いて行くたのしさが出来て来て、それに堪えるだけの神経の調子になって来たのでしょう。でも、眼はけしからんの、何というのろまでしょう。原稿紙のマス目はまだ駄目です。
 きょうは六十六度ほどで、曇ってもいるし、しのぎよいが、昨日は又八十度越しました。あついと実に苦しいのよ。肩や背に日光がさすと何とも云えず不快です。もう傘をさしています。冬の衣類前へ出しておいていただきましょうか。私は今月のうちにもう一度ゆきたいのよ。いずれ水曜か金曜ですが。私にとって少しは薬になる外出があったっていいわけのものではないでしょうか、文字どおりほかへはちっとも出ないのだもの。たのしみの外出なんてないのですもの。夜具やっぱり宅下げなさいますか? 私はあつくるしいのはやり切れないとは思うけれども、どれか一つだけ厚く綿の入っているのをおいておいていただきたいのだけれども。ドカンと云ったらあなたはあれをかぶっていらっしゃるという気休めがほしのだけれ共。下らないこと? 小学生たちは坐布団に紐をつけたものをかぶります、親は、それでもないよりはと思っているのよ。
 島田へこんどお手紙のとき、お母さんが日向に頭や肩むき出しで余りお働きにならないよう、川へ洗濯に行らっしゃるのもすこし気分が変だったら必ずおやめになるよう、よくよくおっしゃってあげて下さい。いつもいつも書くのですが、お元気だから黙殺よ。しかし多賀子の手紙などには同じことを心配して居りますし。
 私が久しぶりで手紙をかけてよかったとこちらへもよろこんで下さいました。自動車のことはそのとおりです。乗用とトラックとが新しく入るというようなことが友子さんの手紙にありました。Yという人物やその間の事情も代表的なものですね、いつか島田で私一人店にいたら途方もない横|柄《ヘイ》な奴がヌット入って来て頭も下げず、少額国債のことを話し(自分が買うと)私は何奴かと思ったらそれがYの由。裏の路の話は三四年前からでした。ではもう出来たのね、やっぱり高く出来たのね、人間の生活の常態というものに対して親切な心くばりの欠けた強引プランというものは、いつの時代にもどんな場合にでも人々の心に舌ざわりの荒い滓《かす》をのこすものです。或種の人々の感情には横車を押しとおす快感めいたものもあるでしょう。小人物はそういうものだから。有無を云わせぬというところに何かの感じを味っていたりして。そういう町の落付かなさを思います。裏と云っても、もとからあった裏道ね、あれよりもっと家へよったところに出来るということでした。きっとそうでしょう、トラック用道路です。島田の家も住居はもう少し山よりの方へ奥へ小ぢんまりと引こめて、こちらは仕事用の必要部分だけにして、お母さんや子供や女連は住宅の方に暮せるようにしたらいいでしょうね。通りの建物は利用する方法がどっさりありますでしょう。達治さんの健康のためにもいいのでしょうが。このことは少し考えてあげて、その方がいいとお思いになったらお話しになったらどうでしょう。軍用トラック道路と徳山、光町の線路とにはさまれているのは、静かな日々ではないのだから。きっと家賃としてもかなりのものでしょうし、お売りになって小さいのを立てれば案外やりくれるかもしれないし。蔵だって今は使用せず単独に貸していらっしゃる位だから。裏へ道が出来たのではお母さんもお考えでしょう、あいにく私たちが大キューキューで何とも出来ないのは残念ね。
 お送りした草履は、かなり奮発で、今としてはいいものでしたからうれしいと思って居ります。輝ちゃんに絵本送ったのよ。
 今日『防空』到着しました。『ギオン』が一緒のようにかかれていて消され一冊だけでした、私はまだ迚もああいうのはよめないの。寿江子がよんで教えてくれるそうです。それにしても朝日の『衛生学』まだ本屋から来ないので又きき合わせて居ります。スタインベックの「月落ちぬ」Moon is down という小説が英語で持っている人があってやがてかります。活字が大きかったらいいのだけれど。お送りして見ましょうね、文章の新らしい単純さをぜひ原文でみたいと思っていました。外国語では題に自由に動詞をつかえるから面白いものね、Moon is down にしても作者の感覚は本当にただ月が落ちた、という時刻とか光景とかのものでしょうが、生活とくっついた表現にすぎないのが日本語で月が沈んだでは何とも題になりかねます。この頃の月は夜の九時頃もう西にまわっていて早く沈みます。それを眺めて一種の風情を感じているのでなおはっきり文学的表現をくらべる気持にもなります。宵に落ちる月の風情などはせわしい心のときは気をとられないものね。きょうはこれから久しぶりで風呂に入ります。警戒警報が解かれほっとしました。では又ね。

 五月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治
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