ますが。
岩本のおばさま昨日八時頃帰国されました。いつおかえりになったか知らないでいるのは気持わるいからハガキできき、しかし昨日は防空演習もあった日で、私は一人で東京駅までゆくの困ったから電報を出して御出発の挨拶をしておきました。本当に目に見えるようよ、島田のうちの、あの裏庭の見えるところにお二人が坐って、あれこれ、話をしていらっしゃる様子、友ちゃんが台所の土間でコトコト何かして、達ちゃんがアグラの中に輝をかかえたりしている様子。お母さんには前に草履お送りいたしましたから、おことづけのおみやげはなしでした。きっと、私がすこし小ぶりになったということは忘れずお話しになるでしょう、この間明石さんに行ったときも、おばさまったら横からそれはそれは熱心に見ていらっしたわ、面白いのねえ。あれだけの実際的経験や知慧が、すべて全く常識の上をクルクル廻っているのは。だから多賀ちゃんの結婚のむずかしいことについてなどは、ただ、あの子は生意気、理想が高い、と云う一言で、決して他の事情へ頭を向けようとなさらず、多賀子が島田にいたとき、それを苦しがって手紙よこしたのもわかるようでした。ほんの一寸したこの間のお話の間でも。細く軽くて、実におまめよ。お母さんのボリュームのある活動性と比較して興味があります。お母さんの活動性は重厚で、思考力が伴われていて、おつむりももっと力があり、立派です。岩本のおばさまの方が云わば女性的であり、お母さんの方は男性的な骨格の逞しさがありますね。この頃私はこの女性的[#「女性的」に傍点]ということについて深く感じて来ているところがあるのよ。一流の学者、芸術家が、何故女性に少いかということにも通じて。女のひとで、自身の人格のうちに、自分を引っぱり発展させるデモンをもっている人は実に稀ですね。よしんば、男と同量の其をもっているにしろ、自由に切磋琢磨する機会を失っているうちに、その可能も萎縮して、境遇の範囲の形に従ってしまうのね。いい意味にも男のようにはめ[#「はめ」に傍点]をはずせないのね。真の創造的野心というものは持たないのね。内在的なもののバネが小さくて弱いのはおどろくべきものです。しん[#「しん」に傍点]から自分の動機というものをつかんで生活して行く力は、そういう生活を実現してゆく創造力は女にすくないのね。身なりをつくるのでさえ女は、大抵とり合わせ[#「とり合わせ」に傍点]、出来ている、あれとこれとのとり合わせ、つまり趣味というところで止っているのですものね。そして其は金で買えるものに多くつきています。
私がここに暮して、段々馴れて、女の人たちが、自分を出して来て、それで痛感するのよ。素質の悪くなさなどというものは、何と其自体ではたよりのないものでしょう。日常の弛緩した生活は、目にも止らぬ、而も最も本質的なところをドンドン歳月とともに蚕食してして[#「して」に「ママ」の注記]ゆくものなのね。若かったときの無邪気なよさ、善良さなどというものは、年を重ね、知らないことは知らないままに止って、つまり無智なまま、そこの生活にある癖に沿って厚かましさや口先だけや無関心を加えて行くのね、あなたが、折にふれてはあきず反覆して、素質はそれを展開させる努力のいることを書いて下すったわけだと思います。実にそれを思います。素質の浪費ということは音を立てないから日常心づかないが、もし其がプロペラアのような響を立てて警告してくれるものなら、目も口もあいていられぬという状態でしょうね。人は何と自然の生きもの、謂わばけものでしょう、自分の一生が二度とないという、こんないとおしい愛惜してあまりある時間の枠に規正されている命をもちながら、ほんとにのんきに、無内容に、動物としての命の動きのままに動かされて、大ボラをふいたり、大ウソをついて威張ったりして、動物のしらない穢辱と動物のしらない立派さの間に生き死にしてゆく姿は、何と滔々たるものでしょう、その滔々ぶりに、人間万歳の声を声を[#「声を」に「ママ」の注記]あげる人もあるわけでしょう。そして又、人間だけが、現実の大きな虚偽の上に、真心からの感激と献身をもって死に得る可憐なるものです。逆にいうと、人はどんな人でも、命をすてるときには、その命に、自分で納得し得る最大の価値を感じて死のうとするいじらしい、人間らしいところをもっているのね。無駄に流れて来た時間の或る瞬間、駭然として無駄であり得ない死を感じる人間の心は、非常に私たちを考えさせます。そういう瞬間に会わないと、活《カツ》の入らないような心で、作家たちさえも生きて来ていて、そういう瞬間の自覚を人間性の覚醒、生の覚醒という風に感傷するのね。昔、川端康成が、北條民雄の癩病との格闘の文学を、ヒューマニズムの文学、生の文学と云って、私は川端の甘さを不快に思った激
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