か足して山へゆけたらと考えている次第です。一日五六円のところを物色していて、十三年に行った信州の上林のせきやを問い合わせ中です。これとてもあなたが東京をはなれたって意味ないとお考えなら、ひとりできめて意気ごんでいるわけでもないのです。七時間位の汽車は外景を余り見ないようにしていたら大丈夫そうに思えているのだけれど。誰か送ってだけ来てくれたらば。
今度のことは、大東亜戦になったらばとリストがあって、それにより二千人近くだった由です。元のときすぐ保護観察というのに附せられ、最初の係が毛利という警視庁から行った人でした。いろいろのいきさつから私への点はからいと見えて、私の態度が私にはよくわからない理由でよろしくないという書きつけが出来上り、書類はひきつぐし一昨年七月頃一寸別のかかりの検事のひとと論判めいたことがあり、リストは消されず十二月となったわけです。検束で二ヵ月いて、この頃は検事拘留で一月三十日に拘留がつき、三月まで『明日への精神』のなかにある山本有三論の字句、スメドレイのことをかいた文章のことなどでぐるぐるまわりの話があって三月に入り、うちのものが私の健康のことを心配して出かけたりしたことがありました。そしたらすぐそちらに廻り、一ヵ月余音沙汰なしで、話は又同じ題目で、どうしても私は一定の主義に立って物をかいていると云われ、そういうわけでないという常識論は通じませんでした。そのうちかかりの検事が見えましたから、私は自分に要求されている返答がどうもしっくりしないで困ること、しかしそれをそうでないということが即ちとがむべきことというのでは当惑すること、書いたものの実際についてよめばひろい観点でかいていることがわかる筈と話しました。検事はおだやかな判断で、私が書いたというために色眼鏡で見ているところもあり、私という人間を特別な先入観で名から見ているところもあり、気の毒だと思うところもあるが、作品はところどころ難点がある、という話でした。しかしグループをもって活動しているわけでも組織をもってそれに属しているのでもない人間が治維法にふれることはないという話でした。
それから暫くして聴取書がこしらえられはじめ、手記にかいたような経歴などのところで私がひっくりかえってしまったのでした。手記にかくこともないから手記もありませんでした。聴きとりが終れば病気にならなくてもそれで帰れるわけでしたと思います。「カテキズム」ですから話にのぼった作品の箇所へでもゆけば誰のかいたどういうものかと思うような字句であったろうと思います。検事が私の病気を知ったときすぐ執行停止にするからもうゆっくり静養しろということだったそうです。この検事はどこかの軍政官に転じ、本庁の係だった河野という人も南方へ行ったとかいうことです。それきりでずっと何の沙汰もなく、臨床の訊問もなく、検事拘留一ヵ年の一月が過ぎ、二月下旬に駒込の特高の人が来た時、私は自分がどうなっているのか判らないけれどもと質《たず》ねたら、もうこのままでいいんでしょうということでした。旅行に出るなら自分の方へ一寸知らせてくれればそれでよろしいとのことでした。検事局へ届けたり何かは不要とのことでしたから、これで一応落着し手を切れたものと理解しているわけです。
忌憚にふれるものを強いてかこうともしているわけでなし、私がものを書いてゆくことは原則としていけないというわけではないのです。『茂吉ノート』は著者が同じ頃からいろいろとごたついた最中に出版されたのですし、本年に入って新版を出しました。自分としては社会時評や女性生活問題はむずかしいから、古典作品の研究、たとえば明治以来の婦人作家研究をもっとさかのぼり、それをまとめたりする仕事はよいだろうし、文学美術に関する随想はいいのでしょうし、小説は今度も一つも問題になったのはないのですから、小説も段々かきたいし、と考えているわけです。経済的な点で、勿論書くもので儲かろうとは思えず、出版部数も多くはなく不便はつづくでしょうが、全く可能のないものとしなくてもいいのではないでしょうか。隆々と活動するというアブノーマルなことを考えず、芸術の領野で地味に手がたく勉強して、それがいくらかの収入にもなるということはあり得るでしょうと考えますがどうでしょう。そういう風に考えて行って作家としては自然でないでしょうか。ろれつ[#「ろれつ」に傍点]がよくまわらないから大勢の人前で喋ったり坐談会などは本当に不可能ですし、あれこれの旅行も不可能なのですし。もっとも、そろそろ書けるようになったとき、又何がどうなって来るか、それによってどんなに状況が変るかはそのときのことですが。
私の養生ぶりがしゃんとしていなかったということ、そして話とちがったというところ、悲しく、何度もくり返し拝見しました。
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