この人の年の生活なんかを考えると、他人の世話をやかせて自分の気分を始末するということも変に思われますが、体が弱いという事実と、そこから生じている自分の習慣は一朝になおらないものでしょう。勝気な女の子が病気をすると、多賀ちゃんにしろ、自分の気持を支配して行くことが反って一苦労らしくみえますね。十七日には、私は大変珍らしいものをお目にかけようと思って、盛んにこっそりもくろんでおります。一寸想像がお出来にならないでしょう。勿論この節ですから、食べるものでも着るものでもありませんけれども。あと何行? もう三行よ。さあ何を書きましょう! 今は白い紙の反射がまぶしいから、例の色レンズをかけて物々しい姿です。今日は二階がきれいになって、大分気持が楽になりました。
十月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕
十月九日
もう素足がつめたいので、びっくりしてそちらにあげる小掻巻の肩当をつけたり衿をかけたり。御存じの通りこの頃は元のようなビロードがなくなっていますから、顎にふっくりとあたる着心地の為にはやりくり算段例の如し。ペンさんが手伝ってくれていたので六日附のお手紙は七日についているけれども、定例で一日置きの今日来てくれるまで、私は目なし鳥でした。
ユガマンは三〇〇錠で十一円、当分切れることはなさそうです。一日何錠かは聞き忘れましたが、凡そ八錠位でしょうがちゃんと聞いてこの次お知らせ致しましょう。ADはそちらで買っていらっしゃるのでしょう?
タオル寝巻が別にもう一枚あったというのは安心の様ながっかりの様な工合です。何故なら、あれは天にも地にもかけがえなしと思って、私の蒲団の上に伸ばしたりちぢめたり、ミシンでガチャガチャ半日やったり、おまけに私が上前と下前を取り違えたり、苦心と滑稽の交ざった誠に暖い生き物なので、それが領置でほとぼりがさめるのかと思うとがっかりの次第ですが、世間並の女房の言い草を真似れば満足なのが別にあったのは結構でした、と言うところでしょう。『微生物を追う人々』はまだ読んでもらいませんが、そのことは寿江子も言っていました、ああいう学者がコッホになって始めて学者らしい顔付になって、先駆者達はなかなか冒険者風の相貌をもっているというようなことも言っていました、先駆者達は世間学にも相当長けていたらしい風ですね、『娘への手紙』は上巻でも、おっしゃっている通りで、それは著者に資料がなかったというのとは違った原因で、あんなにポツンと切れたような章をなしてしまったのでしょうと思っていました。下巻も、恐らく理由は同じではないでしょうか。
『世界大戦』は二三日内ついでの時みてもらいます。
藤山のおばあさんは玉子と牛蒡《ごぼう》、ジャガイモ等をもってきてくれました、重いものをこの頃の込む汽車で大変でしたから、咲枝が半衿をお礼に送ると言って居ります、もう買ってあるけれど、例によって、サイドボードの上にのっかって居ます、咲枝の体も私の病気が却って幸せなきっかけとなってBの注射や心臓、腎臓の為に注射をしたりした為に、大変によくなって全身のむくみも取れ、やっとこれで普通のお産が出来そうというところまでこぎつけました。聖路加で始めいい加減なみかたをされていて、私がどうも気にくわないので水上先生に話している内に国男さんも厭がっていることがわかり、小鷹さんという曙町のお医者に紹介され、お互いに二人の医者が話し合えもするので大変いい結果になりました、家中安堵の胸をなで下しました、これで私の心配の一つは解決。この上は一日も早く寿江子が出発して、野でも山でも歩き廻っていくらか体をよくしてくれることが望ましいだけです。そして最後にはこの月中に何とか私の眼も少し改善してゆけばよいと思います。本が読めないので、片附けものでもするしかないところが、体が十分動かせないから今は苦しい時期で、三四日眠れない様な日もありました。全体とすれば勿論よくなっていて、眼もそれに従っているのでしょうが何しろ、のろいのでね、亀よりのろいわ。こちらも「急に」というのは大嫌いよ。この次若し「急に」があれば「急に」よくなるなんてことはあり得ないから「急に」死ぬ[#「死ぬ」に傍点]というのがおちで、そんなのは如何に私が楽天的でもあんまりでしょう? ですから大事にはして居ります、ただこれまでのテンポで現在がよくなってゆかないというだけです。
岩本の娘さんが奥さんになったとは、まあ、あの人は去年女学校を出たばかりよ、東京で買物のむずかしさで吃驚《びっくり》しているでしょう、お父さんお母さんの職業から人に物をもらいつけていて、シャツなど買ったことがないそうですから人間並の職業についている御良人なら結構です。もう五枚目だからやめないと叱られるわねえ、ペンさん、と言うわけです。夜着は月曜頃どうやら運べそうです。
十月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 小磯良平筆「バタビヤにて(人物)」(一)[#「(一)」は縦中横]、宮本三郎筆「印度の女」(二)[#「(二)」は縦中横]、脇田和筆「幼児」(三)[#「(三)」は縦中横]の絵はがき)〕
十月九日(一)[#「(一)」は縦中横]
器用な絵だことね。こういう絵をみると環境や歴史性がわからなくて不思議のようですね。描かれている女の人達は、でも皆んな真面目な自分の顔をしていて、それが取り柄です。この画家のジャ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の土人の踊りをスケッチしたものは、リズムがあって面白いものだそうですが、生憎そちらは売っていません。ペンさんがこういうものを心掛けてくれるので、私は随分楽しむし、そちらへもお送り出来ます。ペンさん同情して曰く、「代筆の手紙なんて気の毒だ、きっと読んでいるような、いないような気がするだろう」こういうことを言える人なんだからすみに置けません。
十月九日(二)[#「(二)」は縦中横]
この前の灰色の角封筒がそちらに無事つきましたか? この頃封筒の大きさが統制されて、十月一日から葉書の大きさがなければいけなかったのだそうです。汽車は石炭を運ぶために客車が減ります。お米は大分増収だそうで玄米食が再考究されています。今日は時雨《しぐ》れた天気で今もうそろそろ雨戸を閉める刻限ですが、五位鷺の鳴きながら飛んでゆく声が聞えます。そちらでも聞えたわね。ジャムの「夜の歌」という散文詩が面白く、カロッサの「詩集」では一つ二つ、大戦後の作品でいいのがありました。御覧になるでしょうか。
十月九日(三)[#「(三)」は縦中横]
この頃は理屈ぽく物を考える根気がまだないのと、字が書けないのでかかない文句を長く心に書いたり消したりしているのとで、私もどうやら少し詩人めいてきました。カロッサの詩では「生の頌歌」「避難」「未だ生れない者に」等が立派な格調を持っています。詩の句を書きたいと思ったけれども、それはまあ一寸おやめ。カロッサが心理主義にわずらわされてはいるけれども、大戦の後には初期と大違いな作品を書いていることは注目されます。今日という日をこの詩人はどんなに経験しているでしょう。そしてその経験が一生の内に若しもこの詩のように生かされることが出来たらそれは彼の一つの大きい幸いでしょう。
十月十三日 [自注3]〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
祝い日
愛するものの祝い日に
妻たるわたしは
何を贈ろう。
思えば われらは無一物
地道に渡世するおおかたの人同然に
からくりもないすっからかん。
健康も余り上々ではない。
とは云うものの
ここに不思議が幾つかある。
朝夕の風は
相当軒端に強く吹いて
折々|根太《ねだ》をも軋ますばかりだが
つつましい屋のむねには
いつからか常磐木《ときわぎ》色の小旗が一つ立っていて
荒っぽく揉まれながらも
何やら嬉々と
季節の太陽に
へんぽんたるは何故だろう。
夜が来て
今は半ば目の見えない妻である私が
少し疲れを覚え
部屋の片隅の堅木《かたぎ》の卓の上に
灯をともす。
焔は暖く 橙色。
憩っていると手の中に
やがて夜毎に新しく
一茎の薔薇がほころび初《そ》め
濃き紅《くれない》に ふくいくたるは何故だろう。
短く長いこの年月に
私たちの見てきたことはどっさりある。
歳月の歯車から
ほき出される あれや
これや を。
何と度々
愛の誓いが反古になるのを
目撃したろう。
その醇朴さが
却って ばつの悪いほど
辱しめられるのをも眺めて来た。
けれども
幼い子供たちが その遊戯の天国で
ぞっとするほど面白く
泣き出したいほど うれしいのは
何の魔力のゆえからか。
秘密は唯一つ
それは 幼な児の正直さ。
遊戯の約束は決して破らない
それの たまもの。
単純きわまったこのことに
妻なるわたしは
幸福の天啓をよみとる。
そうだ わたくしも
約束はやぶるまい 決して。
互を大切に いとしい者と思いあう
この おのずからなる約束を。
今宵も ひとり私は灯のそばに坐り
ひとしお輝く光の輪につつまれる。
やがて薔薇も匂いそめ
単純な希いが
たかまり
凝って
光とともに燃ゆるとき
愛するひとよ
御身の命も亦溢れ
われら鍾愛の花の上へ
燦然とふり注ごう。
真白き紙の上に
真白き紙を くり展《の》べて
黒い字を書く めずらしさ。
墨の香は秋の陽にしみ
一字一字は 活溌な蜻蛉。
古き東洋の文字たちは
次から次へと
ふき込まれる命の新しさに愕いて
われと我が身を あやしみながら
七彩にきらめき
いとしきひとの かたへと飛ぶ。
あしたのたのしみ
たった これっぽっちを
幾日もかかって
紙に鼻すりつけて書く可哀そうな私
半めくらの私。
いつも一緒に暮している声が
顔の近くで 斯う云う。
「ユリ そんなによくばらず
上書きだけは 明日のたのしみに
とってお置き
疲れた証拠に
息が こちらへ 触れる程だよ」と。
私はおとなしく うなずいて答える。
「そうしましょう
でもね
誰が
昔から
胸の動悸をはやめずに
愛したためしが あるでしょう」
[#地から8字上げ]一九四二年十月一日―十三日
[#ここから2字下げ]
[自注3]十三日――十月十七日、顕治の誕生日の祝いのために、半ば手さぐりで書いたはじめての自筆のたより。
[#ここで字下げ終わり]
十月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕
十月十五日
こんな妙な大きい紙をみつけ出しましたが、これは決して同じ二枚を大きい紙でもうけようというこんたんではありません。今手紙を書く紙がなくなってうろついていたら、ペンさんが気転をきかして自分のスケッチ帖を切って使わしてくれたというわけです。だから下のデコボコがあるのです。ここが金の綴目。こんな紙でこの頃の美術学生は勉強しているのですよ。絵具のホワイトもないのよ。木炭紙と木炭は多賀ちゃんまで動員して探してもらいました。
今日は十五日だからこれを御覧になるのはいずれ十九日頃のことでしょう。十七日に間に合うように、と出した手紙は思い通りに着いたでしょうか?
十日付のお葉書を十二日朝丁度夜具を届けようとしていた時に頂いて、とうとう催促されてしまったと悲しくなりました。出掛ける前にお葉書をみたからシャツとズボン下は届けられましたが、どてらが遅れて本当に御免なさい。縫っている人が町会で遺族案内を割合てられ、十九日まで仕事を出来ないことになったので、益※[#二の字点、1−2−22]遅れて二十日過ぎにやっとお届け出来るでしょう。
十七日の為にどてらがなくて詩があるなどというのは私の好みと全く反対で気まりの悪い程のものですが、どうぞ今年はそういう頓ちんかんを御辛棒下さい。何しろあんな大きいボタモチのような字は自分ですかしすかし書けるけれど
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