ささかは心なぐさむというようでは、と思うのです。自分としての標準が確立していてしかるべきですから。その標準でいつも云って、いつも云うことはその標準でのことという自信があって、それ以下の比較は語るに足りない自明なことというわけであっていいのだと思うから。
でも、これは、私が必しも自分として自分の仕事の水準を持っていないということではないと思うの、私たちの話し合う場合の心持として。きっと私はいくらかそんなとき女房じみた心なのね、あなたの気に入ったものを見せてあげたいと主観的に思いこんでいるその心持によりすぎていて、しぼんだりふくれたり様々の芸当を演じるのね、そのとき、おユリ少しもさわがず、と謡曲の文句のようにはどうも参りません、呉々もあしからず。あなたが、我々はよくばりだからね、と仰云ったのはその間のことにもふれていて本当です。
二十七日のお手紙で、私の手紙の順のことおききになっているけれど、十一日第三、十三日の第四、十九日の第五となっているのよ。十三日のはよんでいらっしゃるのよ。一月十六日づけのお手紙に、十三日の手紙きのう見たということがあり、十三日のその手紙というのはボンボンのうれしかったこと書いてあったのに。それはよかったと書いて下すってあるのに。可哀想なこと! ボムでボンボンなんかけし飛んだわけだったのでしょうか、何て可笑しいでしょう、あなたの雷相当なのねえ。何て愉快でしょう。
ボムと云えば、この間建築家のクラブでドイツの宣伝映画を見ました。ああいう猛烈な破壊の画面の連続だとさすがに見る人々のかえるときの顔がちがいますね。暴力というものの凶悪さが心にしみるのね、やっぱり。一種の侮辱を蒙っている感もあるのでしょう。威カクだもの。
二十九日には、かえりに講談社へよりました。あすこは事務所の設計です。はじめて入ってみて、何だか余り建物と内容とがちぐはぐで妙でした。建物は堂々としていて端正で正統的なんですもの。その中にいるのが講談社でねえ。ここが出来たとき父が挨拶させられて、建物がこんなに合理的に出来たからどうか内容もそれにふさわしく発展するようにと云ったと云って笑っていたことがありました。『キング』には思い出があるのよ、ずーっと昔短篇をたのまれたことがありました。やさしく、やさしくと。私は随分やさしくかいたのだけれどことわられて以来縁なし。やっぱりこれは純文学ですからという意味で返却されました。何でも鎌倉のホテルの何かをかいたと思います。地図はね、行ったら無いというの。だって私がきのう、と談判してやっと出して来ました。無いことになって居りますと云っていました、どういうわけなのか。だから小売屋の小僧が行ったってないわけね。『女性の言葉』と一緒にお送りいたしました。ついでに十六年版の日露年鑑の内容見本も。
三十日(昨日)はいい天気で、私は朝のうちケーテを(二十二枚)書き終って、『進路』を島田へお送りしたりしてそれから青山へ出かけました。花がどっさりあって、賑やかな様子でした。しかしいつもここへ来てつまらないのは、何しろここは中條家の墓ですからね。戸棚です。ちっとも父のパーソナリティも母の気分もない。ですから来るたびに索然として、来ないでもよかった気になるの。太郎と寿江が来るのを永い間待っていました。しーんと日がよく当って暖いところに花の匂りがかすかに漂っていて、スウィートピイやバラのところに早いこと、もう蜂がかぎつけて来て働いています、それを眺めています。それは何だか父らしい活気とも思える。その勤勉な蜂は。
やがて二人来て、太郎もおじぎして、そこへ大瀧の基夫妻が来て、つれ立ってかえる(林町)のに、地下鉄で尾張町へ出て、そこからバスで団子坂上まで。長いのよ迚も。私と寿江子の対立するのは、いつも市電を私がいいと云い寿江子はバスがいいということから。バスちっともいいことないわ、第一木炭ガスがどんなに体にわるいか。太郎すっかり眠って大観音のところでおこしました。二重《ふたえ》になっておとなしく腰かけて眠ってしまうの、大変可愛い様子です。
四月になったらあなたも太郎に短いお手紙下さい、何しろ小学一年生になりますから。あなたが行った小学校は山の上にあって海が見えたと書いてやってね、どんなに珍しく思うでしょう。
三時から式で神主が来て、それから築地の延寿春という北京料理でお客しました。
花のこと云っていたのに到頭私は花を買いませんでした。だって、何だか、はいこれはお父様私たちの花よと云っておく場所がないのだもの、心の中にしか。形式充満で。札のついた花なんかいっぱいで。私たち三人のことを考えると、国府津の暖炉の前の夜の光景や林町の食堂のことが浮ぶでしょう? 結局式の日の花なんかいらないと思ってしまうの。私たちや寿江子の記念のしかたは又おのずから別なものでもあるのですし。机の上に美しい一輪の花と写真でもおいて、そらね、見ていらっしゃい、やっぱり私たちよく勉強しているでしょう? そういう方がふさわしいわ、ねえ。その写真もスナップのごく日常的なのがいいわ。すべての親愛さは日常の活動のなかに在ったのだもの、その表現はやっぱり何か日常的な特徴をもっていなくては。来年からは、私たち流のをやりましょう。特別何年祭とかいうのでなければ、それで結構よ。夜だって、父の話なんか一人もしやしない、隣組のことだの配給のことだの。しかしそれは私は面白いと思いました、作家の心として。人間が、どんなに生活の現実の刻々に切実かということが感じられて。
うどん粉がありませんから、料理でうすいうどんこからこしらえた皮を出すところをパンにしてあったりして。今もしお父様やお母様がいらしたらどんなに困っていらしたかしれないと国男が云い出して、皆笑って、そしてそのパン的御馳走をたべている。一つの光景でしょう?
きょうはなかなか寒く、いかにも寒中らしい空気です、上り屋敷の駅に立っていたら、秩父連山が青くむこうに見えました。この部屋は殆ど大抵火鉢なしです、日がよくさすから。でもきょうは机の板がつめたく感じられます。手袋ホコホコでよかったこと、あれは傑作のうちね、もうあんな柔かい可愛いのはないわ。大事にして、又来年寒中だけつかいましょう、前後はすこしわるいので辛棒して。きょうは、いかにも寛闊な、インバネスの翼が肩の上にあるような気分です。そうでしょう?
二月五日ひる 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月二日
三十日にかいて下すったというお手紙、まだつきません。どうしたのでしょうね。
きのうは、あれから小川町にまわって高山から本をとって、伊東やへ行って子供たちへのおみやげ買って、それから小田急にのろうとしたらまず栄さんがモックリモックリ段をのぼってゆくのを見つけ、やアとインバネスがふりかえったらそれは繁治さんでした。まアねったよう、というのは、北海道のおっかさんでした。それに豪徳寺でおりたら健造とター坊が、父ちゃん来られないんだってと来ていて、珍しい一隊をなしてくりこみました。
大きい紅茶の一組になったオママゴトを卯女に買って行ってやったものだから、そのよろこびよう! 康子にはクルクルまわる輪車に、お人形、栄さんは下駄よ。実に大笑いして子供たちのさわぎを見物しました。一ヵ月ちがいの二人の娘たちよ、三つの。全く面白い。ふた子ってやっぱりこんなに面白いのでしょうね。卯女は何でもアクティヴです、康子リードされている、それできっとずっと仲よしでしょう。
きょうは一日ゆっくりうちにいて、中公の本の序文のかき直ししたり小説をこねたり。いい日曜よ。
本の目次はざっと次のようです。
一 藪の鶯(明治二十年代(一八八七年―)の社会と婦人の文化)
二 清風徐ろに吹き来つて(樋口一葉)
三 短い翼(明治三十年代(一八九七)と明星)
四 入り乱れた羽搏き(明治四十年代(一九〇七)青鞜)
五 分流(明治末(一九一二)『白樺』前後)
六 この岸辺には(大正初期(一九一八)新興の文学)
七 渦潮 同
八 ひろい飛沫(昭和初頭(一九二七)新世代の動き)
九 あわせ鏡 (同)平林たい子の現実の見かたのアナーキスティックなものの批評。
十 転轍(昭和十二年(一九三七)現代文学の転換期)
十一 人間の像(同)(岡本かの子)
十二 しかし明日へ
このような工合です、そして樋口一葉のところはすっかり書き直したから、同じ題で『明日への精神』の中(人の姿)に入っているのとは全くちがいます、枚数の正確なところは不明です、整理してとってしまったところもあるし又こまかく一杯かきこんだところもありして。本文だけ三百枚ほどでしょうね。以内でしょう。それに年表が六十頁ほどついて。これは独特な本になります。個性的に、というよりも歴史的に。対象の扱いかたで。(ああそうそう、広告はおやめ、おやめ!)題もひろい豊富な示唆にとんだものを見つけたいことね。小題はそれぞれふさわしいと思いますけれど。
二月四日。どうもいい題が思い浮びません。しきりとこねているのに。こんなのを不図思いついたのですがどうかしら。「波瀾ある星霜」――明治大正昭和の婦人の生活とその文学。という傍題をつけて。
きょうは中川一政へ表紙のことたのむ手紙をかきます。こういう本ですから表紙は柔かみのある白で、表紙の見かえしのところに何かこっくりした画があったら、しゃれているでしょうと思って。
ああこっちの方がいい。「波瀾ある世代」、ね。こっちの方が動いていて。星霜というのはやや古いし固定していて、人間が主でなくて時間が主になっていてよくありません。「波瀾ある世代」これはいいわ、きめていいでしょう?
三日のお手紙頂きました。三十日のはいよいよ不着です。どうしたのでしょう。そんなにあなたの手紙の好物なネズミってあるでしょうか。私は気にかかるのよ。もしそちらを出ていないのならそれでいいのですが。
おかぜいかがでしょう(これは五日の朝かいているところ)今朝の雪は貧相ね。こんな貧相な雪って。まるで地面へ塩をひとつまみこぼしたようでした。大丈夫? しゃんと雨がふればいいのにねえ。そしたらかぜのためにいいのに。
三省堂の辞典のことはきのうお話ししたとおり。支払表その他謄写料というのは重複した部分だったのでしょうか、お会いして伺ってから。又、ピントがちがったのをゴタゴタ書くといけないから。
私のかぜは追々にましです。この間うち顔がすっかりあれて、ピシピシと顔の皮がむけて、夜などかゆくてこまりました。もうそれも大丈夫。ヴィタミン半年はあなたらしいと笑えました。そんなに私の方はヴィタミンを気にしないでもいいでしょう、そちらよりは食物からとれますから、まだ。しかし来月からお米は配給で、本当に寿江子だって袋へお米いれて来なくてはならないわ、もしうちでたべたいなら。一人分一日三度お米は食べられないのです。これ迄日本人は米をたべすぎて胃カク張になったり脚気になったり頭脳鈍重になったりしていたという人もあるけれど、それはほかにもっと優良な食物があっての上の話でね。パンにチーズをつけてたべられる人々の生活からの話です。お魚のひどさ話のほか。菓子屋のガラス棚は全くカラで、この頃は菓子の中村屋で佃煮とのりを売って居ります。千円札が出るというような巷の噂が新聞に出ていましたが、それはおやめになったそうです。
ヴィタミンのほかの利く薬は、この頃服用法が段々のみこめて来て、オヴラートのつつみかたうまくなり気のもめることがへりました。ですからきっと益※[#二の字点、1−2−22]効果は良好でしょうと思います。
「花の叫び」の詩話。あったかくてよく合った手袋の童話。どれもやっぱり面白いことね。
文学における大陸性のこと、又チャイコフスキーのこと。これについて云われていることをくりかえしよみ、こういう問題にふれてかく場合には、いつもその一つ一つの文章に必ず土台となる理解のキイは示しておかなければならないものであるということを学びました。ほかの
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