だけで、差し向いな習慣のついている者には、一つの苦痛に近い感じです。文学の仕事と云うものが、どんなに心情的な過程を持っているか、と云うことを改めて感じます。小説がこう云う方法で書かれようとは一寸思えません。それにつけ、ミルトンだの馬琴だのと云う人の仕事した骨折りが、実に考えられ、特に馬琴が、あの時代の特別に学問もなかったお嫁さんにあのコチコチな漢語を一々教えながら、書き綴って行った努力は日記に書かれている以上だったでしょう。でもあの人達にはまだ書けたと思います。何故なら、ミルトンは、ああ云う観念の世界に自分を封じ込めて、其処に君臨していたし、馬琴は矢張りもっと卑俗な程度の道徳感と、支那的な荒唐性に住んでいたのだから。我々の文章そのものに対する感覚から云って、書いてもらって書く小説と云うのは、いかにも出来にくそうに思えます。スエコは、それでも、私がもしすっかり視力を取り戻さない時の用心に、だんだん馴れてゆけばそう云う物も書けるだろうと健気に申しますが、今もこの手紙のなかで、沈黙の「黙」に八つ点ポチが付いてしまったと云って、さながらペンは恐しい自動力をそなえているようなことを云う始末ですか
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