て考えることが出来ず、私のためは即ちあなたのためとは思えず、数々不快な問答がくりかえされました。あの節建築の方は今日のような統制による窮迫をうけていなかったから、私の不自由も我が身からの酔狂と見ていました。私はつくづく不安心で、自分がいなくなりでもしたら、二人はどんな思いをすることかと思い、そのために全く些少の足場だが一方だけ即刻処分は出来ませんでした。そのことをすっかりあなたにお話しすべきでした。ところが、あのときは、生活の態度という点で、一つもあまさずというお話で、それは私にあなたがこまかいいやな事情を御存知ないからだと思えました。一々そんなことを話しても、私が感情的になっているか、さもなければ自分の何かつかまるものがないと心細いという習慣風な気分の理屈づけとおききになるだろうと思えました。おそらくそんな印象をおうけになり、そんな風にとれるようにおっしゃったことがあったのは、寧ろ私が簡明に生活の条件をお話ししなかったからのことであったでしょう。
私たちは家事的な話しなどをゆっくり永年相談しあって暮して来たというのではなくて、そういう話があなたから出たときは、私にとって何か絶対のこととうけただけの癖で、それが変った事情のなかに移っても私にのこって、あなたにとって笑止な遠慮、卑屈さになったと思います。平常はそれをそちらの分の土台としてやっていて、一昨年の十二月から昨年八月までは、実業之日本、筑摩書店から印税の前借をしたのと、十三年に翻訳したその収入と合わせ、やりくりました。もう何ヵ月ぶんしかないというのは事実であったわけです。寿江子はそういうやりかたに馴れないものだから、私もかなり語調でおどかされたりしましたが。
八月末医者の払いをしたら、それこれがおてっぱらいとなり、国男さんの方の事情としては月々医療費を立て替えることも困難だというから、いろいろ考えた末、百ヶだけ担保として、それで流通をつけてゆくうちに、私の体もいくらかましとなって、少しの収入があればよしということにしました。
あなたにもすっかりわかっていることでなかったのは悪うございました。しかし、ともかくもこうやって最も体も弱った時期を何とかきりまわして行けたのはよかったと思って居ります。
ここまで書いたら一日づけのお手紙が来ました。そしてこの前、あなたの不自由なさった前後のことがあるので補足いたします。あの時分は父が生きていて、私は母ののこしたものを自分で自由に出来ず、又どの位あるものかも知りませんでした。母の亡くなったとき父が三人を呼んで、母ののこしたものは子供たちに等分するが、一番能力のない寿江子と、いろいろ責任もある国男にやや多くして、自分の存命中は自分が保管してその収入も自分で自由にするから承知しているように、とのことでした。だから私が牛込居住のころは、私の方も全くお仕きせで、私は二人分だからと自分も随分きりつめて暮したものでした。十月に栄さんから行ってそれきりだったということは、はばかるとかはばからないとかいうことより、私にも分らないけれど、単純にあなたがまあいいとおっしゃればいいんだろうぐらいのことでいたのではなかったでしょうか。あの時分は考えるとひどかったことね。一ヵ月に一度ぐらい咲枝が一寸来てウワウワと何かきいて、あなたの方大丈夫かと念を押すといつも大丈夫よちゃんとしている、と云って、それで帰ってみればそういうことだったのですものね。あの頃は咲枝夫婦は部屋住みの無責任さがあり、寿江子はこちらのことなどかまっていず、今度とは本当に比較になりませんでした。
父が急逝し、国男は俄に家と事務所を背負ってすっかり神経質になり、寿江子も境遇の激変から妙になって、兄を不信し、そんなこんなで私は帰ってからも相当でした。あなたとしては、うちのものに対しては、まあ何とかするからと仰言るのは分っているが、しかしというとこまでは決して心の歩み出さない人々だということを痛感し、それで、父の死後私の名儀のものが自分のものとなったとき、全部手ばなして又あのあいまいな、わけのわからないいやな思いをしたくないと思ったわけでした。
必要な場合役にも立てないで、つくねておくようなら持たないにしくはないと、あなたはお思いにもなったのでしょうね。私は自分があんなにつめて心配していたのに、うちの連中は何ていう底ぬけかと思う心がつよくて、時期のくいちがいを御承知なかったあなたの方で、そんなものがあったのならとお思いにもなっただろう事情を心持として分らず、黙ってのこしておくこととなって、行きちがいをおこしたのでした。
考えてみると、暮しのやりかたが本当に拙劣であったと思います。しかし前の時は私はやっと原稿料で生活していただけで、その日ぐらしで、自分のいなくなったときの考慮まで出来ていな
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