の見かた(もう一歩で常識、保守に入りこむところを)が、お弟子ではちゃんと地辷りしていて、あの如き有様なのね。
 そう云えば『誰がために鐘は鳴る』の下巻出ましたね、お買いになった? まだ? 送りましょうか? 机の横にはあの平たく低い方の本棚(あなたの)があって、そこには河出の世界文学叢書と、岸田の『美乃本体』だの小田の『魯迅伝』だの、ちょいとよみたいものも置いてあります。
 文泉堂という本やがあってね、これは『古事類苑』だの何だのの月賦販売者ですが、いろいろの名士のところへまわって歩く、妙な中爺ですが、この男はいろんな人間を見ているものだから一種の哲学をもっていてね。伊藤永之介の書斎を見ましたが、寄贈本ばっかり並べています、あれじゃ先が見えて居りますハイ、と云っていました。こういう云いかたにはいやなものがあります、しかし本当のこともふくまれている。ほんとにしろ、いやだけにしろ、いろんな人をとおすところに本はおかないものだという教訓がここにふくまれて居りますね。うちの茶の間には置場がなくて万やむなく二つ本棚をおきますが、それにはカーテンがかかっていて、それも実におかしいカーテンよ。というのは、こっそりあけてなんか迚もみられないの。というのはね、この頃、ハリ金、金棒なしですから画鋲でとめてあってね、布がおもいからうっかり手をさわるとすぐポロポロにこぼれてとれておちてしまうのよ。素晴らしいでしょう。文泉堂もその中までは見られませんからね。一つは日本文学史関係の本棚、一つはまだちゃんと整理してなくて、ガチャガチャ。書斎に人をとおせるのは学生時代だけでしょうね。
 なるほど、こうやって机に木綿の布をかけるのは妙案です、本当に楽よ、手がこすれてもキューキューしていたくなくて。それにきょうは私一人でまだ派出婦来ないから、黙っているのもいくらかいいらしい。浩子さんは、ものを考えつづけている人の顔に馴れないからキゲンわるいのかと心配するだろうと思って、下にいると、ついつとめても話していたから。何だかこうやって黙っていると、すこしおなかに力がたまって来るわ、益軒の「養生訓」に、おしゃべりするなということが多分ありました。それは当っているわ。
 この本箱に『支那女流詩集』があります。女の詩人はすくなかったのね、各時代を通じて二三首ですって。支那では歴代の集、「唐詩選」、「三体詩」、「唐宋詩醇」のようなものには一つも女の作品はいれなかったのだそうです。やっぱり支那ね、あんな魚機のような作家もいたのに。
 ゆで玉子をたべながらチラリチラリ頁をくりますが大して面白いものなし。ところが妙なことで思い出しますが、戦国時代の一人の女のひとが「秋の扇とすてられたらば」という意味の「怨歌行」という詩に、新しい斉《セイ》の※[#「糸+丸」、第3水準1−89−90]素《ガンソ》(真白い練絹)の鮮潔霜雪のようなものを裁って合歓の扇となす。団々として明月に似たり、君が懐袖の中に出入し動揺して微風を発す。云々。団々として明月に似るというの面白いし、そういえば、私たちの小さかったとき支那|団扇《うちわ》のまねをしたダエン形の絹団扇があったわねえ、あなた御覧になったかしら。絹のふさなんか一寸ついたのが。
 今年は、軒に絵のあるギフ提灯もつけてみるのよ、大した甘やかしかたでしょう? 季節のその位のことぐらい。夏は夏をうんとたのしんで勉強しなくては、ねえ。涼風おこらざれば、みずから西風になって吹かん、でしょう? こうきくと、いかにも颯爽《さっそう》としているようですが。
 ね、下にいると面白いことよ、いろいろあたりの生活の動きが響いて来て。水を出したりいろいろしていて。今夜もうんと早ねをしてみます、ダルク眠たくなくなるように。明日は朝そちらへゆくつもりよ。さもないと青いものを入れられませんし、なるたけ早いうちにお中元をすましてしまいたいから。ほんとに落付ききらないうちに。

 七月十五日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 徳山駅にて(徳山市街の一部(※[#ローマ数字2、1−13−22])、徳山市熊野神社(※[#ローマ数字3、1−13−23])、縣社遠石八幡宮(※[#ローマ数字4、1−13−24])の写真絵はがき)〕

 ※[#ローマ数字2、1−13−22]ここのエハガキはおやしろばっかりで中学のがないのね。あればいいのに。珍しく涼しくて混んだ汽車でも大助りでした。この分でしたらきょうも曇天ね。ここまで来て二時間も待つのは可笑しいこと。汽車の中では、ヴォードレイル伝というのを読み初めてこの詩人の生活を知りました。十九世紀のロマンティストというものの意味も突[#「突」に「ママ」の注記]めて考えながら。ハイネとの比較。

 ※[#ローマ数字3、1−13−23]大雨の被害は静岡までに目につきます。泥田になってしまっているところもありました。全国に大雨だったから相当でしょう、「いやんなっちゃうなア」と見ながら悲しそうな声を出している男あり。この男は盛に商売人の合同のことを話していました。子供づれで北海道から九州へゆくという一家があったり。いつもよく今頃旅行して、崖のくずれたのを見たりいたしますね。

 ※[#ローマ数字4、1−13−24]ああ。巖松堂の六法全書は出版九月頃だそうです、南江堂の本は送るようにうちのひとにたのみました。うちの留守のひとは菅野きみ子と申します。そのお母さんも来てくれています。本がついたら、ハガキでもおやり下さい。よろこぶわ、きっと。かけぶとんお送りいたしました。

 七月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県熊毛郡光町上島田より(封書)〕

 七月十六日午後
 今四時ごろ。鶏の声のきこえる二階でこれを書きはじめます。
 私は十四日に立って、徳山からのハガキ御覧になりましたろう? 十五日の七時前につきました。きのうは達ちゃん歯医者だの挨拶だので大多忙で、夕飯を終ったのは十時すぎました。それから持って行くものをつめたりして、それでも皆が床についたのは十一時半ごろ。
 今度のはね、いろいろの点が前とちがって又あとから広島へ行くということも出来ないかもしれないし、一切がひっそりで組合のひとたちが「柔《やわ》うにバンザイやりましょう」と本当にやわうに[#「やわうに」に傍点]それをやるという式でした。だから平服でお出かけよ。いろんなものを、ひきつれて出かけてはいけないというわけで、私たちは駅までときめ、友ちゃんだけがずっと一緒にゆくということにきめて床につきました。二人にとっては眠るどころではない夜であったわけです。
 けさは皆早おきで、そこへ速達が来て、あれは実にいいお手紙であったし、達ちゃんにとっても自分の感情の一番まともなところへ、まともにふれて来たものであった様子でした。兄さんにこんな手紙もらった、云いつけは必ず守るからよう申して下さいと本気に云って居りました。そして私もあのお手紙拝見したのよ。手紙のことなど強い実感が響いて居ります。達ちゃんもいろいろと前より深い感情と経験とをもっていて、あのお手紙はどんなにかよかったでしょう。お母さんは、今度達治が戻ったら三人で東京へ行かそう、と云っていらして。――そのお気持もわかるでしょう?
 九時四十二分の上りで立つので、輝を野原のおばさんがだっこして、友ちゃんは持ってゆくふくろ[#「ふくろ」に傍点]もったりして、それでもあの町筋では目のそばだつ一行が駅へ着いたら、切符は入場券六枚というので、それで友ちゃんの姉さんの文子さんやおせむさんや私たちが入り、うちの時計がすすんでいるというので安心したらもうぎりぎりでした。すぐ汽車が来て、大いそぎでのって、達ちゃんはパナマの帽子を振るものだから、それが白くてずっとずっと先まで見えました。ずっと遠くで、橋のあたりで又一しきり高くふるのが見えました。組合のひとたちは構内に入れないから、そっちの畑の方に出ていたのです。白い帽子が見えなくなって、それから暫く立っていて、それから家へ戻りました。
 うちの二階は、床の間にお母さんが端午のお祝の兜と太刀をお飾らせになって脇には花が何とか流に活かって飾られました。二階の六畳のつき当り一杯に友子さんのタンスがはめこまれていて、うちの様子は随分変って居ります。そんなものを眺めながら野原の小母さんと休んでいて、おひる皆でたべて「もう広島へついてじゃろう」と云いながら終りかけたら、あのお爺さん野田、あの人が来て、又改めておひるを出して私が給仕して、お母さんは横におなりになりました。気づかれで盲腸がすこし変におなりのようなので。
 二時のバスでおせむさんがかえり、私はお母さんの横になっていらっしゃるわきで、いろいろ話して、さて、と上って来た次第です。
 丁度、もう一時間余で達ちゃんが出るというとき、河村のおばさんが大あわてで入って来て、長男が現役で入営しているのが急にあっちへわたることになったというので、徳山の製塩につとめているおとっさんを電話でよび出してかえって貰うことにしたり、混雑は二重になりました。
 達ちゃんがのりこんだその汽車から河村のおっさんがびっくりした顔でおりかかるとおかみさんが、ああ、あなた、そのままおいきませ、というわけで、どういうわけだったのか河村のおじさんは黒い上着をぬいで、縞のシャツだけになって、すぐそのままのって行きました。どこもかしこもこういう風景。
 達ちゃんは伍長ですから、こんどは責任を負う立場だそうで、修理なら小さい工場一つをもつようになるそうです。仕事その他の見当は勿論全然ついて居りません。
 家の方は合同はしていても内容は個人経営の部分もあって、達ちゃんの代理は山崎の峯雄さんがやってくれるそうです。さもないとYという人が自動車をつまりは自分のかせぎのために使うということになるのだそうです。やはり二台のままやって行って見るそうです。あとで買ったフォードは中古で、五千いくらかだそうですが、これは無理をして買ったのではないから楽なじゃありますよ、とのことです。これが借金になっていないのは大助りね。半年、今の稼ぎがつづけばいいそうです。〔略〕
 輝は可愛いわ。私は、あらと心の内におどろくのよ、あなたに似ていると感じて。そして実に可笑しく思うの。友ちゃんは友ちゃんで、あらと思うところがあるのでしょうし、お母さんはお母さんでやはり俤をそこに認めて一層可愛くお思いになるのでしょう。こういうところ、滑稽で面白いわねえ。三代に亙る女性たちの生活だけれど、そういう点では執拗に妻たちであるのね。
 実際私は友ちゃんを思いやるわ。当分、どこへ行っても(うちじゅう)どうしても感じる空虚の感じは、友ちゃんの場合痛切にむき出しでしょうから。輝がいて仕合わせだけれど、只、それはまぎれるだけでね。まぎらしのすぐ裏にどっさりの語られない思いがあるのだから。
 こっちももののないことは東京と大差なしです。お豆腐もなかなか手に入らず、野菜も少い。お魚もなかなかこっちへ迄はまわらないうちに売切れてしまう。牛肉がそれでも買えて珍しいと思います。玉子もあるの。お菓子も出来た時にはある由。七分づきのお米です。でもやっぱりおかずに困っていらっしゃるのよ、東京と同じねえ。何にしようときめるとその材料がない、それで又考え直しという工合。
 明日あたりお墓詣りいたします。十九日二十日は野原。二十一日にこちらへかえって、もし達ちゃんにもう会う折がなさそうならば二十四日ごろにでも立つかもしれません。
 きょうは友ちゃんも達ちゃんも涼しくて、そして雨があがっていて大助りでしょう。
(ゆり子はん、おふろへお入りませとおっしゃるので一寸入って来て)
 お母さんもつまりは商売をぱったりやめられもせず、で却って気に張りがおありになるらしく、くず折れては決していらっしゃいません。私が来てよかったとくりかえし仰云います。よかったことね。新しい顔が一つ加ると、家の者ばかりでしめっぽくなるのがなおるのですって。東海道の不通が分ったときには、私は閉口して困ったけれど、それでも間に合ってようござ
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