人々によって)歴史的業績の純理的継承をして、そして、より高まるのです。もしすべて経験した人々がすべて不死であり、彼等の肉体的惨苦をくりかえし物語るのであったら、よしや其は最も光栄ある事業であるとしても、人間は動物的本能からそれにおびえるでしょう。怯懦となるでしょう、度々ストライキして遂にダラ幹となる市電の古い連中のように。人類の歴史の豊かさは、どこも一人の人間が二百五十年生きつづけないところに却って在りそうですね。短かさを知って精一杯にそれを生きるよさに在りそうね。デモ、自分の原子ガ別ノモノニナッタトキ、自覚シナイカラツマラナイ。生れかわりたい欲望は人間につよいものなのね。輪廻の思想が生れたりして。
ぐっすりお眠りになれるのは本当に助けの神です。それ丈お疲れになるということですが、それにしろ眠れるのは助かります。もうすこしの辛棒で秋涼になります、かけぶとんの綿の柔かい暖かさが可愛ゆく感じられるように。今年の夏わたしは万端一人でしたから疲れも去年よりひどかったのよ、去年はうちのことちっともかまわないでよかったから。では又、呉々お大切に。
九月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
九月一日
きょうは二百十日です。涼しい朝でした。十時頃ですが、まだ日よけの葭簀の下に朝顔が開いていて美しゅうございます、ひどい蓬生《よもぎう》の宿になってね、その雑草の中に、這い次第に咲く朝顔は風情深うございます。春休みに太郎が来たとき蒔いたのが今咲いているのよ。秋の朝顔という字もきれいです、早い夏のは凡俗ですが。咲きのこったように花が小さく色が濃くなって、秋の朝さいている花はきれいね。目白の上り屋敷の駅の外のごたごたに、秋咲く朝顔があって、いつも目にとめてはあすこから池袋へ電車にのりました。
涼しくて体が苦しくないとうれしいうれしい気がします。今年は秋が待たれます、早く残暑がすぎて小堅く涼しくなり、あなたのおなかも、落付くように。今年は、人々がみんな秋を待っているでしょう[#「でしょう」は底本では「でししょう」と誤記]。みんな、力がない体に暑気はこたえたのよ。わたしは、明日あたりから又暫く注射をし、暑さまけで秋患わないようにします、そして又早寝励行はじめます、ほかの連中はどうあろうとも。わたしの体に早ねは有効ですから。
文武両道ということを思うにつけ、心の勉強と健康増進は切りはなせません。しみじみ思うのよ、弱くなってはいられないと。世界の潮ざいに耳を傾けると、それは丈夫でいなさい、丈夫でいなさいと波の音がいたします。そして、一貫した意志がいるということを語ります、小にしては、二つの身が丈夫でいるにも、ね。だからわたしは意志をつよくしてね、たべるものの不足な分は眠りで補うという原則にします。その日暮しに抵抗いたします。
しかしものごとの面白さは不思議です。昨今(この四日から)わたしの毎日は、全く落付いて手紙こうして書く時間が何日おきかにあって、あとはバタバタの連続です。そちらに行くには一時頃家を出て、大体帰ると五時―六時です。何時間か待つ間に本を読みます。この頃まとまって本をよむと云ったらその時間よ。そちらに行くときがわたしの一番インテレクチュアルな時間だというのは、余り当りすぎて笑止ですね。そして、わたしの「十年一日」は近所でも通っているから「また出勤の日ですから、すみませんが」と配給うけとりをたのんでも「御苦労さまですね」とひきうけてくれます、よくお出になりますね、なんてちくりとしたことは云う人がありません。そうして軸《ジク》が一つあるために、すべてが比較的まとまるのよ、家のものだって、わたしが、あしたは出勤よと云えば、それは絶対不変更となって居りますから。いい習慣がついたものね。わたしの健康だってこの軸にうけとめられて規律立つし、辛くても出かけますしね。鍛錬というのはちっと辛くてもやらなくては駄目の由(体操なんかでも)
きのうは暑い日でしたね、わたしは活躍して、きょう一日在宅なのを、どんなにうれしくたのしんでいるでしょう。
きのうは朝早く九段へ行きました。用談すまして十時すこし前からてっちゃんのところへまわりました。大人のジフテリーをやったのよ、入院しました。栄さんから電話のついでに其をきいて、早く見舞いたかったのに、丁度こちらの用が重っていて、そのすきに、というまでは体が動かせなかったの。もう退院しました。自分が病気の間、あれほど心にかけて貰って、こんどあちらがという時放っておくのは何とも心苦しいので、エイと気合かけてきのうまわってしまいました。
大人のジフテリーは予後が心臓衰弱してこわいのです。あぶないと心配していたら、てっちゃんもやったのですって。歩いて帰った翌日、葡萄糖を注射して直った由、すこしやせていました、が、勤めがひどく疲労させるらしいので、却って神経は休まっているようでした。カンシャクもちになったのよ、可哀想に。あの人が、勤め先では決しておこらない人、面白い人になっているって、そうなるための疲れはどれほどでしょう。うちへ帰って敷居を跨いで子供がギャーギャーやっていると、四隣に鳴りひびく声でコラッとやるって、澄子さんが苦笑していました。てっちゃんはいい奥さんをもちましたね、澄子さんはそういうかんしゃくでもちゃんとおとなしくうけてあげる気質ですから。平らかで明るいから。賢い人です。感情的な女だと不幸になってしまいましょう、その原因がただ疲れだというのに、ね。それほど疲れる、というところに世相と性格とのからみ合いがあります。
卯女は、頭クリクリ坊主で男の子のようになって、でもやせすぎです、微熱出している由。母さん父さんかけ合いで馬糞物語をきかせてくれました、畑のこやしに馬糞をみんなが拾います、芝居のひとはちがうわね、身ぶり声音、興がのると舞台風よ、余り賑やかで舞台裏にいるようでした、その中で父さんは破れシャツ、破れズボン、ザン切り頭で、すこしやせて、南方土民風にしゃがんで、鴎外を論じ『日本戦記』を見せてくれました。馬糞物語では余り現代コントだから「あなた方ったら、二人がかりで、只喋っちまって。栄さんなら立ちどころにこれで六七十円は稼ぎますよ」と云ったらば、台所でわたしにコーヒーというものをこしらえていた父さんが大よろこびで、「いや、全くそうだ! いかんね」と真黒い足をバタンコと鳴らしました。情景些か髣髴でしょう? 四時一寸すぎに引き上げました。
そして帰って、夕飯は目白の先生とみんなでしました。みんなから呉々体をお大事に、と。
『日本戦記』という本は何冊もあって元亀、天正から封建時代の戦争を軍事科学として研究したもので、参謀本部が十数年かかって大成した仕事です。朝鮮戦史(秀吉の唐入《
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