すが。高山のはぬきに。もうこれはじきでしょう。とらぬ狸の皮算用ということはことに昨今全く論外ですから、一つ出れば、はァ出たかというようなものね。
それからもう一つきょうきいた話。
上り屋敷の電車でずっと行ったところにいい原っぱがあって私が遊びに行ったところ、覚えていらっしゃるでしょう? あすこは風致地区なのです。体に空気が大変よかったの。ですから、折々私の空想の十坪住宅があのあたりに建てられていたのですが、きょうの話では、すぐその奥に宏大な地所が買われて、プロペラーの音でもするわけになって来ました。地べたに近くプロペラーが来ると、空気が猛烈に震動して苦しいのよ、地上にいて。
この間行ったら、武蔵野電車会社が分譲していろんなマッチのような家が出来て居りましたが、そこの人たちは空気がよいということにひかされて、あんな不便なところにも移っているのでしょうね。武蔵野が、そんなに近く実現する変化について全く知らなかったというようなことを考えるのはむずかしいことです。土地を買ったひとはどんな気になるでしょう。
きょうは、大家さんの林さんから植木屋が来て、樹木に寒肥をやりました。年々やることですが、今年のは特別の意味があるのです。人不足ガソリン不足で正月来一度もくみとりが来ず戸毎に大恐慌で、林さんでは遂にその年中行事をもう一つの打開方法としたわけです。
一昨日二階の日よけの折れたのを直しました。戸締りを直した大工をよんで。この大工さんに留守番して貰って一寸用足しに出て、動坂で畳や留守番にして出た日のことなど思い出しました。何もない家って何ていいだろうと思いました、勿論その大工は正直な男ではありますが。火の気なしで手がかじかまないのは暖い晩ねえ。ではこれはおしまい。
一月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
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支払いした記録うつしや速記の表。
(一)[#「(一)」は縦中横] 十五年五月二十五日に支払ズミであった分。
一、第一回速記 三四・〇〇
二、加藤・西村公判記ロク 四七・一六
─────
八一・一六
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(二)[#「(二)」は縦中横] 木島、袴田(上申、公判)重複分ハ一九二・〇六銭の中前回一一〇・四〇支払イ今回はのこりの分担 一〇・三〇銭だけ支払。
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(三)[#「(三)」は縦中横] 逸見上申 四通 三・一六
同 二通 二七・二八
宮本公判期日変更願其他 二通 一一・九九
木俣鈴公判四通ノ中 二通
七・五〇
上申 二通ノ中 一通
(四)[#「(四)」は縦中横] 速記 六月二十一日以降 五月二十八日
七月 二日 五六・〇〇
七月二十日
五月四日、十八日 二四・〇〇
八月十日分 一〇・〇〇
計一八一・九六銭
内十二月 一〇〇・支払
一月二十日 八一・九六銭支払
右の工合です。
これはこれだけで。
[#ここで字下げ終わり]
一月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十三日 第六信
きょうは何年ぶりかに雨かと思ったら、やっぱりいいお天気になりました。
ゆうべは座談会で、日比谷の陶々亭を出ようとしたら雨になっていたので、あらと思い、雨の音を珍しくききながらいい心持で眠りました。すこし風があることね。今は月のない夜ですね。でも雨降りの夜であったことがないのは面白いこと。一遍も雨がふっていたことはこれ迄もありませんですもの。
ゆうべは、さち子さんの姉さんが宮城県から出て来ていて、身の上相談的なことで、かえるのを待っていたものだから、疲れているところを又相手して、おそく湯に入りました。雨の音をききながらお湯に入っていてあっちのうちの風呂場思い出し、夢中のような心持でお湯に入ったことや、ブッテルブロードのことや、こまごまイクラが丸く赤く光っていた様子まで見え、ちょこんとした浴衣の花模様など、大変大変ゆたかな晩でした。
そして、床に入りながら思ったのよ。今年は思いもかけないお歳暮だのお年玉だのを私は頂いたのだけれど、私はあなたに格別いいものもあげられない、と。私だって、どんなにかボンボンをあげたいでしょう。ボンヌボンヌを。私の御秘蔵のボンヌは決してありふれてはいないのだけれど。残念ね。「化粧」というソネット一篇ぐらいしかあげてないのですもの。私も、今年は今年のおくりものを見つけたい思いは切です。でも、いい思いつきがなくて。
そう云えば、本つきましたろうか。高山のも。高山の表紙もわるくないわ、落付いていて。しかし『第四日曜』と『進路』と並べてみると、さっぱりしすぎのようなところもなくはないでしょう? 検印の判のことちっともおっしゃらないことね。私は一つ一つあれを捺してゆくときそこに声をきくような気持でいるのですけれど。いいでしょう? あれをこしらえたばかりのとき一昨年だったか、手紙の中におしてお目にかけたの、覚えていらっしゃるかしら。この頃は朱肉のいいのがなくなりました。朱もよそから来ていた由。日本画家はキューキューの由です。金箔はもう夙《とう》に日本画の世界から消えて居ります。
ケーテの伝が昭和二年の『中央美術』に出ていていろいろ面白いと思います。一八六七[#「一八六七」は底本では「一八七六」]年にケエニヒスベルグで生れているのね。祖父さんというひとはドイツの最初の自由宗教的牧師で、お父さんというのは判事試補試験にパスしているのに、そういう立場のためにそれをやめて石屋の親方で暮したのですって。一八八五年というから十九歳位のときベルリンで画を修業しています、コルヴィッツというのは兄さんの友達なのね。この人は医者です。ベルリンの労働地区の月賦診療所をやっていて、そこでケーテは実に生々しい生活の姿、母と子との姿にもふれたわけでした。一九三〇年頃はケーテがそこに住んでいたのですね。六十歳のお祝は盛にやられたらしい様子です。一部の人はこの卓抜な婦人画家を、宗教的画家ときわめつけようとしたらしいこともかかれて居ります、人類愛のね。
文学の面から多くのものをうけているそうです。一八九七年のハウプトマンの「織匠」の絵で認められたのですって。どんな絵なのでしょうね。見たいこと。私のもっているのにはありません。十数葉のエッチングだそうです。エッチングとリトーグラフィーで主に制作しているのね。大したリアリストです、実に鋭く内的につかんでいます、人間の顔一つが、生活を語っていて。そこにケーテが風俗画家ではない本質があるのでしょうと思います。題材を描いているのではないのです、生活を描いていて。彼女の芸術は良人の仕事の性質でつよめられているのは深い興味があります。きっとそのコルヴィッツというお医者も立派なところのあった人でしょう。
一九一四年にはケーテの二男が戦死しています、五十八歳頃に、その後に(一九一四年)ひきつづくひどいドイツの生活の中から飢えや失業、子供の死を描き出しています、私のもっているのは主としてこの時代の作品が集められているのね。ケーテは実に女と子供と父としての男の生活に敏感です。グロッスより時代的には前の画家だそうですが、グロッスよりも遙にリアルな作家ですね。勿論グロッスは諷刺画家だけれど。
『アトリエ』ではフランスのマズレールとコルヴィッツとグロッスなどの特輯をやるのですって。マズレールの人の一生という極めて面白い版画本があります、それから『都会』という大きい本も。
同じこの雑誌に藤島武二の絵、藤井浩祐の彫刻など出ていて、何だかびっくりする位ね、下らなくて。
この時分、中川一政はまだ若い画家で山塵会というものをつくったりしていたのね。(昭和二年ごろ)
明日あたり図書館へ行って魯迅全集を見て、ケーテについて彼のかいているもの[自注1]をしらべましょう、なかなかたのしみです。
お早う。けさはいかがな御機嫌でしょう。いい気持? 机の上の桜草が、たっぷり水をもらって、こまかい葉末に露をためながら輝いて居ります。私はしんからよく眠り大変充実した気分よさです。ゆうべはすこしかげになった同じようなあかりのなかで、おくりものへ頬っぺたを当てているような心持で、お風呂から出てすぐ寝てしまいました。きのうはいい日だったことね。いろいろと心をくばって下さり、本当にありがとう。
あれからね金星堂へまわり、高山へまわり、銀座へ出ました。咲枝が三十三になったのよ女の厄年と云われていて、きっと咲枝心の中では気にしているのでしょうからいろいろ考えていて、ふと栄さんから帯を祝ってやるものだときいたので、銀座の裏のちょいとしゃれた店へ奇麗な帯を注文してあったの。それは十八日に出来ていたのにとりにゆけなかったのです。それをもって、ひどい混む電車にのって、余りひどく圧されるときフーと云いながら林町へまわりました。咲枝大よろこびの大よろこび。私はその様子を見てうれしかったわ、自分の心のたのしい日に、ひとのよろこびを与えてやるのもうれしいというものです。食堂がもとの西洋間に移ったことお話しいたしましたね。あの大きいサイドボールドがやっぱり引越して来ているので、咲枝その鏡に帯をうつしてみてしんからよろこんで居りました。
太郎にとってもきのうは特別な夕方でした。それはね、区役所から、千駄木学校(あすこよ、動坂の家のすぐ裏の)へ入るようにと云って来たから。僕千駄木学校へ行きたいと思ってたから丁度いいやとよろこんで居りました。
その太郎のために私は近所で木綿の靴下を見つけてやって、一年生の間と二年生との間はもつだけ、ああちゃんに買ってやったのよ。あっこおばちゃんもなかなかでしょう?
寿江子に云わすと、太郎は何でもこれこれはこういうものという型通りが好きすぎるそうです、でもそれは父さんが全くそれ趣味だから今のところ真似でしょう。今にすこしは変るでしょう、利口は悧口よ。なかなか可愛い息子です。四月十日からですって。近いから心配なくて何よりです。何を祝ってやりましょう、あっこおばちゃんのおじちゃんというお方は何がいいとお思いになること? いずれ御考え下さい。二人でやりましょうよ、ね。太郎はぼんやり覚えて居るのよ、あっこおばちゃんのおじちゃんを。眠くなって九時すぎかえり、そしてたのしい晩を眠った次第です。
ときどき思いがけないボンボンを見つけたりして話しますが、きのう銀座の方で、私は何とも云えない見事な花の蕾を見たの。飾窓の中におかれていて花やでなかったから手にさわることの出来なかったのは残念ですが。蘭の一種かしら。大柄な弾力のこもったいかにも咲いた花の匂いが思いやられる姿でした。ほんのりと美しくあかみさしていて。自然の優雅さとゆきとどいた巧緻さというものは、おどろくようなときがあります。この頃温室の花は滅多にないのよ、石炭不足ですから。本当に珍しく。花の美しさって不思議ね。決して重複した印象になって来ないのね。描かれた絵だと、何か前にもその美しさは見たというところがあると思うのですが。花はその一目一目が新鮮なのは、実に興味ふかいと思います、それだけ生きているのね、溢れる命があるのね。そういう生命の横溢には、きっと人間の視覚が一目のなかに見きってしまえないほど豊富なものがひそんでいるのね。こんな小さい桜草でさえ、やっぱりそういうところはあるのですもの。蕾がふくらみふくらんで花開く刹那、茎が顫えるのは、思えばいかにもさもあることです。蓮の花のひらく音をききに夏の朝霧の中にじっとしていた昔の日本人の趣味には、あながち消極な風流ばかりがあったのでもなかったかもしれません。花の叫びと思えば
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