しさ、実に浮き出していて、ドンバスで、長靴はいて坑内を歩いたときをまざまざ思い出します。十九世紀のフランスの坑はカンテラ灯でてらされていたのね、そしてトロ押しを坑夫の娘たちが男装でやっていたのね。石炭を燃した動力で、ケージを何ヤードも上下させていたのね。
ゾラとセザンヌと若いときは大いに親しかったのに、後年セザンヌはゾラを、気ちがいのように呼びました。ゾラが小説の中で、セザンヌをモデルにして、生成し得ない天才として描いたのがセザンヌをおこらせたからの由。ゾラを俗物という気持も(セザンヌとして)分るけれども、その俗物性(現世的事件にかかわる点。ドルフュスの時など)が歴史との関係でマイナスばかりではなかったことをわからなかったセザンヌは、やはり同時代人としての眼かくしをかけていたのですね。
同時代人というものの切磋琢磨的相互関係は残酷というくらいですね、同時代人は容易に自分たちの同時代の才能を承認しません、試しに試すのね。そして遂にそのものを天才に仕上げてしまうのよ。賞揚によってというよりも寧ろ抵抗を養わせて。寿まだ参りません。今夜早くねるのがたのしみです。はれぼったいのですもの、夏の
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