、縫物の方はそれも出来ず人頼みの哀れさです。その上今年は秋になって私が起き出してから冬物を手入れしはじめるさわぎでしたから。
国府津行きのことは、私に関する色々の事情を考慮して行かないことに大体決めました。田舎は案外にきゅうくつな時代になっていますし。あちらはずっと管制の状態です。反《かえ》ってここでなんとか家のゴタゴタを受け流して、二階で日なたぼっこでもしていた方が、万事につけて安静の治療が続けられそうだということがわかりました。第一今のところではまだとても汽車には乗れませんし。こちらの家へ何とかして、もう少し人手があるようにして、私が呑気に二階にいられるようにすれば何とかやれるでしょう。十二日朝、寿江子は沓掛へ出かけ、家中は少しホッとしています。御本人もあちらでここの空気はいいと言っているでしょう。十六日、十七、十八日は休み続きなので、国男さんは太郎を連れ、若しかしたらば沓掛へ行きそうです。そしたら今年は休養祝日というわけで、十七日は今にも身のこぼれそうなああちゃんと二人で、のうのうとした小さい祝宴をはるつもりですが、今夜の様子ではどうなることやら、国ちゃんに何か野心が出来たらしい顔付です。
今月一杯には冬物がすっかり入るようにしたいと思います。大事な下着類はそちら、ここ、もう一ところ、と位に分けて灰にならない用心をしたいと思います。結局今は綿や木綿、毛糸が財産で、あなたのものだけはなくしたくないと思います。
「祝い日」その他は、全く私の心にある一日がきっかけとなって出来たものですが、この頃のように、ものが書けず読めずにいると、次々にわく感情が自分にとって、一番宙で覚えやすい形をとり、自然とああいうものになります。今の表現の必然のかたちで、十七八で書き始めたのなら末が心配だが、一遍死んで亦生きて、そして字がかけないから心にかかれたものとしてああいうかたちをとるなら捨てたものではないと思います。これからも出来る間は続けましょう。ですから自然作品としての一つの部分をもなすわけで、いつかお気が向いたら文学作品としての感想をお聞かせ下さい。それが聞いてみたいだけまだ馴れずおじおじとしたところがあるのですね。
もうそろそろやめなくてはね、あんまり机の上のコスモスがきれいだから二輪ほど封じ込みます。
十月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 中西利雄筆「樹間」(一)[#「(一)」は縦中横]、福沢一郎筆「道」(二)[#「(二)」は縦中横]の絵はがき)〕
(一)[#「(一)」は縦中横]綿入れやどてらが遅れて何と気になることでしょう。月中にはお送り出来ようと思います。夜着は今のでは冬が越せますまいから、厚いのが出来次第お知らせ致しますから、暫らく不自由をして頂いて、小夜着を下げて入れ替えましょう。ところがこれが又来月仕事でね。冨山房文庫はついでがある毎に気をつけてみていて店も調べましたがありません。忘れては居りませんから。毛糸足袋の専門家は今年赤ちゃんがいてだめだから、家で下手な繕いをしてお送りします。今日夏ブトンはまだ下って居りませんでした。これは用事ばかりの葉書ね。風邪はお治りになったでしょうか。
(二)[#「(二)」は縦中横]今日はペンさんがわざわざ手紙の為に来てくれたけれども、くたびれていて少し熱っぽいから手紙の方は中止に致します。二十日に書いて下すった手紙に対して、私はよほどお礼を言うにも声に力が入ってしまいますから。今日の熱は別名を蒲団熱と申します。この二三日やっと冬の掛蒲団が出来て、今朝送り出したい為に、私は昨日一日「蒲団の様な顔」をしていたそうで、その疲れです。勿論明日は大丈夫。毛糸のジャケツ上下。手袋。お金。封緘。ビタス。等、明日発送します。くわしく又手紙で。十七日は奇想天外の一日でした。用事帳は早速こしらえることになりました。
十月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕
十月二十七日(今日はああちゃんの出産予定日なり)ですけれども幸い今のところは平穏無事で丸いお腹は納っているので、私達は二階で何日ぶりかのゆっくり手紙書きを始めました。
今日はいい秋日和。空気がカラリとしてほっぺたがぽっと暖かいような日。こんなにいいお天気だと如何にもいい気持だけれども、私はまぶしくて自転車に乗って庭を廻っている太郎の顔なんかは真白な光の塊りにみえます。そこで思うには、昔の人が仏に後光がさしているとみたのは、きっとだいたい貧しい人で、少し眼が悪くて、自分たちの不運をお助けあれと願った時、きっとそれはピカピカ光ってまぶしくて白く後光がさしているようにあらたかだったのでしょうね。馬鹿な詩人は少年の顔から後光のさす浄かさを感じるかも知れないわね。ところが太郎は健全なる人間の子で泥まみれよ。
さて十六日のお手紙へ。
ビタミンBは一日の必要量は四ミリだそうで、私はメタボリンの六号を注射していて、それは五ミリです。一日置きに十ミリずつと、Cを十ミリ位ずつやっていますから、B1[#「B1」は縦中横、「1」は下付き小文字] の服用は今のところ必要はないそうです。咲枝さんが入院してしまうと、私は奥さん代りで気が落付かないから、一日置きに先生に来てもらう事はやめて、その間はメタボリンの錠剤とレドクソン(C)を飲み、若しそれで故障がなければ、来年の二月位までそれでやって、春から夏に備えてまた注射を始めようか、と思っています。お出で下さる先生は、所謂うるさ型で細々したくだらないことが気遣いのような質の人です。例えば自分が注射してもらっているのに、お茶菓子の心配をしているというようなのはいやですから、咲枝さんの留守はおやめです。一回十円も安くないしね。(然しこれは博士とすれば割引ですから苦情は言えません)この先生は親切は親切ですが、長年開業医としてだけ暮してきた生活態度がしみついていて、勉強好きなのも一種の穿鑿《せんさく》好きのようなもので、学問と生活態度とが散り散りばらばらです。やっぱりそういう風なのね。利巧すぎます。世間智がありすぎる。うちではその点いくらかへきえき[#「へきえき」に傍点]しているのですが。悪いお医者ではないけれど。
眼のことは色々本当に有難う。あなたは私が少しずつよくなっているのを御覧になれないから全くお気の毒に思います。御心配下さる点は医学的にははっきりしているのだそうで、軸性というのは眼球外という意味なのだそうで、それは眼底を調べれば明瞭にわかる特色を持っているそうです。若し今日まで一寸も進歩しなければ不安なことだそうですが、少しずつよくなっていれば、それが順調で標準は四五ヵ月から半年で、それは特に眼や頭を使わない人での話だそうですから、恐らく私は十ヵ月はかかるものと思いましょう。ペンさんがその間にお嫁に行ってしまったら一大事だけれども、それならそれでしかたがないからうんとお祝いでもしてやりましょう。今も数えればまだまだやっと三ヵ月ですもの。私はその位度胸をすえて居ります。
胚芽米、玄米のことは普通には出来ません。大体林学博士本多静六は妙な人で、自分は森林の値ぶみをしたりして、厖大なパーセントをとり、お金を作ったのに、雑誌へは一銭から貯金して今日の基礎を作ったというようなことを平気で書く人だから、色々のことが眉つばものです。この人が玄米食のことなんか言うと台所にはきっと小さいモーターの臼がありでもするのだろうと、自からカンが廻るのが自然です。今、私の受けている特配は、牛乳二合のところが一合、砂糖が〇・八斤、八百屋もの少々。バタ等ですが、八百屋が十一月から一日一人二十五匁ずつの野菜を配給することに決りました。二十五匁というのは小さいジャガイモ二個です。大きい胡瓜《きゅうり》は三十五匁もあり、お薯《いも》などは大きいと四十匁だから、こういうものは一日一本はあたらないわけです。魚は二十五匁が一日置きの予定のところ三日から五日置き。町会では八百屋が一日一人十五匁と言ったのを二十五匁に増したのだそうですが、一日置き、又は二日三日も飛ぶかも知れずなかなか台所はキチキチです。
オリザビトンは今後は発売されない[#「されない」に傍点]ということは、もう前便でおわかりになったでしょうか。代りの薬として、ユガマンと言っていたのはどうも聞きまちがえらしくて、二三日中にペンさんが近藤へ自分で行ってはっきり調べてきてくれます。三〇〇錠で十一円だと定価まで言ったのに、今度は人が行って一日の分量を聞いたらば、誰一人その薬を知らず、本までみてないというのは実に奇妙です。電話ではユガマンと聞えるし、こちらでそういうと向うにも正しい名の発音として聞えるのでしょうが、妙ねえ。自分で用事がたせないと狐につままれたようなことがあります。電話は何故だか苦しくてかけられません。
足袋カバーは修繕出来次第送ります。ジャケツは今年はごましお色のですが、灰色のは私の防空着に拝借致します。毛布のことは私としては泣きの涙よ。六月に寿江子に度々手紙でそちらの毛布を洗濯しないでよいかどうか念を押したのに、いいとおっしゃったということでした。今は世の中にシャボンが消えて、御用聞きがない時代だのに洗濯屋だけは争って二軒も三軒も入ってきて、持って行ったものは一ヵ月もかかって出来上る有様です。これからの毛布洗濯はかわかないし、きっと一ヵ月では寄越さないでしょう。寒い目を御覧になるでしょう。若しどうでもしなければならなければ、二枚続き一枚だけはいつかの虫食いを入れて下げて頂き、やりくりつくかも知れません。全くこれからの毛布洗いは苦労の種ね。
何しろ十六日からのお手紙の用事だからもうこれで一杯。十七日のことはどうしても別刷にしなければならない程珍らしい一日でしたから、ここで一休みしておやつをたべて、それから又ペンさんを酷使致しましょう。
十月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕
十月二十七日
さて愈※[#二の字点、1−2−22]《いよいよ》十七日の物語り。
あの前後お休みが続いたので、父子が沓掛へ行こうと言っていたらば寒いのが厭というようなことで十七日になりました。あの日は雨でした。相当な降りで。これは私達の十七日にしては珍らしいことでした。食堂へ行ってみたら早朝にかかわらず、佐藤先生が一仕事終ったという顔でお茶をのんでいられます。「まあどうしたの?」と其処にいる御夫婦を見くらべたら、泰子が夜半からひきつけて大さわぎをしているのに、林町のかかりつけの小児科医は、医師会のピクニックで皆出払ってしまっていて、私の先生に電話したら子供は診ないということで、そこいらの医者を紹介され、その人が取りあえず注射して、佐藤先生にわざわざ来診願ったところというわけでした。
去年の十月末ひきつけた話は申しあげましたね。成長の一段階毎にこういうことが起るらしくて、咲枝はショックでお腹があやしいし、父さんは明方からの骨折りでクタクタだし、私が気をもんで動き廻るという有様でした。こういうことがあってもこの節は買出しに行かなければ何一つお菜がない。然し人手がないから行けない。御飯の心配があります。ともかく十七日なのだから、私としては少くとも何かしたくて、晩の御飯でも言いつけようとするが、うなぎ屋にうなぎがないのよ。支那料理も鯉どころか、食用蛙の天ぷらが、とりに行けば幾人前かは出来るという有様です。
泰子は体中をけいれんさせて、歯の間にお箸をたてて(舌をかまない様に)いるのに、蛙をとりに書生さんは出せないから、では菊そばへ、というわけで、やっとあやし気な天丼にありつきました。一円の天丼がいかの足を細切れにしたもの一つ位がのって居ます。
雨はざんざ降りで、皆こわい顔をして心配して動いているから、太郎はビービーで私は大変かんしゃくをおこします。そして太郎に、しっかりしろ! と言います。夕方泰子の薬を取りに船橋まで雨の中を行く書生さんについて太郎が出かけ、その時は小さいながら少年ぽくて愉快でした。
夕飯前にペ
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