人が知人に二人いて、大百合はそんな百合、百合にかこまれることもあるのです。
 石板のこと、きょう申上げたとおり。それは池袋の武蔵野電車の売店にあったのよ。子供の算術遊びのいろいろの木の玉と一緒のセットで、チョークでかく黒板でした。びんの方はさがしてみましょう。うちにはなかったけれども。
 国府津は、寿江子体の工合わるく、私は仕事、その絵の娘さん風邪で。うごけずでした。いろいろパタパタ自分たちでやるのは、いくらか暖くなってからの方がいいのかもしれないことね。だって、あのガランとしたところ火であっためるのだって、いつかみたいに大きな薪をぶちこんで燃《た》くことは今出来ないのですもの。あのとき覚えていらして? 父が夕方かえって来て、オヤ火もたかないんだねといったでしょう? そんなに寒くなかったわと云ったら、それは君達は寒くないだろうけれど……と父が笑ったわね。お風呂はやっぱりボイラーで一度ずつ流すわけですから水と燃料不足のときは閉口です。この頃は原始へと逆行なのだから進化したことしか出来ないと大弱りで、最大の不便となるから滑稽ね。
 八日のお手紙。支払の内訳(!)ふー。困った。御免なさい。今日あとで書きましょう。つい忘れて。「二十年間」書名か何か一寸わからないようなのですが、これはおめにかかって。年代のこと。あの傍題つきは、本の背なんかごちゃついて余りのぞましくないという意見が出ているので未定です。それに、年代の表現についてはいろいろうるさくて、そのうるささは常識を脱して居りますから、もしかその点に特別の感じなら、ぬいてしまうのです。年代だけで口実は御免ですから。「藪」「翼」あれは、初めのは『改造』に出したのであとのは『文芸』に出したので、今度本になるについての書きおろしは一葉の部です。勿論全体に手を入れてはありますけれど。一葉はどこへも出してないのですからそのことはさしつかえますまいでしょう。きっといろいろおっしゃるような諸点あるのでしょうと思うけれど、でも全体とおしてよまれた場合、いくらかあの二つだけで想像されるよりは多くひろく深く語っているでしょうと思われます。中公に入る部分のままで高山のに入っているのよ、直そうと思って居ませんでした。「明治の三女性」はよみました。岸田俊子のことなど、あれで大分学んで、明治初年の『女学雑誌』を上野で見て得たところ補充しました。夏葉は青鞜の時代にまとめて出ました。私の願うところはね、チョロチョロと流れ出した水の流れについて我知らずゆくうちに、濤も高く響も大きい境地に読者がひきこまれてゆくというところなのよ。
 十日のには、雪が降って悦んでいることだろうとあり。あの雪はなかなか作用して、この小説は「雪の後」という題になりました。あの日の情景がいろいろと映った短篇です。峯子というのが主人公よ。小さいけれど、真面目な作品よ。なかなか愛らしいところもある、そう思っているの。正二という峯子の許婚《いいなずけ》がいます。「夜の若葉」で気がおつきになったでしょうか、順助の口調。作者は順助に好感をもっているのです。情愛というものがある男として描いています。男が女を愛すという、その偶然や自然力やそのものの支配の底に人間として情愛をもっている男、そういう男を作者は描くと、そこにどうしても響いて来る声があって、そのまざまざとした声音《こわね》があって、ああいう口調が出るのです、面白いでしょう? ひろくひろくよむ人の心の奥までその響がつたえられてゆく。面白いでしょう? そしてそこに、その人々の人生にとってもましなものとしてたくわえられてゆくのよ。正二もやや順助風な男です。そして、やっぱり或る口調をもっているのよ。「海流」ではそういう口調のデリケートなところがまだ描かれていません。重吉のそういうところ迄まだ宏子がとらえていないから。宏子のとらえたものとして描かるべきものでしたから。そうでしょう? 作品の必然として。
 ユリのいささか千鳥足の件。そうでしょうねえ。さぞそう見えるでしょうねえ。もちろん、ここに云われていることを否定する意味ではなくこんなことも思うの。よっぱらいは真直歩いていると思っているのよ、常に。そして、千鳥足なのよ。急な坂をのぼるとき、ジグザグのぼります、でもそれは千鳥足ではない。しかし、ジグザグ登りのとき登っているものの脚力が弱って来ると、本人はジグザグのぼりをしているわけなのだが、千鳥足ともなるのね。ここいらの辺まことに錯交します。ユリの千鳥足。笑いながら、くりかえし考えました。小刻みでぴったりと足を平らに斜面につけてジグザグと正確に、山登りの術にしたがって、のぼりたきものと思います。
 そして、ああ、あなたは何とずるいだろうと感服するの。詩集増刷のこと云っていらっしゃるのですもの。それに対して、いくら私だって、詩集は別なんだものとは云えないのですもの。ずるいと思うわ。ほんとにうまくつかまえる。こういう飛躍が科学者の云う天才的な「労作の仮定」というものでしょうか。
 十三日に着くようにと書いて下すったのが今朝になったのは残念のようですが、呉々もありがとう。紙の小さすぎることからおこる条件はこの頃やっと私も馴れて、もとのようにその紙のその字の上にないものをいきなりつよく感じとるということもなくなったから、マアましです。けれども、正直なところ、私はほんとに、あなたにすこしコンプリメントをいただくと、しんからうれしいと思います。そういうことでがっつくのはけちくさいと思うけれど、やっぱりこの心持は消すことは出来ないことね。私は却って逆に自分を批評することがあります、私はあなたに自分をいくらかでもいいものとして見せようといつも骨を折るのではないかと。本当に自分のものとしている範囲で骨を折っているかどうか、と。この点、この頃はすこしぴったりして来ているようですね。
 文集、面白いだろうと思うの。昔の旅行記なども入れたいと思います。しかし、入れたい心と、入れられるか否かは又おのずから別でね。竹村のなんかそういうのでいいといいのだけれど。そう云えば『明日への精神』九千になりました。お話ししたかしら。十三日に又百合子百合子をやりました。
 ユリも朝起き以来、というらしいのに、朝寝[#「寝」に傍点]とかいてあって、笑えてしまいます。よっぽど「ユリも朝」と来ると寝[#「寝」に傍点]がしみついて、眼玉だったのね。昔より、二十三日前よりは健康ということ、それは全く当然なわけでしょう? 何しろ、それから後の消耗の大さに対して、こんな状態が保てているのですもの。大変綜合された意味で、そうなのは確かです。
 あなたの、夜があければおなかのすくこと、食欲がすこしでもあるようになったという面からは万歳だけれど、玉子ナシ、バタナシナシナシの方からいうと、やっぱりこの頃私たち何となしおなかすかせることのひどいのと似たわけなのだろうと思われます。そういうとき栄養が不足すると惜しいわねえ。私のたべた夕飯はもうすこし夕方に近かったようでしたが。やっぱり三時〆切り五時におかえりだからかしら。
 きょうは早く寝ます、そして、明日いろいろこまかいものいくつか書くの。すこし眼がつかれているから。今年の十三日のためにアトリエから出ている画の本をすこしまとめて買い、茶の間におき折々見ようと考えます。
 きょうの気持の工合では月曜日に行ってしまいそうよ。

 二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月十七日  第十一信
 きょうはすこし虫がおこって、さっきパラパラと雨の音がしはじめたらひどくそちらへ行きたくなりました。でも、ごちゃごちゃ仕事を片づけなくてはいけないし、私はうちにいた方がいい体の調子だし、それで机の前にねばって居ります。昨夜寿江子と目白の通りを散歩して、この間うちから云っていた今年の十三日のために絵の本買うと云っていた、それを新しい古で十二冊ほど買い 8.60 也、チューリップの立派なの一輪、黄色い奇麗なラッパ水仙二本計 .90 買って、きょうは机の上にチューリップを、ベッドの裾の柱にこのダフォディルを活け、大変さっぱりとした眺めです。朝からひとしきり片づけ、一寸一服にこれを。
 チューリップというものはこの位になると、気品とゆたかさがあります、葉の旺盛な感じも面白くて。オランダの野原に一杯咲くチューリップは、今年もやっぱり咲いているのでしょうね。
 ゆうべ、かってかえった本の中から「ドガ」を見て、実にいろいろ感服し、あなたにおみせしたいと思いました。寿江子が気づいたことですが、ドガは、日本ですぐ踊り子を描いたドガと云われるけれど、たとえば、競馬について、洗濯女について、帽子つくりについて、そして踊り子について、決して、一枚そっちかいて次にこちら描いて又あっちかくという風でなくて、必ず一つのまとまりをもって実に追求しているのね、競馬なら競馬を。そして、ドガの絵にある不思議な動いている感じは又おどろくべきものです。モネ、マネという人たちの、客間的要素がドガを見てはっきりわかりました。ルーブルではドガを「オリンピア」のある絵[#「絵」に「ママ」の注記]にかけておくべきです。そうすると、すこし真面目に芸術を感じるひとは、そこにある明日へのび得る芸術の本質を、どっちに在るかおのずから考えるでしょう。本当にためになるのに。小説をかくものはドガが分らなければうそですね。武者がルオーをすきとかいています。武者らしいことです、あくまで自分の語りたいことを語る、に自足している点で、ルオーと武者は似ているのよ、その主観性で。その点では似ているけれどルオーの中にあるその主観|沈湎《ちんめん》のデガダンスに対して、野生な生命力の溢れを追求する仕方にあるデガダンス(近代的な)を武者は感じないのね。そういうかん[#「かん」に傍点]は欠けているのです。現代フランス画家の病的さ。それに正当な判断なくまねする日本の洋画家たち。模倣のひどさは文学以上ですね。つまりまね物が通用する点で。
 牧谿《もっけい》の絵は、ドガなんかから与えられる力と同量のものを与えます。牧谿の絵、覚えていらっしゃる? これはお目にかけられるわねえ。動物だの景物だの。青楓の蔬菜図とはちがいます。私は自分では全く描けず、それでも絵は時々随分すきです。パリから大きいトランク一杯に複製だの画集だの買って来て。あれらは誰が買ったでしょう、時々ああこれ私のだったんじゃないかしらと思ったりします。一誠堂なんかで。可笑しいわねえ。きっと間接に私は少なからず日本の画学生に貢献しているのよ。福島という現代画家の相当のコレクションをしていた人のところへ見せて貰いに行ったとき、ルオーがもう手離した絵だのに時々気が向くと来ては、もうすこしもうすこしと手を加えてゆくその粘りかたを感服していました。ああいう蒐集家がどこまで本当のことがわかるでしょう、きっと通[#「通」に傍点]なのね。通[#「通」に傍点]というものは要するにその道のガクヤ話や癖や迷信や伝統を知り、それに屈伏している評価者ですから。通[#「通」に傍点]は素人おどしにきくけれど。
 こんなことをかいていると、そして、この間一寸『新しきシベリアを横切る』をよみかえしていたときも、ああして暮した時代もっともっと勉強したかったとしみじみ残念です。
 生活、特に外国生活での対手というものは大きい意味があります、ほんとうにそこに在るものを知りたい、と思っての生活態度と、主我的な態度とでは得るものが実にちがいますもの。ほんとうにそこに在るものを知りたいという私の気持は、あの時分まだひよわくて、気に入るとか入らないとかいう気分で支配されている傍の性格とはっきり対立して、独自の線を描き出してゆくというところ迄育っていなかったのね。パリや何かからかえって、「広場」でああいう風に、自然発生ながらはっきりはしたのだけれど。もっともっといろいろ書けもしたのに、と。日々の空気がもっと知的なら。まだまだ書きたいことでのこっていることがあります。でも、それもよかったか
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