った当坐、太郎は馴れずお客のように思っていたのよ。それから病気して、病人は子供が気味わるいらしく敬遠していました。それからすこし治り、一緒の御飯たべるようになり、Tが全く無規律な生活の感情の中で育っているのを見て、私はひどく不安になりました。好きなこと云ってごねるのよ。咲はああいう性格ですから愛情一本で世の中へ男として出た場合という大局は考えにくいのね。目の前なの。それで国も自分を支配する能力はちっとも発育させず成長して、やっと四十越して世間に出てすこしずつ耐忍も出て来た有様です。自分の心を自分で持てない人間を私は一番おそれます、男も、女も。一番箸にも棒にもかからないものです。
そこで暫く私はなかなか厳格なおばちゃんとなったの。国男がくってかかるのよ。可笑しいものね。
それの後にも最もいい段階が来ました。その誘因はあなたにあるのよ、それでこの話もいくらかあなたにも面白いだろうと思うのですけれど。二月末頃でしたか、私たちの経済のやりくりのことについて長い手紙かいたでしょう? あのとき私は強く強く感じたことが一つありました。それはあなたのお手紙に、一つも御自分の便利とか好都合のためとかで物事を判断したり評価したりしているところがなく、全くものごとの正当さと私という人間の正常な成長のためだけにものを云っていて下さるということ。それはあのとき私を深く、新しく動かしたと同時に、何か根源的に一層私はあなたがわかり自分たちというものがわかり、自分が分ったのです。まじり気のない人間関係というものが沁々とわかり、これまで分っていたことは、まだ皮相であったと考えるようになりました。そして私の心には、つきないよろこびと、理性に立つ従順といよいよ大きく深い信頼とがもたらされました。私たちの実質はこうして一段と純化され、そのものらしさに近づいたのでした。
いろいろこの味いつきぬいきさつを考えてね、私は自分があっこおばちゃんとして、太郎にどんな信頼を与えているだろうかと反省したのです。あの時分から私は人間関係の窮局の土台は最も強固なものは、よろこばしいものは信頼であるということを痛感していたので。
子供は謂わば道徳以前で、生物的な意味で自分本位ですから、只禁止の表現で何か云われても積極なよろこびで理解出来ないのね。それで安直に大人は甘やかしてしまって敗北の旗をあげるのでしょう。私はそのことに心づき、太郎が私にものをたのみ、私がはっきりそれを約束した以上は決して変更しないという規律を自分につけました。そのうちに、お産の留守があり、温泉ゆきの留守、国府津の留守とつづき、私が毎朝太郎と共に起きてやり食事の世話をしてやり、私は太郎を全く十歳の男の子として扱いました。ふさわしい人格を立ててやって。
段々私たちのうちには先輩と後輩の関係が出来て、それが一番自然でいい絆となりました。自動車の機械について訊くのは父親です。本のこと、星のこと、その他種々雑多なことをきくのは私です。いつの間にか私が本をかくお仕事ということも知って来ているのよ、何冊書いた? ときたりしていました。ボーっとあなたのことも知っているわ、宮本のおじちゃんとして。あっこおばちゃんの旦那様として。
ところがね、ついこの間こういうことがあったの。
問題は太郎がひっぱり出して来た一枚のゴザです。今ゴザや畳表は売っていず、家の畳はところどころ大ぼろで、女中さんの室はやっと私が見つけてやったゴザで藁をかくしている始末です。ゴザを泥にしいて遊んでわるく役に立てなくしてはいけないと云ったら何かの気分でビービーと泣きはじめました。そしたら咲が、あっこおばちゃんは何にも御存じなかったんだから、と息子に云いわけをしている。太郎は一層ビービー泣いて、あっこおばちゃんは怒りんぼだからいやだ、怒るからいやだ、とわめいている。母さん一言もなしなのよ。二階で私はきいていて、本当に怒りを感じました。そこで瀧の落ちるような勢でおりて行って、安楽椅子にはまりこんでいる太郎の泣いている腕をつかまえて云ったの。自分に都合のいいときだけ甘たれて、何でもして貰ってすこし気に入らないことを云われると、かげで怒りん坊だのというのは卑怯だ。全く男の子らしいことでない。一番ケチな人間しかしないことだ、と云ったら、ごまかしてきくまいとして、猶泣き乍ら、だって何とか彼とかわめくので、私は思わず太郎の脚をぴっしゃりと打ちました。そして、すきなだけ泣いてよく考えなさいと云って上って来てしまった。太郎は敏感な子で、その場に自分を合理化してくれるものがあると思うと、本能的にそこへ身をよせてきっちりしたところのない心持の子です。母さんは、私が息子を打ったということだけで上気《のぼ》せてプリプリしていたわ。うちの人たちは、気まぐれには太郎を叱り土蔵に入
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