宛 駒込林町より(封書)〕

 五月十六日
 きょうは、五十七度ほど。これだから体がたまりませんね、けさ午前五時半の一番で太郎がコウヅへ行くというので起きて世話をやいたら風邪をひき気味になって、雨のふるしずかな私一人のうちの中で殆ど一日床に居りました。今もう夕方。おきて暖い襦袢にエリをかけて着ていたら、健之助の乳母にたのんだ人の乳が健全でのましてよいと医者からデンワで、それ知らせろということになったら、あっちのとりつぎ電話が不明でゴタついているところです。
 父さんは大抵金曜日の夕方になると何か用が出来て、どうしてもあちらへ行かなければならなくなるのよ。太郎は土曜から出かけて二人が月曜日の一番で夜明けに起きてかえって来ます。
 其故この頃の日曜は本当にドンタクなの、しずかで。気づかいもいらないし、ケンカする人たちはめいめいちりぢりだし。そして私は面白い、又いじらしいものだと思って、せっせとリュックを背負って母さんのところへ出かけて行く父親の心持や又それとは別に息子のことを考えたりして暮します。アメリカにシートンという動物観察者が居ましょう、いろいろな動物の生活をよく見ていて、時にはバルザックがかいた豹《ヒョー》についてのロマンティックな物語を書き直したりするところもあるが、大体はまともな記述をしています。それのリス物語を一寸よんだら(太郎のをかりて)リスの父親はどこやらリュックを背負って行く父さんの心持――自覚しないでそう動く心――に通じていて、ほほえまれます。一緒にだけ暮していると、こんな気持ははっきりそれとして生活の中に浮き上って来ないものね、彼にとって家族という感情の柱はどこに立っているかということを沁々感じ、そういう本能めいたものの暖かさと根づよさとを感じます。巣のぬくみ、その匂い、何かしらひきつけるもの。そういうものなのね、全くオカメがいないと落付けないのね、よりよく動いている部分があってもそれで落付けるというものでないというところが面白い。生活の日常性の粘りのつよさということも新しくおどろきます、自分の体温と体ぐせのうつったものがいつも恋しいというところ。
 この紙は妙な形でしょう? でも書きよさそうでしょう? 昔昔のタイプライターの用紙です、S. Chujo と父の事務所用で一杯いろいろ印刷してあるところを切ると丁度この大さになりました。この間、紙屑の山からほり出して来たのよ。形はどうともあれ、今にしては大した良質のものだからホクホクです、書きよいのよ、そして私は手紙につかえるいい紙が見つかると一番上機嫌です。
 風邪のかげんできょうの目といったらメチャよ。大チラつき。ペンさんがやっと結婚するようになりました。秋頃の由。対手は実業家の息子で帝大の経済出。日銀に居た人。ペンさんは高等小学を出てすぐそこで女事務員になり七年つとめている間にその人を知ったのです。中途でゴタついて、男のひともグラついたのらしいが、マア決着したわけです。高輪に壮大なる邸宅があってそれは借金のカタになっているが、妹が結婚する迄はその家をもって行くという処世術を守る家風です。なかなか楽ではないでしょうが、何年来も交渉があったらしいから、ちゃんと結婚というきまりをもって、生活のよさわるさを正面に経験して見るのはよいでしょう。
 私はこの頃迎えや外出のおともをして貰っていますが、秋迄にはその用も一片つきましょうからお互にようございました。きょうはいくらでもこうやって御飯後のお喋りのような話をしていたいがあんまりな目ですからもうオヤメ。かぜをおひきにならないようにね。

 五月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 五月二十三日
 十九日づけのお手紙土曜(昨日)頂きました。お心くばりいろいろとありがとう。本当に、来ないようとおっしゃったらヒョコリといやに熱心な顔を差出したから苦笑ものでいらしたでしょう。
 私は目下大したものもちで、十五日からつづけて三つものお手紙をためこんで眺めて、あっちこっちくりかえしてよんでいる次第です。
 まず十五日の分からね。マホー瓶の件。もちかえりましたが大したこわれかたね、グザグザね、国男に話したら、キット大きな音がしたんだろうと云っていました。そう?
 マホー瓶は真空装置がある瓶を入れるのだからビールビンではどうかということです。心当りのところに(専門店)きいてみます。うちにあるのは、よくアイスクリームを一寸買ってかえったりするときの、籐のザルに入って、いきなりキルクせんの、テラテラツルツルしたものなのよ。籐のザルをぬいたら立ってもいられない代物なのよ、それでもいいでしょうか、よかったらお届けいたします、御返事を、どうぞ。
『結核殊に肺結核』『文芸』と一緒に送りました。掛ぶとんカバーなしで、夏ぶとん
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