しが上前へ出てしまっています。あなたもこんなに風流なタオル寝巻は今迄一度だって召したことがないでしょうと思って我ながら唖然たりです。この手紙を書いてくれる人が私の床の横にちょこなんと坐って、昨日も長い間かかって天下無双の大つぎをあててくれ、私はその側にみえない眼に力を入れて「どう? 何とかなる? ありがとうね」とやっていて残りは今日にまわりましたが、忙しいところを来てくれるのだからせめて下拵えだけでも少し自分でやっておこうと大いに腕を振ったつもりのところ、どう感違いしたものか出来上ってみたらば御覧の通りの始末です。このつぎを御覧になったら、今日の世間にタオル寝巻どころかタオルそのものさえどんなにないかということがまざまざおわかりになりましょう。一枚お母さんの為に買ったのがあって余程それをお送りしようかと思いましたが、でもそれは五寸も短かいのよ、何時かやっぱりこの位短かいセルをお送りした時、気持悪がっていらしたからつぎつぎでも脛のかくれる方がいいでしょうと思って。上前のはぎのこと右の次第故どうぞ可愛がってやって頂戴。眼の御注意いろいろ有難う。遮光のことは自然に敏感で、色眼鏡こそ使っていませんが少しまぶしければ昼寝の時も眼の上に折りたたんだガーゼをのせているし、始めの間は、一日の内わずか数分だけそれをどけるという有様でした。乱視、近視の度のついたものはないのでかけずにいましたが国男さんの話ではレンズだけあって眼鏡の上にとりつけるのがあるそうですからそれならば、今でも例えばこういう白い紙をみてまくまくする時、使えるわけです。最近に買います。今私の使っているのはビタミン B1[#「B1」は縦中横、「1」は下付き小文字] とCの注射とお手紙で理研ビタスをはじめ、ADと合せ飲んでいます、眼底に充血があったり、こんなにまだ体が疲れて背中が亀甲形にひびが入ったような気分がするようでは十月一杯程注射がいりましょう。医者も悪い影響がひどく残っていることに驚いています。こんなにすらりと恢復しつつあるのに然もこの程度であるという意味なのよ。丸く堂々と雄大になった方がいいというところは、はっきりと読めたから不思議ね、国男さんに読んでもらって、それから又床の上に坐って、しげしげと読んだら、誠に心持よく合点がいきました。この頃は肩のあたりも幾分丸味がついてきて有望ですがまだ弾力があるというところまでは残念ながら遠うございます。腕や首すじの変に張ったところも追々治ってきました。パンパンにならないでもパッチリすれば結構でしょう? 口の方はあくびをかみ殺した時のような感じで面白い経験ですが少し改まると大分ぎごちなさがひどくなって(在留二十五年の日本語の上手なドイツ人の日本語)とお医者がうまく形容したような工合になります、発音しにくくなるのを、はっきり言おうとして耳にそう聞えるのでしょうし、こちらの疲れ方はひどいものです、ですからお客は生理的に御免をこうむりたく、今度ばかりはお客好きの私も願い下げです。御心配下さることもいらない程です。あなたのお薬のことは(日本ロッシュ)の方は月曜に調べてお知らせ致します。国府津は一応注射が一区切になって少くとも私の足が駅の段々をのそのそでも動けるようにでもならなければ、ガソリンなしの此頃行かれますまい。一緒に行ってくれる人のことは、私があんまり途方に暮れているものだから、この字の人が気の毒がって母さんと来てくれてもよさそうな話しが始まっていて、それなら私は実に助かるし気持も楽だし、仕合せですが然し、ここの人は性癖が強いから軽率にして折角の友達を不快にさせるのも切ないし、色々考えて相談中ですが、おそらくそういうことになりましょう。経済上の問題も、どうやら私達は私達で、自主的に一年位はやって行ける工夫をつけましたから重荷の一つは片附けたわけです、もう後は一日も早く丈夫になってゆくことで、私はどんなにその為に一生懸命な気持か申すまでもありません、そしてその為には色々気紛れなことで外から私の安静が乱される条件から離れたい気持が痛切です。頼りにされるのもいいけれどビタミンの様にA・B・Cの人がA・B・Cの訴えを持って来てくれるのは今の私の頭には少し荷がすぎる時もありますから。(これは内証よ)
島田の方はいつもちゃんと上島田と書いていますし、野原の方は西野原と書かずただ野原と書いていましたが、こちらの方はずっと着いていたようです、碌に書いたとも思わないのに、もうこんなになったから大急ぎで退却致しましょう。新聞が朝日その他月曜は二頁きりだったのが今度からは毎月二十五日定休日が出来るそうです。今夜はむし暑くなりましたから風邪お大事に。
十月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕
十月一日
二十九日附のお手紙が今朝着いて、明日まで返事が書けないなといささか悲観していたらば、ペンさんが私の薬の処方を忘れたのを取りに寄ってくれて、思いがけなく直ぐ書けることになりました。この紫紺色の小さい上衣をきた若い人は薬の証明書を「ある?」と言って食堂へ入ってきました。私は起きてお昼を食べようとしていたところで、寿江子は私の向い側にとぐろをまいて居り、太郎は庭へゴザを敷き板を並べ、ままごとをして、一人で其処で御飯を食べていました。ああちゃんはお産の先生行き。そういうところへ入ってきたのですが、こんな可笑しい言い間違いに今日の市民生活の全面が実にまざまざとうつっていてどんなに色んな証明書がいるかということが現れています。十年前に『クロコディール』鰐という漫画雑誌が出ているところがあって、何でもかんでも証明書、証明書というのをからかった絵がどっさり出ていたものでした。
そちらのお薬のこと。お送りすれば受取れるような手順がつきましたろうか?「強力メタボリン」は一日に凡そ八粒、それで四ミリになり、必要量だそうです。それから「レドクソン」は六粒で三ミリでいいそうです。「レドクソン」は二百五十粒が二十五円で凡そ四十日持つでしょう。受取れるようにおなりになったらお送りしたいと思いますから教えて下さいまし、勿論錠剤です。
用事のことがユーモア調だったということはわかっているのよ。あなたの方はその調子でやっていて下さるから助かるけれども、毎日の中では私がその調子を保つことがむずかしくて中々の修養がいるという次第です。多賀ちゃんのことは、割合都合よく運ぶようですからもう少し様子をみて、それから先のことを相談しようと思って居ります。母子で一緒に行ってやろうかと言ってくれる人も人としてはこの上ないのですが、周囲の事情があって無理が通らないので断念する方が双方の為らしくなってきました。そうすれば半年後でも多賀ちゃんに来られた方が助かりますが、まだ今の状態では多賀ちゃんに国府津のことは話してありません。どうぞそのおつもりで。
栄養剤は私も「ビタス」と「レバー」をのんでいます。昨日バイエルのAというのを(油状)もらってそれを牛乳に浮かして一日に十滴のみます。眼の為に先生が下さいました。注射は十月一杯続ける予定です。今日は十月一日でどっさり若い人達が入営しました。従兄達で学校を出て五日目に入営したものが三人います。隆治さんは本当にいくらか遅れるかも知れませんね。然し正月はこちらでさせてやりたいものです。私が外を歩けるのは来年の秋頃でしょうが、その頃までにどんなに世間は変っているでしょう? 去年の十二月から今日までに三段位に変ったそうですから。二年こもって暮すと仙人めいてしまいますね。でもね、世界を理解するという力は、あながちそれで苔が生えてもしまわないからいいけれど。では今日はこれでおしまい。マッサージの人が来ましたから。
十月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 藤島武二筆「ベラデスタの池」(一)[#「(一)」は縦中横]と「ベルサイユ」(二)[#「(二)」は縦中横]の絵はがき)〕
(一)[#「(一)」は縦中横]あーちゃんが二階上下することは、もう九ヵ月の体によくないので私が上に移りました。殆んど十一ヵ月振りでみる二階は、荒廃のあと著し、という工合です。ペンさんに手伝ってもらって、居る方の部屋だけどうやらまとめて臨時の机でこの葉書を書きます。家のように満足な体の人が居ないところは、めいめいが自分の体にかまけて、つまり一番普遍的に気のつく人間が病人になっていられないような可笑しい按ばいです。それと戦ってせいぜい安静を心掛けて居りますから。この絵に色が見えたらどんなにいいでしょう。光と音楽とが感じられますね。ドーデーの小説の中にこういう甘美というような描写がありました。小さい作品だそうだけれども、どこへ出しても大丈夫という格のものだそうです。今日寿江子さんが行って小夜着の話、わかりましたかしら? 夜は綿の入ったものがなつかしいわね。
(二)[#「(二)」は縦中横]この秋はこの老大家の絵が中々見物であったそうです。眼がみえなくなって手もきかなくなったこの画家が新進大家のお弟子達にかこまれて自分の仕事の並べられた室を歩いたそうです。絵画きが眼がみえないでは私と比べものにはなりませんね。光線よけの暗緑色のレンズが出来ました。それをこの眼鏡の上に取りつけるのです。バネが工合よく伸びて小さな爪がふちにかかります。曇天世界になります。あまり愉快でないので今も幾分チカツきながらつけていません。(叱られるかしらん?)この絵の左手が有名な大噴水と美しい森です。右手は石段の下がオレンジ園です。
十月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕
十月五日、夜。
これをペンさんが居る内に書いてもらおうと思って、やっこらやっこら二階へ来たらば、きれいにした四角い台の上に思いもかけず菊の花が朝鮮壺に活かっていて、「まあ、きれいだ」と嬉しい声をあげました。寿江子がそちらの帰りに買ってきてくれていたのでした。この菊の花の下には、小さい徳利形の水差し(硯に水を入れるもの。水滴だわね)と一匹のひどく間抜けな顔をした水色の縞の熊が辷りそうに足をひろげています。このシャツの余り布で作られたような縞の熊は鼠が太ったような丸い耳ととんきょうな顔をしていて、私は縞の布で作った動物は好きでないからと寿江子さんが安心して袋から出したところを間抜面の故にすっかりひいきにして御愛物にしてしまいました。
オリザビトンがこれから二ヵ月もあるというのは心強い話で、その内又ペンさんに三共あたりへ行ってみつけてもらってみましょう。あとから言った薬もみな内国製ですから、そう急になくなるということはないでしょうが、オリザビトンがなくなるとすればあやしいものですね。ただ後のはBとCと独立ですから、相当続くだろうと思いますが。調べておきましょう。多賀ちゃんのことは、また勤めたということは知りませんでした。この間は家にいて退屈だという手紙をもらい、こちらからは広島の逓信病院長を紹介してもらい、調べる要点も言ってやっておそらく勤めるのと行き違いについたのではないでしょうか。辞めるのにあんなに骨を折って口論までして辞したというのに、私にはおしい気が致します。気分の動揺していることも察しられます。そういう気分だとあの単調な国府津で、単調な私との生活を穏やかな気分でして行かれるとは思えませんね。多賀ちゃんが目白にいた時代は私の大忙しの時代で、ああいう活気はこの半盲さんには望めませんから。近い内に様子を聞いてやりましょう。夜がうっすらと寒くなって、去年十七日に皆んなが菊の花を胸につけて遊んだ晩を思い起します。今年はどんなことをしましょう。寿江子は今日、お話ししたようにどこかへ行きます。私が脇でだんだん回復してくると寿江子の様な長年の持病持ちは神経を変に刺激されて反感を感じるのだそうです。自分の体の悪さばかり痛切に感じるのだそうです。疲れたことも疲れたのだし、私のとこの横に終日ついてその気分であれこれ刺激を受けるのも切ないしするから、ひと苦面をしてともかく暫らく気分を変えさせます。私の
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