何と可憐でしょう、ねえ。花はいろいろに声をあげるのでしょうね。そのような花の叫びをきいたのは誰でしょう。
満開の白梅はよく匂っているでしょうか。今は寒中よ。花の匂いにつめたい匂いのないことも面白いこと。さむい花の香というものはどうもないようね。でもそれはそうなわけね、花はいのちの熱気でにおうのですもの。花のそよぎには確に心を恍惚とさせるものがあります。
ひろい庭が欲しいと思うのは、いく人も子供たちが遊びに来たときと、花々のことを思ったときです。自分が子供だったとき樹の間でかくれんぼしたり裏の藪へわけ入ったりしたあのときめきの心、勇気のあふれた心を思い出すと、子供たちのためにひろいいろんな隅々のある庭がほしいと思います。花を、花圃《かほ》にはしないであっちこっちへ乱れ咲くように植えたら奇麗でしょうねえ。自然な起伏だのところどころの灌木の茂みだの、そういう味の深い公園は市中には一つもありませんね。庭園化されていて。いろんな国のいろんな公園。菩提樹の大木の並木の間に雪がすっかり凍っていて、そこにアーク燈の輝いているところで、小さい橇をひっぱりまわしてすべって遊んでいる小さい子供たち。仕事からかえる人々の重い外套の波。昼間は雪を太陽がキラキラてらして、向日葵《ひまわり》の種売りの女が頭からかぶっている花模様のショールの赤や黄の北方風の色。その並木公園に五月が来ると、プラカートをはりめぐらして、書籍市がひらかれ、菩提樹の若いとんがった青緑の粒だった芽立ちと夜は樹液の匂いが柔かく濃い闇にあふれます。アコーディオンの音や歌がきこえ出します。そして、白夜がはじまって、十二時になっても反射光線の消された明るさが街にあって、そういう光の中で家々の壁の色、樹木の姿、実に異様に印象的です。
三月はまだ雪だらけね。日中は雪どけがはじまります。それはそれは滑って歩きにくいの。ミモザの黄色い花が出ます、一番初めの花は、|雪の下《ポド・スネージュヌイ》という白い小さい花です。小さい菫《すみれ》の花束のようにして売ります。
私は北がすきです、冬の長さ、春のあの愉しさ、初夏の湧くような生活力、真夏のあつさのたのしみかた、旺《さかん》ですきよ。東京は雪の少いのだけでも物足りませんね。特に今年は一月六日に一寸ふったきりで。
あなたは雪の面白さ、お好き? 雪だるまをつくるくらい島田に雪が降ります? 初めて島田へ行って駅に下りたとき、それは一月六日ごろで、かるい粉雪が私の紫のコートにふりかかったのを覚えて居ります。つもりはしなかったわ。それでも炬燵《こたつ》は本式ね。今年は炭がないので、どこでも急に炬燵を切ったりして稲ちゃんのところは信州から一式買って来たそうです。うちはこしらえません。では、又のちほど。
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[自注1]彼のかいているもの――魯迅がケーテ・コルヴィッツの版画を紹介した文章。
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一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十五日 第七信
こんにちは。きょうは寒い日です。きのう神田へまわったら魯迅全集がなくて、きょう、とりよせておいて貰うことにして、さっきお恭ちゃんがとりにゆきました。六巻で十二円よ。でもケーテのことをかいたり、本が出来たり、二十三日だったりしたことのために買ってもいいと思って。
魯迅全集は七巻あって、短い感想が非常にどっさりです。なかに、夫人へかいた手紙が集められているのがあります。なかなか辛苦した夫婦でありました。その手紙は、初めの部分はみんな広平兄という宛名です。コーヘイケイとよみたいでしょう。男のようでしょう? ところが女士あてなの。兄という字を自分は友人や後輩などにつけるので、よびずてよりはすこしましという位の意味だからと説明して居ります。許女史は、初め先生とも思うひとに兄とかかれて、びっくりしておどろいたらしいのよ。そしてきっと、どうして私にそんな兄という字がつけられるのでしょう! というようなこと書いてやったらしいのね。そこで魯迅はびっくりしないでよろしい、と説明しているわけです。ずっと後になって、妻になってからのにはH・M・Dという宛名です。このひとは女子大学に働いていてね、そこでなかなかよくやって、一部から害馬《ハイマー》という名をつけられたのです。そこでHMなのですって。Dは何でしょう、英語の出来た人たちですから推察も出来るようです。小鬼はあせったり気をせいたりしてはいけません。というようなこともかかれていて。小鬼とは許さんが自分で呼んだ名なのでしょうね。いろんな感情、わかるでしょう? チェホフが、オリガ・クニッペルに与えた手紙もクニッペルはヤルタにいられなくていつもレーニングラードやモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にいたからどっさりあって、いろいろ芸術上有益なこともかかれています。でもチェホフらしさが溢れていてね、「|わが馬さん《マヤー・ロシャードカ》よ」とかいたりしていますが、ゆうべよみながらおなじ馬ながら、HM《ハイマー》とクニッペルのロシャードカぶりとは何というちがいかとつくづく思いました。それにH・M・Dと頭字だけに表現しているところも、東洋風でしょう。D・LETD・H・Mこんなに重ったのもあります。そして、日本文に直されている文脈は大変欧文に似た感じです。et[#「et」は縦中横]という字もあるところをみると魯迅はフランス語も近かったのでしょうか。親愛が日常のこまかな消息のうちに示されているのも、わかります。月よ花よの佳句もなく、と序文に魯迅がかいていますが、やはりそれ以上の内容と面白さがあります。なかなか大したことも云っています、婦人の文章について。婦人の文章に美辞が多く感歎詞が多いばかりでなく、評論の場合、一々対手の表現を反駁して小毒はある、しかし猛毒はないのが女の文章である、と。なかなかでしょう? 頂門の一針的でしょう? 許さんは文章をいつもみて貰っていて、直して貰っていたのですが、それにつれてのことなのです。
私のさがしていた版画の紹介の文章はどうも見当りません。一つ、これかと思うのがあり。しかしスメドレーはケーテと友達だったのですね。一九三五年頃、上海で出版された画集にアグネスが序文をかいているのね。さぞいい本でしょうね。実にみたいと思いました。どうか私も、一生のうちには、そのひとの画集に心から序文のかきたいような婦人画家にめぐり会いたいものです。
光子さんなんか或るいい素質はあるのですが、旦那さんの技法、傾向と自分のものの成育との間の衝突で、どうにも苦しかったのです。ニューヨークで、どんな気持でどんなに暮しているのでしょうね。メトロポリタン[自注2]で本ものを見ているのはいいけれども。表《ヒョー》の仕事手つだっている娘さんも又それとして珍しい位のひとですが、どの位までやってゆくか、このひとはやはり三十越してからが期待されるような資質です。ゆうべも、これでミューズが揃ったと大笑いしました。とにかく文学・音楽・絵画が一つ火鉢のまわりにあつまるのですもの、こわいでしょう※[#疑問符感嘆符、1−8−77]
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[自注2]メトロポリタン――ニューヨークのメトロポリタンミューゼアム。
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一月三十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
どうもあいまい至極な先生と、算術下手のより合い勘定は、閉口ものだと思います。
この間の計算が合いません由、十二月請求の分は全部で二六三・一二だったのです。そのなかで、仰云っていたのを差引き、その差引が八一・一六です。その八一・一六の中には、五月に支払いずみのもの及こちらでは二部及び一部しか負担しないでよい分(木俣という人の分)と、いつぞやからの話に出ていた重複した分を処理してた分(あと十円といくらか当方で支払う分)とで、この一月二十日に八一・九六支払い、暮の一〇〇と合して一八一・九六となっているわけなのですが。どうしても変かしら。
五月支払ズミ
(一) 速記 三四・〇〇┐[#「(一)」は縦中横]
│ 八一・一六
(二) 加藤・西村マリキロク四七・一六┘[#「(二)」は縦中横]
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重複していた分は一九二・〇六のうち七月に一一〇・四〇支払ズミで、残金八一・七六のうちこちらでもつのは一〇・三〇に願うというわけでした。
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それと、あとの速記 九〇・〇〇
袴田上申 二 三二・一六
その他の謄写 四九・八〇
合計 一八二・二六(ハハア、笑ってしまう、先生三十銭御損です。一〇・に三〇くっついていたのおとしている)
そのうち一〇〇暮にわたし、八二・二六わたすところ、三十銭私が間違えたから八一・九六というわけです。
こんどは分りますでしょうか。どうぞおわかり下さい。こんなにわかりにくいのも終りでしょう。
二十九日
〔二枚目欄外に〕こんなに切れて失礼。
一月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月三十一日 第八信
二十七日づけのお手紙、それから二十九日づけのお手紙、どうもありがとう。二十七日のは、よしんば私をしぼんだ風船にしたにしろ、やっぱりそれは欲ばられているということで、お礼を云わなければならないわね。
第一の部が、日本評論のを入れられなかったために、量感が減って、あなたもなーんだというような印象をおうけになったのは無理もないと思います。でも、いずれにせよ三〇〇頁ぐらいのところにする必要はあったのよ。それより多いと定価がずっとたかくなってしまうから。はじめに書き下しでも加えればよかったという御心づきはなるほどと思います、本当ね。そのとき私は心づきませんでした。これからの場合のため、よく覚えておきましょう。たしかにたっぷりした感じということもその著者の身についたものであるべきなのですから。ブックメイカアでない限り、ね。
私としては、仕事総体について見て下すって、その上で一冊一冊の本について云われているという感じがはっきりわかっていると、その一冊についてどんな突込んだ批評もまごつかないでわかるのです。どっちが地だかというような表現は悲しいのね。そんなわけのものではないと思えるから。そんなわけではあり得ないから用語の逆説的なつかいかた、どうしてもその路をとらなければならない場合の、前後の周密さということについて特別注意ぶかくなくてはならないということがわかるのね。二十九日のお手紙では、その点もよくこまかに語られていてありがとう。
大陸性その他のこともわかります。大陸文学というものの本質についての考察の一側面的な要素としてあのことも云われ得るのですが、あの文章は、その側面にだけふれているから、あれだけとして不完全なわけであると思えます。
中公の本のこと。著者も困るところがあるということを客観的な事情として念頭において、しかし本人としては可能な限りの正しさでありたいのね。その両面からの関係のなかにその本が評価されたらうれしいと思います。このことはつまりいつでもどれについても云われるのでしょうが。
二十七日のお手紙でしぼんだ風船になったことやこのお手紙にこめられているものいろいろ自分の心として考えてみて、自分の仕事に対する心持というものの機微を考えます、極めて高いごくリアリスティックな規準からの批評というものが、そのときの現実のなかで一つの本なら一つの本のもっているプラスの意味をそれとして見てゆくものだということは自明だけれども、著者としてその標準で自分の仕事を自分からみているということは、やはり優秀な著者の少数にしか期待されないことなのかしら、と考えるのです。一般に立っての美点というとき、一般と極めて高くリアルな標準というものとの間にどんなひらきがあるのでしょう――つまり、一人の著者が、一般に立って云えば云々と美点をかぞえて貰うことで、い
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