獄中への手紙
一九四三年(昭和十八年)
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)豌豆《えんどう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)種本|漁《あさ》り

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]

〓:欠字 底本で不明の文字
(例)『〓世界地図』
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 一月三日 〔豊島区西巣鴨一ノ三二七七巣鴨拘置所の宮本顕治宛 本郷区林町二十一より(代筆 牧野虎雄筆「春の富士」の絵はがき)〕

 明けましておめでとう。そちらはいかがな正月でしょう。こちらは兎も角ヤス子が命拾いをしたので、どうやらお芽出度い春らしい三※[#濁点付き小書き片仮名カ、7−4]日です。国男さんが風邪をひき、その上目を悪くしてお雑煮を食べられません。太郎は十になったから頭を丸い三分刈りにしたら面ざしが変る位男の子らしくなりました。私は今年は完全にね正月、一日のうち起ているのはお雑煮を祝う前後の数時間で、夜とひる前は床の内です。ヤス子騒ぎの一段落後は私もやっと安心して、人間並の疲れかたになり、即チ何をするのもいやと云う風になりました。ポーッとしてねどこばかり恋しがっていますからどうぞ御安心下さい。今迄はこんな気のゆるんだくたびれかたの出来ない程度にしか、神経もよくなっていなかったものと見えます。タカちゃんからお菓子を造らして送ってくれました。徳山の菓子やでしょう。今日はテッちゃんが見えました。みんなからよろしく。

 一月七日 〔巣鴨拘置所の宮本顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

 一月七日
 暮の二十六、七日はうち中、今にも泰子が駄目になるかというさわぎでしたがそれでも幸い持ち直し、二十八日には寿江子がそちらへ行けました。二十八日には色々世帯じみた必要事について寿江子が伺ってきたので私にとっては一層よい年末の贈物で大晦日や三※[#濁点付き小書き片仮名カ、7−15]日は全くのんびり致しました。
 相変らずかたいお餅を上りましたか。今年はそれもなかったでしょうか。うちは菓子なしの正月のところ、多賀ちゃんのお心入れのまがい[#「まがい」に傍点]カステラで思いがけずテッちゃんにもお裾分けしました。
 去年は咲枝のお産をひかえ、何しろ弱い人だから夏頃の工合の悪さから見て無事にすむかどうか誰しも不安だったので丁度私が回復し始めるころから十一月にかけどうしても気が張っていて私は力以上の緊張が続きました。咲枝が留守のこともあなたがお考えになるように我から買って出た役でもなかったのです。ここの父親は子煩悩だけれども遊び仲間で、死に騒ぎにならなければ夜子供をみるというような世間並みの習慣はなく、亭主教育されているから咲枝としては私にでも頼むしかなかったのでしょう。全責任を一人で負う女中さんというものはあり得ませんし。
 どうやらやっとそのお産のゴタゴタもすみ咲枝の体も順調で全く一安心です。泰子が生きると決ってから私は全く体中の力みをゆるめて夏以来始めてクタクタになり十三四時間も眠ります。相当なものでしょう。うちの人達も私に無理をさせていたことが必要がすんでみればはっきりわかってきて今は休むことを頼まれ私はいい身分よ。何しろ呑気にしてさえいれば安心だというのですからね。
 今の調子で春までのんびりしたら眼もよほどいいでしょう。伊東へ行くことなども考えていたけれどもあすこは防空地帯の甲で、これからは東から西への気流がよくなる折からだし、地方の常識外れも怖ろしいし、やっぱり信州辺の温泉へでも行けるまではこの二階でずくんでいようと思います。軽挙妄動は怖るべしですから。
 薬のことを有難う、でもねオリザビトンは買ってあるだけは飲んでいただきたいと思います。効く薬なら尚のこと、何しろ、そちらの食事は手にとるようにわかっているのですし。こちらはメタボリンとレバーとでいいと思います。薬はこの程度で充分な休みと一日の間の適当な用事の配分とできっといいでしょう。片附け熱病がすっかり消えてこの頃はどうやら何時もの百合ちゃんの緩慢状態になりました。今日になってみるとああゆう頭の打撃は本当に自然になるまでに極く小きざみで複雑な神経状態を経るものなのね。考えるすじ道はまともでも動作やその考えのスピードなどに色々なニュアンスで普段でないところがついていて、気質の少しどうかした人ならそして人間に対する根本の信頼がない人なら、その妙なところが固定してしまって所謂大病のあとの人変りということになるのでしょう。考えの道はまともで何だかその人らしくないなどというのはこわいわね、そういうことが自分にわかってきただけ丈夫になったのでしょう
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