たところが出来ましたから。先の入院の前後の心理と今の気持とのちがいには種々まだお話していない原因があり、それはやはり何か意味があると思いますから、この次に。(価値ということではないけれども。)それにつけても、どんな工合でいらっしゃるでしょう。メタボリン送らないでいいでしょうか。隆治さんの赤痢の話は、岩本のおばさまが、赤痢だったそうな、とおっしゃってでしたから。アミーバでしょうから又ことし発病しまいかと気にかかったのです。長くなりすぎましたからこれでおやめ。

 七月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 七月二十一日、きのうは、本当に安心し、その前何となし眠りにくい夜を重ねていたので、半分ぽーとしてかえりました。出かける頃もうポツポツしていたのが、護国寺でのりかえるときは相当になり、団子坂で降りたらザアザアなの。もう古びたボクボクのキルク草履はいているのが水を吸って、草鞋《わらじ》に水がしみたように重いし困って、交番の裏にある電話かけて下駄もって来て貰おうとしたらボックスに人が入っています。仕方なくそこの三角になったペーブメントのところに佇んでいたら夏服着た少年がちょろりと出て来ていきなり「僕傘忘れちゃった」というのよ、太郎なの。大貫さんと映画見に行って、これもふられてかえって来たところ、というわけです。そこで、私の傘を二人にささせて、下駄をもって来て貰うことにして角の八百屋の軒下に居りました。雨は猶々ふって来て着物の裾をぬらし足をぬらし。それでものんびりした気持で濡れて待っていました。
 やっと、すこしは道理に叶った養生がおできになるというのは、何とうれしいでしょう。本当に、何とうれしいでしょう。引越しなすったというのをよんで、心に栓がつめられたようでした。暑い暑いとき、傘をさし白い着物を着て、あちらの入口の鉄扉の外に立っていて、そのままかえったりしたときのことは忘れられないのよ。それに、自分がひどい病気をしたら、看病して貰うということについて感じが細かくなって来て、この前のように、漠然と心配というのではなく、もっともっとずっと細かく具体的にいろいろ思いやられ、不如意もわかりいろいろわかり、一層閉口いたしました。全く、丈夫な人が病きの人を思いやる時は、大づかみで楽天的で、何となし何とかなるやっで呑気でいいことね。私にとってそういうことは、もう二度とかえらぬギリシア時代[#「二度とかえらぬギリシア時代」に傍点]よ。ですから、私を哀れと思い、どうぞ現状維持を最低のレベルとしてお願いいたします。おっしゃったキロね、換算したら相当のものでした。十五キロが四貫でしょう? だからね。その位ならブランカにふさわしきというところでしょう。
 昨夜月が皎々と輝いているのに青桐の葉をそよがせて白く雨が降っているときがありました。お気がついたでしょうか、もう割合おそかったから眠っていらしたかしら。私は、眠れる筈だしいい心持だのに、眠れず、白い蚊帖が風に微かにゆらめくなかで、その月と雨とを眺めながら横になって居りました。風にゆらめく蚊帳というものは大変抒情的よ。心も一緒に風にゆれます。うれしいやさしいゆらめきもあるし、心配なときは、かすかにふくらんだりしぼんだりしているのを見ていると、あはれ、わが愁にも似たるかな、という風でもあります。
 八月一・二日とおっしゃったとき、何だかあぶなっかしかったのを、暦みたら、土、日、よ。虫が告げたのでした。そうすると、三十一日か四日ね。三十一日になりそうです。
 きのう、いろいろのことお話する間がなくなってしまったけれど、あのとき栗林氏に会ったのでした。よその人の用で来たらしく。よろしくとのことでした。用事のこと改めて云っておきました。いやにお辞儀丁寧にして。わたしはお辞儀はもっともっとお粗末でいいから事務をちゃんとして欲しゅうございます。
 小説の原稿きっとかえしてよこすでしょう。旧作で、意にみたないからかえしてくれと云ってやりましたから。
 寿江子はいい工合に大した悪いものではなく、もうパンたべて居ります。国男はまだ床の上。
 私は八月も九月も、どこへも行かないことにきめました。そして八、九月は、外出の用もいくらか片づいたらよく本もよみ、眠り、そちらへ出かけ、大いに楽しく過す決心しました。一寸したわけがあって。もうどこへ行こうとも思いません。ドカンドカンとならないうち、私は歩ける往来は十分歩いておきたいと思いますから。そうきめたら却ってあくせくしなくていい気分です。御賛成でしょう? 私たちにとって快適な暮しかたというものは、大体そう型は変らないのですね。自然そうなるというなりかたが、私たちの暮しから湧いて来るのだわ、結局。あんなひどい病気して、こんな眼になって、世間並ならマア避暑というとこ
前へ 次へ
全110ページ中53ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング