られているのですものね。人間として一番平凡になられては閉口ですからね。歴史のひろくゆたかな波が私のようなものをその家族の中に運んで、そのひとが、そういう物語も書いてあるというのは、あとでは随分面白いことだと云えるでしょう。二つの立派な長篇の題材です。一つは都会の中流の歴史。一つは地方の老舗の歴史。大いに私も精進してしかるべしです。本当に私は特にあとの方が書いてみたいと思います。お母さんのいろいろのお話も大変面白いわ。「雑沓」ではじまるのにはその二つの流れを交えて書こうとしていたわけですが、それは無理です。そんな小さいものではないわけですから。いつかいい機会に私は室積へすこし暮したり、野原のこともっとしらべたり、いろいろ自由にあのあたりを跋渉してノートこしらえておきとうございます。天気晴朗な日、それらの小説がつつましくしかし充実して登場することはわるい気持もいたしますまい。
 自分の幅、重さ、みんなその中にぶちこんで活かせるような題材でないと、私はいつも評論より何かくい足りない小説ばかり書いていなくてはならないでしょう。云ってみれば、小さき説の底がぬけているのでしょう。だから思い切って踏みぬくべきなのよ、ね。ジャーナリズムの二三十枚小説の底はぬいていて、自分の足で歩いていいのです。――小説についても――自分の小説について思うことどっさりです。
(こんな紙、あやうくしみそうで字をつい軽くかきます)

 八月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 八月十六日  第三十六信
 きのうはタイ風が岡山の方を荒して東京はそれたそうですが、きょうの風は何と野分でしょう。すっかり秋になりました。私はうれしいうれしい心持です。この乾いた工合がどんなに心持よいでしょう。ひとりでにうたをうたうほどいい心持です、暑くはなかったけれど、しめり気がいやで、本当にさっぱりしませんでした。せめてこれからカラリとした初秋がつづけば、私は元気になって毎日うんすうんすと仕事が出来ます。
 この間うち、こまかいものを書きながらちょいちょい小説をよんでいて、大した作品ではなかったけれど、いろいろ得るところがありました。作家のテムペラメントということについて、何となし印象がまとまりました。女の作家、同じアメリカの作家でも、三つの世代がはっきりわかるようですね。ヴィラ・キャーサなんかの世代、バックの世代、マックカラーズの世代という風に。第一の世代の人たちは小説には特別な感情の世界をきずきあげなくては満足出来ず、お話をこしらえていた人たちの時代。バックの世代にはもっと現実に真率になって来ていて、お話はこしらえないけれども、やはりあたりまえに話すのと小説に書くのとは、気のもちかたがちがっていて、問題なりは、それとして問題として作品の中に存在させられた時代。最近の人たちは、更に動的で、バックのように自分はいくらか傍観的に生きて観察し考(思)索して書いてゆくのではなくて、毎日の中から生きているままに書いてゆく(技術的にではなくて、心理的にね)風になっていて、その意味で文学感覚そのものが行動性をもっていることです。偏見のすくないこと、現実のひどさを見ていてそれにひるまないで暖さも賢さも正しさも見失うまいとしている態度、変転をうけ入れてゆく態度。説教はしないで話すという態度。これらは平凡なことですけれど、しかし平凡さが次第にリアリスティックな把握力をつよめて来ているということの興味ある現象だと思います。(マックカラーズ)
 第一次の大戦のとき、性急に動くひとと、動きを否定して内面の動きだけ追求した人々(心理派)とに分れて、行動派は重厚な思慮を持たなかったし、考え組は体をちっとでも動したら考えがみだれる式であったでしょう。第二次の大戦には、そういう段階でなくなっているのね、万人が二十五年の間に大きい範囲で、考えつつ行動し、行動しつつ考え、行動がいつも最善に行われるのでないことも知り、悪と闘うのにより小さい行為で黙って行って闘って行くという風なところを持って来ているのがわかります。これは私を元気づけます。文学というものはやはり人間精神の解毒剤として存在するということの証拠ね。そしてやはり人間はいくらかずつ前進しているのであるということを感じさせますから。
 ヘミングウェイの小説ふとよみはじめて、あなたが割合感興をもっておよみになったろうと同感しました。これは自然私にフルマーノフの「チャパーエフ」(覚えていらっしゃるでしょう? 農民とのこと。)を思い比べさせました、二つは大変ちがっています。でも私にはなかなか面白うございます。あの娘、マリアが橋の事件の前、ロベルトにたのむことやいろいろ。ね。スペインの娘でなくても同じことを考える、そこを面白く思いました、ただああいう風に表現するかしないかというちがい。更にそれが小説として書かれているということと、それが小説としては書かれていない、ということにはもう絶対の相異があります。そのことも。そして、それが書かれていなければ、無いと全く同じだということは、何ということでしょうね。
 下巻はもうおよみになったの? もしおよみになったのなら又下さい。この小説はいろいろの面、角度からよめて、その意味からも面白うございますね。
 蓼科からエハガキが来ました。家が出来て、見晴しはなかなか立派だそうです。例年の半分ぐらいの人だそうです。保田からもハガキが来て、あちらは落付かないそうです。お魚も(!)野菜も不自由だそうです。きょうは八百屋の問屋に荷が来なかったそうで何にもありません。うちのぬかみそには人参、ジャガイモが入って居ります。生れてはじめてね、ジャガイモのお香物というのは。新聞でよんで御試作です。きのうはそこの門を出たすぐ角の豆腐屋さんで油あげ二枚かって、すこし先の八百屋でミョーガを六つばかり買ってかえりました。そのあたりもこの頃ではきょろついて歩くというわけです。ミョーガの子が三つで六銭ぐらいよ。明日あたり立つので寿江子がきょうよります、せめて甘いもの一つと大さわぎして妙なワッフルまがいを買いました。それにきょうは配給のお米を一回分だけ前の家へわけてあげます。そこは男の子(大きいの)ばかりで細君と若い女中がお米不足で大弱りしていますから。うちはお米はたっぷり前からのくりこしであるの。
 今この手紙下の茶の間でかいて居ります、二階はすっかりベッドひっくりかえして布団をほしているの。ですからスダレがおろされないでもう西日が眩しいのよ。目の前にはあなたのセルが風にゆられて鴨居から下って居ります。おあいさんは台所の外の日向でお米をほして虫とりをしています。
 ああそう云えば島田からの写真! つきました? 面白いわね、輝、なんてあの顔はおじいさんそっくりでしょう。まあるいおばちゃんの胸のところへちょいと抱かれて、面白いわねえ。あのしっかりさで、たった三ヵ月少しよ。輝はごく生れて間もないときから両手をひらいていて、普通の子のようにきつくにぎりしめていません。これも気の太い証拠よ。あの写真は珍宝の一つです。私の他愛のない口元を見て頂戴。いいわねえ。自分の一番まるくうつる角度なんかてんでわすれて、ホラ輝ちゃんと我を忘れているのだから罪がないと思います。あれも河村さんの息子の写真屋がとったのよ。すらりとした気質の子で、あれはいいかもしれません。この子に高校時代の写真で外国人の先生を中心にしてその左の端の方にいらっしゃる写真をそこだけ焼いて貰うことをたのんであります。それには感じが出ています。そういえばこの間は野原で小学一年のときのを見たこと、手紙に書いたでしょうか。
 シャボンを一つお送りしておきます。
 きのう一寸お話の出た綿入れは、大島の羽織、着物、茶じまの下へ重ねて着る分。赤っぽい縞の八反のどてら。めいせんのしまの厚いどてらがかえっていて、全部でしょう? これで。
 それから銘仙の上下おそろいの袷ね。袷は一そろいしかお送りせず、それはかえって来て居ります。毛糸ジャケツ上下もかえって来ていて目下クリーニング屋です。
 さあこれから二階へ行って、パンパンパンパンふとんを叩いてとりこみます。この頃はたのしんで早ねをして居ります。多分そのうちにすっかり好調になりましょう。チェホフは、自分の気持が紙と平らになるという表現で、仕事にうまくはまりこんだ状態を語って居ります。私には何かうまく歯車が合うという感じですが。では火曜日にね。一時ね。

 八月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 八月二十一日  第三十六信
 十六日のお手紙への返事、家については、火曜日に申上げたようにしたいと思います。いろいろとこの数ヵ月自分の気持をこねくっているうちに、段々一つの方向がついて来たようなところもあって、申しあげたように、決心もきまったところがあります。
 極めて現実的に、そして歴史というものをすこし先の方から今日へと見てみると、私の存在というものは、こうやって一つの生活を保ってゆくために、どんな苦心をしたかということにかかっているのではないのですものね。どんなに辛苦したにしろ、云ってみればそれはそれだけのことだわ。その辛苦の上に何を成したかがつまるところ存在を語るので、予備的な条件のためにもし全力がつくされてしまうほどであるならそれは熟考をしなければならないというわけでしょう。
 あなたが条件がかわって来ていることをおっしゃるのもこの点なのでしょうと思います。私はそれをあっちの道、こっちの道から、自分はどういう風に仕事をしどんな仕事をするべきかと考えて見て、その仕事をするための生活はどんな方法で支えられるかということを謂わば一日は二十四時間で人間のエネルギーはどの位かと考えて、そして、そこで幾とおりの事が出来るものかと考えて見て、一番大切なことを守らなければ意味ないとよくわかったのです。書けないということは、書けないのではないのですからね。育たなければならないわ。そういう育つべきこととして考えて、あっちのいやなこともこれ迄とちがった気持でやってゆけそうになって来たのです。
 これと、もう一つ内心ホクホクのことは、この間うちいろんな新しい小説をよんでいて、所謂書けないからこそ、とっくりそこの井戸は掘って見ようと思う文学上の新しい方法(というのも変だけれど)がちらりと心に浮んでいて、それがたのしみで私はこの二つのことを最近つかまえた狼の子と呼んでいるのよ。
 この頃の、抜き糸を箱の底へためたような小説がいやでいやで。文学はどこかにもっと堅固な骨格や踝《くるぶし》をもって、少くとも歩行に耐えるものでなければならないと思っているものだから。ヘミングウェイなんか実に暗示にとんで居ります。題材その他いろいろの点全くここにある可能とは異ったものではありますが、でも私にとってはやっぱり広い野面に視線が向けられた感じです。
 そういう狼の子たちの育つのが、育てるのがたのしみで、そのそれで新しく引越す生活に自分としてのはっきりした心持のよりどころ、中心が出来たわけです。都合のためだけで、ああいう空気の中に入ってゆく気は迚も迚も出ないのです。
 つかまえたものが心にあれば、私は愚痴もこぼすまいと思います。ぐるりの人たちの生活態度にばかり神経が反応するという弱さも生じないでしょうと思います。このことは私として最も修業のいることの一つよ。そのひとたちはそのひとたち、私たちは私たち、その各※[#二の字点、1−2−22]の生きかたで生きてゆくということは分り切ったことで、しかも時々何だか感情が分らなくなるわ。余りいろんなものが流水の表面に浮んで、一方の岸で水はあっちへ流れているようなのに、こっちでは水はこっちへ流れているようだったりすると。
 でも、私はちっともそういうことについてよけいな心を苦しめなくていいのだし、おせいっかいはいらないことなのね。自分のことにもっと謙遜に全力をつくしていればいいのだわ。自分が全力をつくしていれば、あるところでその流れはやはりこっち向きだっ
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