も全くおへそ御用心だわ。
あなたはうどんのことなんかは私にお話しにならないのね。勿論こんな小さい紙にそんな話までは入りきれないのですけれど。
十三日には、きょうお話したように三人でお米もって十二日の午後あたりから国府津へ出かけ、十四日ももしかしたら泊ろうかと考え中です。考え中というのはね、『婦人朝日』へ小説をかくのが十日迄に出来そうもないの、十一日か二日になるかもしれないのよ。そうすると十二日には出かけられませんし、雨のふる中傘さして小狸三匹ヨーチヨーチでは可哀想だし。雨中のミューズというほどでもないし。未定です。天気がよくて、仕事まとまりがついたら、そういうお客から絶対に保障された二日はたのしみです。又数百頁むさぼれますし。夏から誰も行きません。さぞひどい塵でしょう。あすこには父が私のために買ってくれた机があるのよ。父の植えたバラもあります。丁度あの門からの道がつき当って左へ玄関にかかる右側の花壇に。
風邪大したことがおありにならなくて本当に大成功でした。
二月十日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月八日 第十信
きょうは私は大変ぜいたくをして居ります。火鉢に火を入れたの! 素晴らしいでしょう。そしてその火の上には鉄瓶がのっていて、しずかにたのしい湯の音を立てて居ります。鉄瓶のわく音は気をしずめます。お茶なんか、先ずすべての手順が、(湯が釜でわく音をきくに至る)気を落付けるために出来ているのね。このお湯のわいている音は一つの活々した伴奏で、私の空想は段々ほぐれて、いろいろの情景をわき立たせて、そこに峯子という若い女やとき子という一種の女や小関紀子という女のひとやらの姿を[#「を」に「ママ」の注記]浮き立って来ている最中です。大変面白いのよ。その女のひとたちはみんな現代の生活を其々に反映しているタイプです。春代というまだまるで無邪気な女の子もいます。この娘は、この寒いのにカラ脛でいるのよ。ピチピチした娘さんです。この頃私には、高等小学だけ出て働いている若い娘さんよくわかるようになりました。女学校卒業、それ以上の、皆職業婦人でもタイプがちがうわ。電車にのってもよくわかるようになりました。小学校の女教師というものの文化の内容の大略も。二十枚ほどの間にこれらの若い女たちはどんな生活を示すでしょう。ああふっと思いついた。この二十枚と、あとからかく二十枚ほど、続篇として構成したら(人々の名なんかみんな一致させて)一つの本となるときすこしまとまって面白いでしょうね。これも万更すてた知慧にあらず。
今、時間は充実して、それ故きめこまやかに重く平らにすぎていて何といい心持でしょう。評論をかくたのしさ、それは丁度しこった肩をもんでそこから筋にふれてゆくような感覚。小説をこうやって考えているたのしさ。いろんな人々の顔、感情、動き、景色。そこにある生活の熱気。声。脚の恰好。ネクタイ。いろいろいろいろ。しまりかかった省線へいそいでのりこもうとして、すぐそのドアによっぱらいの顔が見えたのでスラリとそこをよけて次の車にとび込む娘の、都会生活の中での神経の素ばしっこさ。(自分の経験。それが転身してゆくその面白さ)そういう女の神経。いろいろいろいろ。ね。
こんな小さい作品でも、私は本気なの。長いもののためのウォーミングアップとして。この前の手紙にかいたように、私の内の工合は、全く小説のために適合した流れかたにならなければ、長い小説なんてかけませんから。そして、長い小説も私はうちで書くということを実現したいから。寧ろ一寸そこからはなれて新しく展開させるその気分のために、ちょいちょいしたピクニックを使おうとして。
小説をかいているとき私は喋りたくないの。何をかいているときでもそうですが、だまって、内部が生々して、黙っていることのたのしさがわかってくれるものがうちにいるといいけれど。多賀ちゃんも初めは何だか顔が変るからとっつきにくかったって。私はそういうとき本当に美人だのに。顔みるなり雑談するというような気分になれ切っていて、さもないとむずかしいと感じるのね。黙っている顔に漂っているものはとらえられないから。ましてお恭においてをや。この意味で、細君は旦那さんが留守で温泉ででも仕事しているという方が気らくなのかもしれないわね。
火鉢の炭をつぎ足していて、あら、とおどろきました。どうして十日にそちらへ行かないなんて法があるでしょう。十日の晩に、あなたは新聞をまるめ、こうやって火をおこすの知ってるかい? とおっしゃったのだわ。どうして十日に、うちにいる法があるでしょう!
つづきは九日の夜。
そして、面白いわねえ。ブッテルブロードのときは、あんなにはっきりしていたユリが、火起しのときは、まるで子供らしくなっていて、困ったとわかる迄困ったの、つい忘れていたりしたこと。何と笑えて、たのしいでしょう。このことの中には大した大した宝がひそんでいたわけだったのだと思います。だって、もし非常に親密な、非常に全体的な信頼で心がいっぱいになっているのでなければ、そんなことは寧ろおこらなかったのですものね。そういう極めて全体的なゆるがないものが、自覚されるより深い本然なところに在ったことが、火起しの物語をひきおこし同時に、今日をもたらしているのですもの。天才的に更に多くのものが具体的な内容としてもたらされてはいるのだけれども。
ああ、あなたにとっても益※[#二の字点、1−2−22]面白い小説を次々と書きたいと思います。
この間うち道々よんでいる小説は「話しかける彼等」という訳名、原名は「心は寂しい猟人」The Heart Is a Lonely Hunter というので、二十二歳のアメリカの女の作品です、なかなか面白い。一九三八年の南米の工場町での生活を描いていて、バックのこの間うちよんでいた「あるがままの貴方」などと対比すると大変面白うございます。よみ終ったらお送りして見ましょう。「あるがままの貴方」は「この心の誇り」の人を理解する限界としての輪の論ね、あすこからかかれているものです。そして何かやっぱりあの輪論が私におこさせた疑問が一層深められます。あるがままのその人を理解する、うけいれるということが一般性で云われているから。あらゆる人物間の事件が、その肯定のために配置されているから。このことは、バックにとって芸術の一つのスランプへの道を暗示するいくらかこわい徴候ですが、バックはそれを心づいているでしょうか。文学の世界の交通ももっと自由だと、たとえば『エーシア』だの『ネイション』だのに日本の一人の女の作家の批評ものって、バックはやはり満更得るところがなくもないのでしょうのにね。何と互に損をしていることでしょう。
ケーテ・コルヴィッツの插画のことでアトリエ社の人が来ての話に、百五十人ほどの人から、十人、明治画壇の物故した記憶すべき画家をあげて貰ったのに、一人も婦人画家は名をあげられていなかったそうです。画は大変おくれているのね、その理由は何でしょう、文学は苦しんでいる若い女の心が直接ほとばしって表現し得るのに、画は従来、そういう表現としてみられている伝統がないからなのね。純文学というより以上に純粋絵画というような迷妄が空虚をこしらえて、それで婦人画家は出なかったのね。日本の女の生活と日本画と洋画のいきさつは、一つの面白い真面目なテーマです。いつか出て来る若い婦人画家たちのために、そういう点を、こまかくかいておくことも有益ですね。ホトトギスの写生文と一緒に写生が流行しはじめた時代、スケッチ帖をもったりした女学生が、婦人雑誌の口絵の画にかかれたのを見たことがありますが、その時分から成長して来た婦人画家というものは日本で誰だったのでしょうね。どんなに下手だったにしろ、中途で没したのにしろ、近代日本のはじめての婦人画家というのは誰かあった筈です。婦人画家たちがそういうことで自分たちの歴史を考えようとしないのも、やはり文学とちがうことね。日本画の婦人画家のジェネレーションの推移と洋画のそれとを対比したらどんなに面白いでしょう。なかなかすることはどっさりありますね。一生退屈しなさそうね。めでたし、めでたし。
それからね、流感は画家たちにまでうつっているという有様ですから、私はよくヴィタミンのんで体に気をつけ、もしユリが盲腸を切ったときのような場合でも、費用がつぐのってゆけるようにということ、テムポテムポで心がけるつもりにしました。なかなかむずかしいけれど、まアその気になってね。
実業之日本で又本が出したい由。私は竹村より、こちらをのぞみます。部数その他の円滑な点から。只、『明日への精神』とはどこかちがった、つまりどこか展開した内容の本にしたいと考えるわけです。それがどんな風にゆくかと考え中ですが。なかなか考えることどっさりあるでしょう。
頭ってよく出来て居りますねえ。体というものが全く驚歎すべきものではあるけれど。よくよく眠って、美味しいボンボンでなぐさめてやって、散歩して、精力をたくわえてよく仕事することだと思います。かぜお大切に、呉々もね。
二月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月十五日 第十信
今は静かな午後二時。二階にいっぱい日がさしていて、手すりに布団が干してあります。物干に小さいカンバスの椅子を出しかけて、そこに私の上っぱりを着た寿江子が桃色の紐を上からしめて、おとなしく日向ぼっこをしながら本をよんで居ります。私は室の内で、スダレをおろしカーテンで光線を柔らげ、足元を暖かくこの手紙をかいているという、そういう光景。
そして、広さのせまさということについて一寸面白く感じたところ。林町の庭は、ここの物干しよりそのひろさは何倍かです。でも人間の視線が直線であるというのは面白いことねえ、平地でしょう? いくらひろくたって。だから立木だの建物だのにさえぎられて、この目白の物干しへ出て眺めるようなひろびろとした空間、視野の遠近がなくて、つまらないのですって。そう云えば全くそうです。そして、ここにはそういう只の空間のひろさばかりでなく、人間の生活の光景がその風景にあってつまり生きている。(野沢富美子のところでは、こんどは人間のジャングルになっている)それで休まる、という感じ。寿江子はこの間うちすこし気を張って勉強して居りましたら、又糖が出だして夜安眠出来なくなって、又こっちへ来ました。こっちだと妙に眠れる由。日光によくふれるからかしら。とにかく二晩とも私より先にフースコよ。私は小説をかいているときは気がたつから、なかなか枕へ頭をつける、もう不覚とはゆかず。
十三日、全く! どの位私がっかりしたでしょう! 丁度油がのっていたのに、エイとやめて、いそいで出かけたら、あの位バタつかざるを得ないわけでしょう。あなたがもしや心配なさりはしまいかと、しまいにそれが気になって、かえってから気がおちつかずすっかり番狂わせになってしまいました。おめにかかると思って八日のお手紙、十日分返事あげてないのだし。
お恭ちゃんが、折角十三日だからと、腕力出して茶の間をかたづけて、書棚を運びタンスをどけ新しいカーテンをその本棚に吊って、お祝のサービスをしてくれました。
私は上で仕事。仕事。夜までやりつづけて、夕飯に寿江子、あの小さい娘さん二人、私、恭、それで、たべました。こういうのも珍しい顔ぶれです。私のぐるりの最少年たちが、それぞれチョコンとした顔を並べ、スカートをふくらましてたべていて、何だかやっぱり愉快でした。二十二歳前後だから。あの絵の娘さん、買おうたって買えないもの持って来てあげた、と新聞にくるんだものもちあげているのよ。いやよ、猫の仔でも持って来たんじゃないのと云って見たら、それは鉢の真中に、一本、小《ち》いさな小さな桜草の芽がうえてあるのでした。こんなの買えないでしょう? 本当ね。それに又蕾がついているの。こんなものをくれる人がいたりしてあなたもユリは仕合わせ者だとお思いになるでしょう? それに百合という名の
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