つの大きい幸いでしょう。

 十月十三日 [自注3]〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕


  祝い日

 愛するものの祝い日に
 妻たるわたしは
 何を贈ろう。

 思えば われらは無一物
 地道に渡世するおおかたの人同然に
 からくりもないすっからかん。
 健康も余り上々ではない。

 とは云うものの
 ここに不思議が幾つかある。
 朝夕の風は
 相当軒端に強く吹いて
 折々|根太《ねだ》をも軋ますばかりだが
 つつましい屋のむねには
 いつからか常磐木《ときわぎ》色の小旗が一つ立っていて
 荒っぽく揉まれながらも
 何やら嬉々と
 季節の太陽に
 へんぽんたるは何故だろう。

 夜が来て
 今は半ば目の見えない妻である私が
 少し疲れを覚え
 部屋の片隅の堅木《かたぎ》の卓の上に
 灯をともす。
 焔は暖く 橙色。
 憩っていると手の中に
 やがて夜毎に新しく
 一茎の薔薇がほころび初《そ》め
 濃き紅《くれない》に ふくいくたるは何故だろう。

 短く長いこの年月に
 私たちの見てきたことはどっさりある。
 歳月の歯車から
 ほき出される あれや
 これや を。

 
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