す。最もひどいワナがそこにあったのよ、ブランカはロボーが全群に止れと云って自身では一つ一つとワナを神のような技でアバイテいるとき、ひょいと好奇心をうごかして牛の頭をいじくりに行ってひっかかったのです。興味津々たる話でしょう。ユリがこの話を非常によく心に刻まれているわけもそこのモラルもお察し下さい。詩の話は別便で。雨になって来たことね。

 六月二十八日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(紀伊田辺の風景の写真絵はがき)〕

 こんなエハガキ。いつか戸台さんという人がくれたものらしいと思います、紀州よ。きょうは(二十七日)うちのものは殆ど皆左腕が重いのよ。きのうチブスの予防注射いたしました。私は三回に分けてして貰います。三年ほど前そうして熱を出さずにすみましたから。隆ちゃんは赤痢をやったらしいのね、アミーバは年々おこるから心配ね。

 六月二十八日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(土畑鉱山倶楽部の写真絵はがき)〕

 このエハガキは光子さんという絵かきさんがもう六年ばかり前くれたものです。アメリカでどうして暮しているでしょうね、腰を据えた雨の音がして居ります。明日も降りでしょう。私は傘をさして出かけます。シートンの「動物記」をなぐさみによみます。スパルタの母のような女狐の話。黒い火のようなニューメキシコの野生鳥の話。なかなか面白く、人間の伝記のような波瀾と智慧くらべとに充ちています。あつい時読んでごらんになったらどうでしょうね。

 六月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(徳山小学校の写真絵はがき)〕

 これも古いハガキね、岩本の御主人はこの小学校から転任していらしたのでしょうか。あの徳山の黒塀の家へ、あなたが小さいときいらしたの? あの家には今誰か新任地の方の人が交換で住んでいる由です。私は盲腸がまだくっついていて、歩くとそれが痛く膏汗を出しながら徳山のお花見につれて頂きあの家へもよりました。座敷のぐるりに廊下があったわね。細い石じきの入口でしたね、私はあすこは余りいらしたことないのかと思って居りました。

 七月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(紀伊田辺・奇峡巖の写真絵はがき)〕

 七月二日。六月二十八日づけのお手紙ありがとう。あれへの御返事やその他書くのですが、きょうは大グロッキーで一寸一筆。三十日の夕刻、岩本のおばさまを北沢にお訪ねし、初めての遠出でクタクタになって帰ったら国男の入院さわぎで夜中バタバタやり、きのうは木曜日だったので根をつからせ、きょうは永い手紙がかけないの。国男は腸です、流行性の。血液を出したのですが、いいあんばいに大したことなく他にひろがりもしない様です。消毒は完全。こわいわね。

 七月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ルノアール筆「カーニュのテラース」の絵はがき)〕

 ルノアールは水っぽい絵かきだけれども、この間見た村の水浴場の写真はおやと思うようなものでした。これはやっぱり例の赤っぽいものらしいことね。シャボンのこと、あなたの衣料切符はここへ寄留して取りました。が、シャボンは誰にも一人一ヶではないのよ、たまに九人に四つずつ浴用、洗濯が来るだけです。そこに居住していなくてはダめなのよ。これには閉口いたします。どこでもひどいやりくりで私はこの頃顔は洗粉一点張です。

 七月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 七月四日(日曜日)
 けさ二日づけのお手紙ありがとう。この間うちいろいろの用事がたまってしまって。先ず用事から。シャボンのことはハガキで申しあげた通り。衣料切符その他のことの必要から私たちはここへ寄留いたしました。シャボンその他日用品は不在だから配給なしなのよ。
 白の浴衣のことわかりました。ねまきお送りします、とハガキかいて包みかけたら何となく洗濯がさっぱりしていなくて心持よくなかったので洗っていておそくなりました。それから白地のふだん着は大分汗やけがしていてすみませんが、今年はこれで御辛棒下さい。来年はちゃんと縫い直しますから。それでも本当の木綿《モメン》がいいと思ってこれにしました。この雨があがったら送り出そうと思っているのですが、今になってよく降ることね、本梅雨ね。
 栗林さんのこと、わかりましたろうか? 閉口ね。私は悄気ているのよ。それから日光書院も、これ又とんちんかんね。ところが、ここ迄書いて、円い焼物の状差しをさがして受領書見たところ、トンチンカンはペンさんもあずかっていて、これには麗々しく月刊講座とあります。ダダと下へおりて行ってズーズーと日光書院呼び出したが、音沙汰なし。日曜というより電話こわれているらしいの。又あやまらなくてはならないのは何と辛いでしょう。だからペンさんはもうおやめでよかったのよ。心此処に
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