獄中への手紙
一九四一年(昭和十六年)
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)白《はく》皚々《がいがい》
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(例)大|伽藍《がらん》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#二の字点、1−2−22]
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一月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月三日 第一信
私たちの九年目の年がはじまります、おめでとう。割合寒さのゆるやかなお正月ね。あの羽織紐していらっしゃるのでしょう? 明日は、あの色によく調和する色のコートを着ておめにかかりに出かけます。
三十一日は吉例どおり、家で寿江子と三人で夕飯をたべそれから壺井さんのところへお恭ちゃんもつれて出かけました。壺井さんのところでは大きい大きい茶ダンスをでんと茶の間にすえて、その下に御主人公、おかみさん、小豆島から出て来ている大きい方の妹さん、それから小さい妹さんの上の息子がかたまって、おもちを切っているところでした。それにマアちゃんと。
喋っていて、十時すぎたら、玄関の格子がガラガラとあいて「はっちゃんだヨ」と、小さい妹さん、仁平治さん、赤ちゃんの一隊が、やって来ました。小豆島の姉さんに会うために。大した同勢でしょう?
井汲卓一氏が理研の重役で、支満へ旅行して天然痘になったということで皆びっくりしてさわいで(手も足も出ず)種痘したりしたという年の暮です。熊ケ谷の農学校の英語の先生一家は二日に種痘をしようということで、私は余り人員超過になったから、引上げて稲ちゃんのところへゆきました。
稲ちゃんは三十日の夜十時すぎ蓼科からかえって来た由。買物からかえったばかりとコート着て長火鉢のところにいます、眼をクシャクシャに細めているの、痛いと。何だろう、この夏の私のようなのかしらと思ったら、考えた末、白い雪の反射をうけすぎていると判断しました。ひろいところに雪が白《はく》皚々《がいがい》でしょう? それを白い障子のたった明るい室で見て、白い紙の字をよんだり書いたりする毎日だもの! ほんとにめくらになります、リンゴのすったのでひやすことを教えました。
ここでもいろんな買物の陳列でね、何だかいろいろ面白いような妙のような感じです、正直のところ。お金があると買うものって大体自分の体のまわり、家の中のもの、とはじまるのが通例と見えるのね、鶴さんどこか通《ツー》な店の帽子のお初をちょいと頭にのせ、稲ちゃんに阿波屋の見事な草履買ってやって、時計買ってやって、なかなかいい正月というわけの顔つきでした。品物にでもしておくのがいいわ全く。
今年は年越ソバがないので(出前をさせないのです、ソバ組合のキヤクで、大晦日にかぎり。ソバ粉の値上りを見越して、配給をひかえている由)支那ソバの年越しをいたしました。おばあちゃんは八十二歳です、二十九日三十日と箱根へ一家で一泊に行って、おばあちゃんは極楽だったそうです。タア坊にエリ巻の可愛いの、健ちゃんには文具。それが私のおくりもの。
四時頃うちへかえり、お風呂に入り、それからねて、おひるにお祝いをいたしました。去年のお雑煮ばしの袋のような奇麗なのはなくて、白い紙に赤で縁どりが出来ていて、鶴まがいの字で寿[#「寿」はゴシック体]とかいてある、それに先ずあなたのお名をかき、自分をかき、寿江とかき、恭子とかいた次第です。
三十一日まで私はパタパタだったから元旦、二日のうのうして、元日の夜は全家八時半就寝で私は又完全に十二時間眠りました。
林町では一家揃って四十度近い熱を出して風邪正月です。寿江子は二十九日からうちでかぜでこしをぬかして今だに滞留です。
元旦は窪川のター坊が来て、まア私は何をしたとお思いになって? 羽根つきよ。門の外で。何年ぶりでしょう! なかなか面白くてこれから一人運動につかうかと思います、上を見るでしょう、そして羽子をおっかけるでしょう、それがテニスのように激しくなくてなかなかいいの。タア坊、お恭、寿江と羽子ついていたら、近所の小さい女の子がのぞくので、あそびましょう、と一緒にハネをつき、その子も来てちょっとスゴロク(花咲爺よ!)して、やがて健造と女中さんが迎に来て夕方かえりました。珍しい正月でした。
丸い私が陽気に羽子をつく姿はなかなか見ものらしうございます、相当なものよ。あなた凧上げお上手でしょうね、ふっとそんなこと思いました。この辺ではまだ凧上げていないわ、風がない日ですからかしら。
三日だけは、うんとのびるつもりです、つまりきょう一日は。
それから又例によって〆切りでしょう。これが一区切ついたら、ずっと仕事を整理して、長いものをこねはじめます。
きょうは、うちへ三人の姉弟妹のお客です。二十二、十九、十六という。けさはおKちゃんの兄が豊橋へ幹部候補生の学校で来ているのが、休暇で福島へかえったのが、かえりにより。この家の人たちは、実にうちへ来るのよ、やっぱりあの子がああいう生理だったから心配しているのでしょうね、何だか大変明るくよくなっているのでうれしいと云っていたから、まアようございます。考えると可笑しいわ、つまりうちでは少々もてあまし気味だったのね。でもこちらではいないよりよくて、本人がましになってゆれ[#「ゆれ」に「ママ」の注記]ば、結局は互の仕合わせというわけでしょう。しかし、そういう信頼のエゴイスティックなところ可笑しいわね、だって、うちへよこしておけば大丈夫というのはこっちの責任だけ勘定して、自分がそういう娘をよこすということについての責任は勘定に入れていないのだもの。そういう信頼[#「信頼」に傍点]は面白い。世の中は大部分そういう信頼を平気で適用させているのね。信頼を自分の責任として感じることが少いのね。夫婦でもそうね。
本年は年賀郵便なし、です全国。どんなに郵便局員は助ったでしょう、あれは殺人的なものでしたから。大変いいことだわ。年賀郵便の形式的忙殺はなくていいから、キントンはほしいわね。食べるものはないが、天気はいい正月と皆笑って居ります。
おもちの工合そちらはいかがでしょう、変に今年のもちはもたれるという評判ですが。
島田へ御年始かきました。今年はお母さんおたのしみね、初孫の御入来ですから。名前いかがです? すこしはお考えになった? お正月のひまつぶしにお考え下さい。本の名づけ親から、小さい人の名づけ親に御昇格です。女の子私は桃子というのはすきよ。可愛いでしょう? 宮本桃子ハハア姓と余りよく合わないことね。字面の美感が不足ね。上が重くて。そうしてみると、平たくない字がいいのね。宮本何でしょう、四五月前後ならば初夏に近い気候。友子なんて画が少いから合うのね、私は上の百が長めで、やっぱり合うのね。さっぱりとして生々した名がいいことね、案外初子なんてよくないのでしょうか、宮本初子、わるくないでしょう、正子はどうでしょう、豊田正子がいるからだめ? 宮本正子これは初子よりいいかしら。男の子だったらやっぱり治をつける? 父さんとくっつきますか? 何一というのはどうかしら、この間うち生れた男の子たち佐藤さんのは稲ちゃんが行一郎とつけたの、小説っぽいでしょう、もう一人は伸一郎(これはあのメチニコフくれた夫妻)何太郎もわるくないかもしれないことね。でも何だか男の子の名は変に見当がつかない。重吉でもないでしょうしね。吉はお父さんのお名前にもあったから、何吉郎がいいかもしれませんね。それがいいかもしれないわ、孫だから。女の子なんか余りその名からキリョウを考えるようなのはどっちみちよくないから。男の子もサラリとしたのが結構ね。間へ治を入れて郎をつけるという法も在るわけですが。宮本何吉郎と何治郎というのと比べると、宮本何治郎の方が温和ね。何吉郎には圭角があって。又いまにいくつもの名を見つけ出さなければなりませんからそのついでにいろいろ考えましょう。
小説の名を見つけるとき、いろいろ名簿みたりして何百という名の中で、ピッタリと感じをとらえるのは実にすくないものです。バルザックだったか誰だか人の名を見つけるのに街を歩きまわったということもよくわかるわね。
大晦日までに部屋の道具おきかえてなんて云って居りましたろう? ところが三十一日だって午後まで仕事していてそれどころでなくやっぱりあのスケッチどおりの室の様子で万両の枝をいけて、おそなえの日にやけた小僧のような色したのをかざっただけです。ボチボチかえるということになりました。
そちらのよせ植えどんなかしら。今年も梅、南天、松、福寿草かしら。昨夕散歩に目白の通へ出たら、ボケの真紅の奇麗な鉢がありました。
きょうは午後からその三人のひとたちとトランプでもして、休みのおしまいを遊びましょう。トランプもうちではお正月に出るだけね。
昔札幌のバチェラー(アイヌ研究家イギリス人)のうちにいたとき、夜お婆さんがトランプの御対手をたのむのには閉口した覚えがあります。私は大体ああいう遊びごと大して好きでありません、何だかあきるわ。
多賀ちゃん今年は一年ぶりで国のお正月で、きっとこっちでこしらえた着物着ておしゃれしているでしょうね。それを小母さんがうれしそうに見ていらっしゃるでしょうね。マアあちらもおだやかな新年でしょう。では明日ね。
一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月八日 第二信
やっぱり雪になりました、雪明りの部屋で書きます。ゆうべ夜なかに何だかひどい音がして目がさめ、寿江子が一緒に寝ているので「何だい!」と起きて、上っぱり着てしばらく様子をきき耳たてました。
稲ちゃん、その息子、娘、午後からずっと遊んでいて、林町が今泥棒にねらわれている話したりしていたので、何者か二階の屋根を辷ったと思ったのよ、その様子でもないからハハア雪がなだれたのだと思って、ぐっすり眠って、けさ下へおりて庭を見たら、妙な木片が散っているの。変でしょう? そこでまだ寿江子のねている部屋の雨戸あけて見たら、南側に葭簀《よしず》の日よけがさしかけてある、その横の棒がくさっていたのが夜来の雪で折れて宙のりとなってしまっていたのでした。早速大工をたのまなければ。この日除けは冬も余り直射する日光よけに大切なの。南に向って平たく浅い六畳ですし、縁側がないからその日よけと、すだれと、レースカーテンとで光りを調節しているわけですから。
東京って、一月十日ごろよく雪ね。父の亡くなった年も一月十二日ごろ大雪になったわ。私は雪が大好きです。平気でいられないわ、サア降り出したとなると。雪のゆたかさは面白いことねえ。
さて、二十八日のお手紙を一昨日、六日のを七日頂きました。二十八日のお手紙は年の末にふさわしく「よくも飽かずと思っているくらいなら」という希望が語られていて、私も、リフレインは余りおさせしまいと思います。でも、決しておさせ申しませんなんかとは云わないでおくのよ。何故なら、余りきれいな挨拶をしすぎては、家庭的[#「家庭的」に傍点]でありませんから。ホラ又と云われるのも、云うのもわるくないところもあると思うの、勿論意義を軽く見てのわけではなくよ。更に、そのようにやろうと思わないしというのとは全く反対ですが。私は今年は勉強[#「勉強」に傍点]するのですから。仕事の質を深めてゆくのは勉強以外にナシ。このこといよいよ明白ナリと思っているのだから。ほんとの勉強のない作家はテムペラメントでだけ平たく横に動きがちです。明るさ、について実に深い教訓を与えられましたから。自然の気質の明るさなんか歴史の複雑な襞《ひだ》の前には、わるく行けばその日ぐらしの鼻唄となり、よく行って、せいぜい、落胆しない程度にそのものを保つだけで、決して真の人類史の明るさと一致した明るさは保てないことが実にまざまざとしたから。
面白いでしょう、歴史の大転換の時代に、多くの人々が却って小市民風に何となし自分一人一人の
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