すぎるのです、実に大切なお体だからということは、この頃又新しくお感じ故、私が、きょうはカントク係とやかましくいうのをもおききになります。友ちゃんがかえる迄は居りますから、二日に立ちたいものと思って居ります。中公の年表の校正出たら一息で、さち子さんが校正見ていてくれます、これはうれしかったわね。
(三)[#「(三)」は縦中横]七月二十八日。きょうはやっと土用らしいからりとした暑さで、でも涼しいのね、台所で火をいじっても大して大汗になりませんから。土用らしく蝉が前の松林で鳴いて居ります。友子さんのいない間だけは、せめて私が御飯のことをして親孝行をいたしましょう。味だのもののくみ合わせだの一寸ちがって又舌に気持よいでしょう。お料理がうまいと云ってほめて下さいます、何にもしないのがたまにするからなのね、きっと。ほめられるとホクホクしているのよ。あの台所で働くユリはドメスティックでわるくないでしょう。
七月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
七月三十日 島田からの第六信
きょうはなかなかの土用らしい天気です。今午後三時ごろ。階下で岩本のおばあさんがひるねです。ユリも二階で三十分ほどねむって、むっくりおきて、そのござは机の横にしいてあるから、これを書きはじめます。
お母さんはけさ三時十二分かで広島へお出かけ。二時におきてお見送りして五時半におきて店の戸をあけて、ユリは大ねむでしたが、きのうの夕方岩本のおばあさんが見えているので、やはり御馳走もしなければならず、店であきないもし、なかなかいいお内儀さんよ。
友ちゃんは二十八日広島へゆきましたが、昨夜電話で、赤ちゃんが熱をすこし出したと云って来たので、お母さんは心配やら達ちゃんに会いたいやらで、お出かけになったわけです。午前十時ごろ電話で、輝はケロリとしているが友ちゃんが疲れて下痢をして、いまおかゆをたいて貰っているところ、午後つれ立ってかえるとのことです。だからもうそろそろお湯をたかなければいけないというわけなの。
岩本のおばあさんは二三日保養していらっしゃるって。
さて、二十六日づけのお手紙、ありがとう。そちらのところがき、飛躍しているので笑いました。
達ちゃん経過は最良ですから自重するよう、お母さんもやたらに食べたり歩いたりさせないようにと友子さんにも注意していらっしゃいます、この前の分は二十一日に出ました、それだと修理部でした。今度は全く別だから、どういうくみ合わせに加えられるかもとより不明です。その点では出たところ勝負の感です。十九日づけの手紙が二十五日につくの? 今は。Yという人は全くそのとおりです。そして、家としてそういうタイプから受けた記憶のこともわかります。この頃はすこしましになって口のききかたもちがいますから、お母さん吻《ほ》っとしてです。何しろ一ヵ年間すっかり達ちゃんにまかせ、ハアこんな安気なじゃが、いつまでつづこうかしらと思っていらしたのだって。だから、いくらかせんないところもありますのよと仰言ってですし、それもよくわかるわ。でも友ちゃんが留守だと、やっぱりいろんな内輪話が遠慮なく出て、お母さんさっぱりなすったそうです。あれもこれもまア結構よ、友ちゃんはあっちで、こっちはこっちで。
お手紙みんな頂いて居ます、こんどはちょいちょい下さるから私はほくほくよ。妻にはよく手紙をかいてやるべし、という教訓を御実行だと思って。先来た頃は、何となし、私がこっちにいるということであなたは堪能したように余りお書きにならなかったわね。
達ちゃんへの伝言の件。私も切実に思ったことでした。一寸はふれて話しました。達ちゃん一人の折。けれども、もう私から話す折はないでしょう。もう広島へは行きませんし、私も二日にはかえりますから。そちらから手紙で改めて仰言って下さい。もと行っていた間のそういう面の生活について私は塵ほども存じません。塵ほども話さないのでしょう、家のものには。達ちゃんの今の気分では平静ね。友ちゃんに満足しているし輝は可愛いし、その場の空気でまきこまれるようなことさえなければ、いいのですけれど。もとのときも余り粗暴ではなかったと思うのよ。でもお母さんに月五十円ずつ送ってくれと云ったので、それはいけません、金をもっちょるとよいことがありませんからのうと云っていらした。そこいらに機微があるのよ。この前の経験の。友ちゃんはナイーヴに、物はいくらも買えるから金だけ送ってほしいて云うてですのと云って居りますが。
きょうは三十一日。朝。輝がこの机の横へ来ておとなしく臥て足をパタパタやって居ります。きょうは月末ですから店はなかなか多忙で、岡田という男が車にはのらないで集金その他をやって居ります。自動車の収入は大きいのねえ、びっくりしてしまいます。しかし又修繕その他にずっしりと出てもゆくから、なかなか荒っぽい仕事です。収入だけ云えば二台の車が半月で――達ちゃんが出てから千八百以上らしいのよ。実収とはもとより別です、実収といえば、その三分の一或は四分の一ぐらいなのでしょう。
私はこの男がいるうちに荷物つくりをして駅まで出そうというのでまとめているところへ二十九日づけのお手紙着、では荷もつと一緒にこの手紙を、と思って、たすきがけで書いているというわけです。
本のこと分りました。でもあれは、スペインかイタリ系統の名でしょうね。そうだとすれば又そこにあることもあるかもしれず。注文はいたしません。岐|山《サン》なの、成程ね。ヤマでは重箱よみね。中條《ナカジョウ》とよむと同じで。この歌は私には一種の愛着を感じさせます。鼓海なんて、やはり大陸の影響の早かった地名ね。つづみが浦とでもいうのが後代(平家物語時代の命名法)でしょう。
あの辺が怪談の舞台とは、そうでしょうと思う。一種の鬼気があってね。
達ちゃんは二十九日にもう大勢いる室に移ったそうです。お風呂にも入ったそうです。
私は、もう達ちゃんにいつ会うという見当もつかないから、(三十日にもう接見は駄目になりました)一日か二日に立ちます。二日に立つ予定でしたが、或は一日に立ちます。カンヅメをすこしもってかえります。こっちにいて呑気すぎた様子で、些か困ります、あなたが云っていらしたように、本当にそうだったわ式では、これは困りますから。五日に林町で皆立ち、それ迄にいろいろのうち合わせがあります。年を越す用意してゆくらしいから。それもいいでしょう。こちらも私はかえりますでは相すまないから、何かのときどこへ子供をつれてゆくか、どんな準備がいるか、ということなど、すっかりとりきめてかえります。何しろ光のとなり徳山のつづきで、駅近く、ちっとも保障のない位置ですから。何もないときでも心がけはたしなみですから。そんなことかまわずかえったりしたら、あなたが、じゃもう一度行って来いとおっしゃるかもしれないと云って笑ったの。そうでしょう? 段々旅行が厄介になって来つつありますから。不定期は一つもなくなりました。食堂、寝台も減少しました。広島宮島間は汽車のよろい戸を皆おろします。めくら列車が真昼間走ってゆくのを己斐の駅で見て、何かすさまじさを感じました。走ってゆく、感じがね。
手帖出してみたところ一日に立てば二日(土)につくのね、駅から真直ゆけば十一時前にはつけるのね、二日に立つと四日(月)ね。でもあしたは余り遑しい。四日迄になりそうです。でももうじきだわ、お大事に。二十日の留守よ、珍しい方でしょう、すこしはお見直し下さるでしょうか。
八月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 麻里布駅にて(錦帯橋美観「錦川に架して」(一)[#「(一)」は縦中横]、「建築美」(二)[#「(二)」は縦中横]、錦帯橋「清流に映えて」(三)[#「(三)」は縦中横]の写真絵はがき)〕
(一)[#「(一)」は縦中横]八月二日十一時(午前)今マリフの駅のベンチで涼しい風にふかれ乍ら、のりかえを待っているところ。
柳井線マワリの急行でも、この頃は柳井に止りません。マリフまで来なくては駄目。すいた汽車だったら助かるがと思います。けさ出がけにお手紙よんできかせて頂きました。野原のおばさんも見えていました。
(二)[#「(二)」は縦中横]ここの駅は、目の前がすぐ青田です。その先は海です、実に涼しい風。何と飛行機の音が低く劇しく響くでしょう。
人絹スフ工場も大きいのが出来て居ります。ここは柳井よりずっとあけっぱなしな気分の駅ですね。ここで〇・一分まで待つのよ。
(三)[#「(三)」は縦中横]徳山のエハガキはお宮づくし。ここのエハガキは一つの橋をあっちこっちから。この橋はまだ本ものは一度も見ません、あなたは? 宇野千代は岩国のひとよ。ほかに岩国のひともあったようですね、学者で。明朝東京は七・三〇ですが、どうかしら、そちらへすぐまわる元気あるかしら。今のところ不明。おなかが変なものだから。
八月八日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月八日 第三十四信
帰って来たら手紙の紙まだあると思っていたら、おやおや。もう一綴もないわ。そして又この紙になってしまいました。
三日にかえって、ちゃんと待っていたお手紙拝見して、四日に二十日ぶりにお会いして、まだほんの数日しか経っていないのに、もうすっかりここに納って、うちって面白いものね。
かえるとき何かかんちがえをして、土曜日だと思ったのよ。東京につくのが七時半だから、もし誰か迎えに来ていたらカバンと岡山の駅で買った白桃のカゴをもたせてかえして、私は一寸池袋から降りてまわってしまおうかしらと考えて居りました。そして鏡を見てね、でもこんなにくたびれていては、久しぶりであなたどうしたかとお思いになるといけないかしらなんかと考えていたら(大船あたりで)横の席の人が、日曜日だって朝刊がないっていうわけはないだろう、と笑って云っているのがチラリと耳に入って、あら、じゃきょうが日曜かと急にぐったりした次第でした。
そんなにせっついた気持だったところへかえってみれば待っていたものがあるし、おなかは力がぬけているしで、月曜おめにかかったら、笑える唇の隅が妙な工合にぴくついて。可笑しいわねえ、おなかがフワフワになるとああいう風になるものなのかしら。あなたも気がおつきになっているのがわかりました。
一昨日は、あの手紙の束もってかえり、夕飯後すっかり整理してみました。一どきにしたいことが三つもあって、あの晩は弱ったわ。明月でしたろう? 二階とてもいい月見が出来ました。その月も眺めたいし、手紙も書きたかったし、整理もしたかったし。丁度お愛さんが一ヵ月のくくりで五十四円六十銭也をもって会へかえって留守で、たった一人でしんとしているし、どれをしようと迷った末、遂に最も実際的な整理をすることにきめました。一九四〇年は前半までありました。上落合からのはたった二通なのね。第一信第二信はなくて第三信がそもそもの初りですね。十二月二十日以後で、あの上落合の家には五月初めまでしかいなかったのですが、たった二通しかなかったのねえ。その五月からは殆ど一ヵ年以上へだたりがあって。二通の手紙は可哀そうな気がいたしました。
それに、ちょいちょいよみかえして、大きい字を見ると変ね。いろんな響や匂いが大きい字の間からぬけてしまっているようで。細かい字にとおっしゃった感じわかるようです、紙数ばかりのことでないものもあって。
きのうはそちらからかえりに池袋で円タクひろって、目白へまわって荷をもって林町へゆきました。寿江子は十四日に立つそうです。国が、土・日と行って。林町は今臨時の留守番のひとと武内というもとうちにいた人の夫婦がいますが、丁度一尺ざしを三本立てたような感じでね。これもどうもとっつきにくい空気です。私も留守番、私も。という気分からそういうことになるのね。大変工合がしっくりしないので、国、夜業から十時すぎかえって寿江子が安積《あさか》へ行ったら姉さん来てくれるといいなあと申しましたが、評定の結果、こちらは動かないことにし
前へ
次へ
全48ページ中33ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング