。手紙は何といってもすじばかりのところがあって、目でみ、感じるその人らしくなさ、は手紙には若しかすると少ししか現われないのかも知れないわね。
 私の方はざっとこうゆう工合です。
 富雄さんから写真が届きましたか。裏に最近の勇姿、と書いてありましたか? やっぱりあの人ね、二百枚もうちへ写真を送っているんですって。隆治さんはどこで正月をしたでしょう。船の上ね、お餅があったでしょうか。
 今日はこれだけでまたね。机の上に実のなった豌豆の花があってそれは大変生き生きとしてきれいです。お豆腐の味噌汁は近頃珍物よ。さや豌豆《えんどう》で思い出しましたが。

 一月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

 一月十一日
 一月八日のお手紙有難う。
 泰子はいいあんばいに順調でこの頃は私が「やっこちゃん遊びましょう、ジュクジュクジュク」(これは歯と唇の間からたてる妙な音で泰子のお気に入り)というといかにも美しい顔で笑うようになりました。丈夫な子でも肺炎をすると数年遅れるというから泰子などはさぞひどいことでしょう。
 すっかり髪が脱けました。病後のやつれたしかしほっぺたなんかの赤い顔をして目はキラキラ全く星のかけらのように見事に輝いています。この輝きがもっと天上的でなくなって人間の子の喜んでいる目付に戻らなければすっかり回復したとは言えますまい、大変可愛いことよ。手がまたなくなっていますが、私はもうああちゃんが丈夫だから下のさわぎにはかかわりなく今日のように気持よい雨がどっしり降って、ぬれた冬の木立がきれいにみえるとこの間に一本大島椿の真赤な花の咲くのを植えてみようなどと考えています。昨夜珍らしく夜中に眼が覚めたらあたりの暗闇と自分の安まった気持の深さとがいかにも工合よく調和していて、病気以来暗闇が圧迫的で苦しかったことがすっかりなくなっていたので嬉しゅうございました。こんな風にして私の安まりも段々本物になってゆく様子です。みんなの話では私らしい動作や感情の柔軟さが戻ってきて殆んど前と変らなくなったそうです、ただまだ疲れが早いし、疲れると注意を集中しているのが面倒臭くなるけれども。問題はこの眼ばかりよ。
 たちばな[#「たちばな」に傍点]へ電話したらチェホフはあるそうですからそちらへ直接送るようにいたします。前の注文の分は発送ずみだそうです。「ギオン」と「パルム」は別々になりますがお送りします。
 小説のいいものというのはちょっと返答に困る有様でいつかお送りしてそのまま戻ってしまった「チボー家の人々」も作品の頂点をなす(一九一四年)は訳出不能です。スタインベックの「持てるもの持たざるもの」は、「誰がために」への一過程としてみた場合色々専門的な意味で興味ある作品です。アメリカ作家のキャパシティーのタイプの見本として。この頃は世界文学の流れも不自由で身の廻りの作家の書くものではまだ一つもこれぞというものを知りません。なにしろ、私の本を聞く速力ときたら亀の子以下ですからね。一ヵ月に一冊読めないから。もう少し身体が丈夫になったら、もう一人人を探して読む方と書く方を分けたいと思っています。
 手袋やその外のことわかりました。寿江子の体についていつも配慮していただいてすまないと思います。私の留守中あの人は全く生れて始て位、本気で親切に努力してくれて、それは重々わかっていますが、一つ二つその誠意に比べてどうしても私に納得出来ないことがあって、それは事柄は些細なものですがそのルーズさが質的によくないと思われ秋頃も一度話し出しましたがその時は自分の精一杯さと善意だけをとりたてて主張して手がつけられなかったが、今は両方の体がましになったせいか二三日前にそれを話し出したら今度は私の真意がよくわかってちゃんとつぼにはまって自分を批評する点をわかりましたから、それは今年の喜ばしい獲物でした。私達姉妹はすじの通った深い情愛に立っているのだからそうやって話しがまともに通じなければなりません。ああいう点はああいう人間なのだから、と、甘やかすことは出来ない。芸術をやろうとする人はましてや「笛師の群」のお話し通り、気立てが大事ですから。低い周囲を批評する力が自分にあるということは自分の高さを意味しはしませんからね。
 このことが長く心にひっかかっていたところ、釈然としてお互いに愉快だし、一層しっかりとした大人らしい親愛を深めました。
 今日、島田から赤ん坊のお祝いを頂きました。隆治さんを入れた写真はそちらにも行きましたろう。隆治さんは私のおぼろな眼でみると、どこやらあなたに似た風になってきているように見えます。達ちゃんはあの年ではもっと腹にも肩にも生気が張っていなければならないように見えます。やっぱり色々ああゆう表情の気分で動揺しているのね。私の取越し苦労でし
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