たのか、あっちむきだったのか、自然わかって来るのだから。
そういう点も、つきはなすというのではない自分としてのわきまえをもつべきなのだと思ってね。それで益※[#二の字点、1−2−22]自分の所産ということをだけ注意し、関心し、熱中すればいいのだと思うようになって来たわけです。どんな形であろうとも、そのひとはその人の歩きようでしか歩かないみたいなものだから。いろいろなかなか面白いことね。人間が俗化してゆくモメントは何と微妙でしょう、私は自分についてやはりそのことを考えるのよ。私の場合にはきちんとしたさっぱりした自分たちの生活をやって行こうと決心している、そのことのために丁度模範生がいつか俗化するような俗化の危険をもっていると思うの。こういうところなかなかの機微ですから。今のような生活の問題があって、あらゆる面から自分の生活感情をしらべる必要がおこったりすることも、有益よ。
さて、チクマの本のこと。この案は立派ねえ。これは魅力のふかい構想です。しかし、云わば文芸評論をかき得るか得ないかという空気とつながった問題があってねえ。
女性の生きかたの問題だけの糸をたぐれば、これは文学史を流れとおして今日に到り得るのよ。それはいつか書いてみたいと思っていますし、書けるのよ。
いずれは文学作品だのから語るのでしょうが、形は、一つのトピックからひろがってゆく形、間口は小さくて奥でひろがる形になってゆくのではないでしょうか。だってね、さもないとそれぞれの時代の人間生きかたについての中心的な観念がいきなり辿られることになって、それはとりも直さず校長さんのかけ声となってしまうでしょう。
親子のことについて漱石は、本当の母ではないということを知ったことから人生に対して心持のちがって来る青年を書いていますけれども、自分が実の子でないということを知って、それに拘泥してゆくそのゆきかたがどういうものか、というようなところから親と子の自然な健全な考えかたを導き出して来る、そういう風に扱ってゆくしかないでしょうね。自分の計画としては、そんな方法しか思いつかないのよ、可能な形として。階子の上の段からちゃんちゃんと一段ずつ下りて来て廊下へ出て、廊下を歩くという順には行きそうもないと思います。そういう堂々的歩調のむずかしいところがあるわけです。トピックとしてふれないものもあるわけですから。余り定式の行列歩調のきまっているものについては。一つ義務というものについて考えてみたって、私が本をなかなかかき出せないわけが分って下されるでしょう? イギリス人は紳士道の一つとしてデュティー・ファーストと教えます。しかしデュティとは何でしょう? インドに向って船を駆ってゆくそれはデュティであったのです。だからキプリングがああいう愚劣な女王の旗の下になんていう動物物語を「ジャングル・ブック」のおしまいに加えているのでしょう。
本当にこの紙はひどくてすみません。伊東やへ行くと、先つかっていたようなタイプライターの紙があるかもしれないのだけれど、あっちへつい足を向けないものだから。原稿紙だって今時はなかなか自家用をこしらえるなんてわけには行かないのよ。私は自分の原稿紙だの用箋だのをつくらせるのは寧ろ滑稽な感じがするのよ、何々用箋だなんて。そんな紙に手紙かいて、一層滑稽なことは自分の名を印刷した封筒に入れてね。
原稿紙もあたり前に何のしるしのないものをこしらえさせてはいたのです、用箋の紙はおそらくないでしょうね。あれば日本紙でペンでかけるのなんかでもまあ用に足りますね。ボロに還元するに時間がいくらかもつでしょう。
ヘミングウェイの下巻、古で見つけました。上巻よりも何というかしらテーマの集注した部分です。二十世紀の初めから、たとえばトルストイに「ハジ・ムラート」があるでしょう、そのほかどっさりコーカサスをかいたものがあります。それからファデェーエフの「ウデゲからの最後のもの」、それからこの作品の中のソルド。ここでは又農民というものも歴史の水平線の上にあらわれて来て「チャパーエフ」、「壊滅」そのほか。こういう文学の筋を辿ると面白いことねえ。アメリカの文学の中でだってやはり随分面白いのです。一九二九年以後のアメリカの文学は、真面目に対手にされなければならないものであると痛感いたします。
榊山潤というような作家は果して正気でしょうか、アメリカ映画その他外国映画の輸入が全くなくなることについての意見として、ドイツやフランスの映画がなくなるのはおしいがアメリカの下らない映画がなくなるのは何より結構だ、と。しかしパストゥールを映画化したのはどこでしょう。昨今大評判のエールリッヒを制作したのはワーナーですが、ワーナーとはどこの会社でしょう。エールリッヒになって科学者の精神と人間的威厳で私たちを感動させ六〇六号が何故六〇六号という名をもっているかを知らせた主役のロビンソンはアメリカの俳優です。ロスチャイルドの傑作、その他。妙なことをいう人があるものね。アメリカが気にくわんというのとは芸術家だったら別箇にわかりそうなものだのにねえ。せかついた世の中になると、めいめいが自分の専門の魂を自分で見失ってしまうようですね。どしどしといろんな専門の分野で専門から滑り落ちてゆく人がダンテ的姿で見られるという次第でしょう。
ホグベンの「百万人の数学」が紹介されたとき日本で忽ち『百万人の数学』という本をかいて、それが悪い本だと云って石原純や小倉金之助におこられた竹内時男という工業大学教授があってね、その人が、この頃は「科学のこころ」というようなものが出て、その程度でいいものだとでも思ったと見えて「人工ラジウム」というものを特許局に請願して許可になりました。医療用として。ところがそれに対して、囂々《ごうごう》たる批難が学界におこって、日頃はあんなに仲もよくない物理・数学・化学その他の専門部が一致して物理学界の例会で討論をやり、竹内時男という人の学者的立場は、そのにせものの本来をむき出しました。この事に一般の関心と興味の向けられた情熱は一種まことに面白いものであったと思います、うそにあきているのでね。
そしたら新聞か何かのゴシップに、この頃は彼の研究室に助手となるものがなくて閉口ですって。大笑いしてしまった。それでもやはり先生をしていたのかと、却ってびっくりよ。よく先生になっていますね。肝心の学問がそんなで、根性がそんなで、無上のスキャンダルをおこしながら。石原は原アサヲと一緒になって学校やめさせられたけれども、彼の学者的実力は決していかがわしいものではないのだそうですが。学校もひどいと思います、生徒こそいい面の皮ね。
寿江子開成山からかえりました。あすこもすっかりかわりましたって。小二里ほどある山のまわりに兵営が出来て来年は寂しい林の間の道に小店が並ぶだろうと云って居ります。
八月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十八日 第三十七信
これはこれで、又妙な飾りつきね。イトウ屋の紙よ。半紙はやはりだめだそうです。九段へは電話をかけておきました。例によって二三日中には上りますそうです。北海道の方は一段落ついた由で、珍しく電話口で声をききました。
さて私の方は、昨日、勇気を奮ってうらの林さんのおばあさんに話をいたしました。それは大した気合を自分にかけて出馬したのよ。けさ返事があって、あとに佐藤さんが入ることを承諾いたしました。五十円になります。それで可能であったわけです。一大事業をやって、ほっとして、今おあいさんに夜具の袋を買いにやったところです。佐藤さんが来るなら、いろいろあっちがちゃんとしないのにすっかり持ち出さなくたっていいし、こっちへよれるしいろいろと万事気が楽です。思い切ってまあよかったと思って居ります。全くあなたのおっしゃるとおり仕事部屋をよそに持ったっていいのだし、或る意味では、これ迄何年間か知らず知らず肩へ力を入れて暮して来ているのがやすまるかもしれません。少くとも島田へ呑気に行けるだけも仕合わせかもしれないわね。出ることを考えなければ行く気にならぬ、というところ何卒何卒お察し下さい。真面目な話よ、これは。まあ生活には様々の屈伸曲節があっていいのでしょう。たとえばKたちの生活を、何とかしてもう少しましにしてやりたいと気をもんだって、これ迄何ともなりはしなかったのだから、自分で自分として生活して行って、そこに一つの生活の流れが通っているものだから、おのずから何かうち全体が変化して来るというのでいいのでしょう。そういう意味からも謙遜に熱心に生活すればいいのだしね。私はよくよくああいうところでの生活術というものを考えました。本気で今度は考えて、追随もしないし、おせっかいもしないし、ちゃんとユリちゃんらしき世界を建ててゆく決心をいたしました。批評だけに終る批評はしないわ、もう。やってゆくだけよ。つまりあの家に欠けているのはそういう力なのですから。そういう点で、私はこれ迄幾度か林町へちょいちょい暮しましたが、今度は別の私としての段階で生活をはじめるわけです。この点もわかって下さるでしょう? 私にはどうしたって生々として皮膚にじかにふれて来る生活の風がいるのだから、今になってもあの空気を考えると涙が出るわ。苦しくなったら机と夜具をもって出かけるわ、ね。わかっているのです、息がつまって来て、バタつくのが。だから私がアプアプしはじめて、何とかうごきたがるときは、どうかそのようにさせて下さい、これは今からあらかじめ諒解ずみということにしておいて頂きます。あれこれの条をわかっておいていただくと、こまかいことについてごたごた喋らないでも話の意味がわかりますから。そのようにして開始したいの。
今ここにきこえている省線の遠い音だの、いかにも秋らしい西日の光だの、そういうものを一つ一つ鮮やかな感情で感じます。
生活っていうものは不思議なものね。本質的なものでないものでもそれが自分の生活として身について何年か経ると、そこからはなれるのに、丁度、植木をぬくとき細い根の切れて来るプリプリプッというような音がするのね。
今度は生活というものについてなかなかいい経験をしたと思います。[#図2、手書き右下がりの三角]こういう形なら形で毎日の生活が運ばれて来ていると、その中のどの部分に大事なものがあるのか、ほかの形のついている部分はどういうものかということを吟味するのは、やはり根本的な問題がおこらないと、だらだらに、しかも一生懸命骨を折って形を守って暮すことになったりもするのね。
私は指一本さされない暮し、というものにも地獄の口があいているのをよくよく発見して、面白いわ。それからいろいろな人とのいきさつにしろ私は、これまで何でもして貰うよりして上げる側にばかりいつしか立って来て、そういうならわし、自分の可能性から、家のものにきがねして友達を外へつれ出して夕飯でも一緒にたべるというそういう気分は余り味っていないわけね。ごく若いときから、自分の努力で、こう進もうという方へそのように進んで来たものが、或る時期に、その裏うちとなるいろいろの生活のニュアンスを経験するのは、決してわるいことではないと思えます。一本道に益※[#二の字点、1−2−22]複雑な景観が加り変化が含蓄されるわけで、つまりは柔軟でつよい豊かさを増すことともなってね。悪くないぞとも思っているの。一つずつちがった経験を重ねて、段々自分を甘やかさないで生きる法を学び、人生で大切なものを大切としてゆくようになるということは考えれば愉しいことだわね。生活してゆく人間らしい適応性が、そのようにしてましてゆくということはねうちがあります。生活において、非常に運動神経が鍛えられていて、どんな角度が生じても自身としての均衡の破られない力がつくことは、これからの世界が私たちに求めている資質の一つね。
ざっとこういうようなわけなの。ポツポツと月の中に荷物を動かします。チクマもまさか、合の手にこんな引越しがはさまっていようとは思って居り
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