すばらしさが精神にこまやかな艷やかな粘着力を与えるのであるし。私たちのところにいろいろの詩集があるということは無双の宝ね。これは形容でありません。どういう形ででも高められた生命の発露は詩であり、私たちは単に貧弱な読者にすぎないというのではないのですものね。
椅子をのりつぶしたこと、何とおかしいでしょう、そしてかわゆいでしょう。大方そういうことになりそうと思ったわ、そしてすぐバルザックが何脚かの椅子をのりつぶしたこと、思い浮べました。バルザックは誇りをもって手紙にかいているのよ、僕はもうこれで何脚目の椅子をのりつぶしたよ、と。
島田ゆきのこと、あれこれ云って御免なさい。それは、ジャーナリズムの最高形容詞に、凡俗な読者らしく支配されているところもあろうと考えます。しかし今日のジャーナリズムというものを考えると、総本山は一つですから、つまり、そういう最高形容詞をジャーナリストに使うことを要求する力と心理とが支配的なポイントをにぎっているわけです。ああこういうのは、とりも直さずそういういきりたち精神そのもののあぶなかしさが原因となっているのよ。どんな人にしろ平時で想像出来ないとんちんかんが
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