私はそのちがいの間にこめられている事情を察していただけると思い、よかったと思っていたのでした。ちがいを説明しにくく、自分の気持だけ言い、二つを並べて客観的にお話出来なかったのは悪うございました。客観的な事情というものはわかっているのだから、二つをはっきり並べて話せなかったのが私のしゃんとしなかったところであったと考えます。
 自分の健康にほんとうに自信があるならば、病状についても平静に、さけがたい腫物はどう出来ているか、を話した筈ですから。御免なさい。私は骨髄癆になっていない自分をつたえたくて一方の事実を糊塗したようになり、そういう作家としても強靭さの不足したような、眼光の透らないようなところ不快にお思いになったのは当然であり、すまないことでした。私は子供らしかったと思います。自分の告げたいことだけを息せききって喋るように。話したい方からだけ、話しいい方からだけ話すというのも、態度としてはなっていないことだし、リアリスティックでなくて。本当に私たちの生活で、私はいつも平静な現実的な勇気をもっていなければならないと思います。余り長くなるといけないからここまでで一区切。今寿江子はコウヅ。ペンさんは旅行で、一切書きかたは中止中です。

 四月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 次の日かきつづけるつもりであすこ迄かいたら、三日休業になってしまいました。きょうはすっかり春めいて太郎は庭で土いじり。白木蓮の花がさき丁字の花がにおって私は久しぶりに外へ出て柔かい庭の土を歩きました。昔秋、田町の道の上でかぶっていた白いパナマの古帽子を日よけにかぶって。この頃は、でも、疲れると何も出来なくなり、おとなしく床にころがっていられるようになったから自分でも安心です。
 横になってゆっくりとあれやこれやお手紙について考えて、臥たのも大変よかったと思って居ります。あなたがああ云って下さることのうれしさがしんから湧いて来て、段々仕合せを感じ、すがすがしいような健やかな流れを身のまわりに感じます。この節はどこもバタバタ暮しです。そして人と人とのいきさつは、互の好都合というところで廻転して、その点ではいつかいやにわかりがよからざるを得ないようになって、夫も妻も、一寸山内一豊の妻めいた才覚が働くと、一も二もなくそれに兜をぬいでしまうし、ひどいのは猿まわしの猿つかいのようになり、小さい黒い手で猿に借金もかき集めさせるという有様です。そうして人間らしさはいつしか急降下しつつあります。あなたが、どんなときにも、私に人間のまともさだけを求め、便宜や好都合のために私の動くことをちっとも予想もしていらっしゃらないということは、こういう時勢の中で、全くおどろくべきことであると深く思います。自分がそういう醇厚なこころのうちにおかれてあるということについて、私は謙遜になります。そして、それがわかっているようでわかっていなかったようなところをさとります。そのために、下らないことでさっぱりしない気持におさせし、話の底がわからないという感じをもたせ、すみませんでした。これは、私の安手なところから起っていることで、私にそういうところがあるということについて悲しく思います。自分が、あんこ[#「あんこ」に傍点]で云えば飛切り上等というところまで火が入ってねりがきいていず、ざらついたり水っぽかったりして、それを味わうとき、あなたの胸の内側はいやな思いでしょう。人間の資質は何というおどろくべき等差をもっているでしょう。人間の立派さというものの立派さは、それを理解する能力はもって生れたものでも、その能力が直ちにその立派さと等しいものではないという厳然とした堰があります。杉は愛すべき樹ですが檜ではありません。杉が自身の杉のねうちと分限を学び、檜の美しさ、まじりけない立派さを知ったとき、杉はこの地上のゆたかさにどんなに心をうたれるでしょう。その立派さを見あげ感動することの出来たよろこびを感じましょう。だがその身内を流れる涙があるでしょう。檜に生れて見たかったとは思わないでしょうか。傲慢な希望ではなく、生れるならよりよきものと存在したいという希いから。深い幸福感と感謝と悲しみとが一つ心の中にあります。
 十三年に、生活に対する態度のこととして、こまこましたものを処分するようにということでした。そして一部そうしました。当時の生活の必要もあって。そのとき自分たちの生活の条件の不安定なことを考え、私がいないときどうであったかを考え合わせ、私がいなくてもいくらかでもゆうづう[#「ゆうづう」に傍点]するものがありさえしたら、それを送ったりするだけの親切はうちのものも持っているだろうと思いました。十三年には書けなくて困却した年です。当時国男は今日ほど物がわからなくて、私たちの生活を一つのものとし
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