をする間、どうにも髪を洗いたくて、たきつけて、ゆっくり食事して、さて又ゆっくり髪を洗い、体を洗い、あげくに風呂桶を洗って、さて、ここで一服というわけです。
今度はね、私はちょっとちがった心持で暮せそうなところもあります、一時一人がまるでいやで、今だっていやだけれど、何とかして寂しいのいやで、そうでなくしようとばかり焦立っていたように思われます、今度は何だか寂しくないわけに行かないのなら、どうしてそれをもっと自分のものとして自分にうけいれてしまわないのだろうと不図思ってね。何故うちの人の気なさにこだわってばかりいて、ほかのうちの中までこちらの気持ひろげて暮さないかと思ったら、何だかすこし心持が変化しひらいて、いくらかましのようです。これは少くともこの条件に立つ以上健全なものでしょう。私はね、子供らしいかもしれないけれども、自分がこうして、いろいろにちがって来る条件の中で、いろいろ暮しかたを学んで、段々いつもたっぷりした自分のあたり前の心でいられるようになりたいと願います。面白いことねえ、ある条件が自分にいや、どうかしてそうでないようにしようとする、いろいろ考える、しかしもっと本質のいやなのをうけまいとすると、第一のいやを受納しなくてはならないというの、私面白いと思います。だってね、私これ迄は大体小さい条件は、自分のいやと思うことは変えて来ていて、いやならかえるようにするという形での積極な動きを知っているだけでした。今はもっとそこが複雑になって来て、変えようとそのものをつっつくより、それから先へ何かをつくり出して行こうという――今の場合なんかそういう心持ね。「朝の風」の弱さは、寂しさなら寂しさというものをそれをつっつきまわして追いはらおうとしている範囲に作者がいたから、その感情が映っているのですね。あの作品についてあなたも書いて下さり、自分も申しましたが、何だかハハンと今、合点の行ったところがあります。
寂しかない、寂しくなんかあるものか、そういうのではなくてね、それを、もっと愛して、自分のうちにとってしまって、寂しいとはこういうものかとうち興じるような何かそんな生活の味。
そして、生活は又一層のニュアンスをふかめるのです。向日性というものは寂しいなんて思いをしたがらない、しようとしない、寂しそうになると大いそぎでそれをふき消そうとするアクティヴィティだけでは、浅くそして単純ね。その寂しさをそれなり透明な光で射とおしてしまうのが、寂しくてそして明るいという、そういう美があり得るわけです、こんな風にして、成人してゆくのねえ。今の心持が私には興味があります。
こうも思うのよ、誰が見たって自分で考えたって一応はそれが一番いい方法というその方法になかなか自分を従わせることが出来ないで、そして、こういう風に大きらいな一人暮しをもやっぱり自分のなかにとりこんでしまってゆくところ、そこにつまりは人間の面白いがんこさ即ち小説があるのではないか、と。人生におけるその作家[#「その作家」に傍点]の線のひねりかた面白いわねえ。実におもしろいわねえ。常識の判断でだけスラリヒラリと身をかえせたら、やっぱりそれだけのものだわ。なかなか味がある、という、どうもそういうところ迄わかりそうな気がして、たのしみのようです。動くとしても、もうすこし、この味をかみしめてからよ。六年ほど前上落合に一人いて、あのときも一生懸命暮して、「乳房」のような愛すべき作品をかいて居りましたが、あのときなんか、寂しさをやっぱり見たくないつら[#「つら」に傍点]として日々の中ににらんでいたわね、どうもそう思われます。私たちの生活は、いろいろのものを私たちに味わせていて、これだってその実に正統の愛子なわけだのに、と思って、私の明るさも陽気さの範囲であったかと思ったりいたします。陽気な人っていうのは、私は土台淋しいのきらいさ、と口やかましく賑やかに暮して、それは小説なんか書かない人だわ。こんな話、一寸ちがって風味がなさるでしょう?
あっちのうちで、かんを立てて、我ともなく自己肯定に陥っているよりは、この方が余程人間をましにすると信じます(今のところでは、よ)、細かいことでいろいろの心持を経験して。
きのう、送られて来た同人雑誌を見ていたら、六芸社から出た『文芸評論』の、芸術性の問題にふれているところ、内容とか形式とか二つに分けて芸術的感銘は語れない、その統一がいると云われているところを一つの発展としてとりあげているのをよみました、誰かの文芸評論の中で。
これは私を肯かせるのよ。何故なら、中公の『現代文学論』では六芸社の著者が、そこへともかく線をのばして描き出しているという文学史のステップを一つも見ていませんからね。あれはその点正当に云って落ちている点です、いきなり『芸術論』の著者の見解の未展開であったところだけに視点をあつめてものを云っていますから。何か感情的なところもある。文学史としてちゃんと眺めれば、その一つの前へのばされた線はよしんば短くあろうとも本質においてとばせません。
人間にかえるものがたりについて書いていらしたけれど、そればかりでなく、この点に私としては云いたいところがあって、それで書評はどの中へも入れなかったのよ。書評は好意をもってかいていて、それは勿論いいのですが、いろいろごたついたあと、そんなことへの全く私だけの心くばりがあってつとめてよく見たというところが、あとから見ると、文芸評論書評として不満になったわけです。
さあ、もう髪もすっかりかわきました。今夜は早くねるのよ。この間うち私はくたびれて、かえって眠り不足になっていたから。
中公の書き直した部分の校正が出はじめました。年表はまだ。火曜迄には、『私たちの生活』もすっかりあちらにわたせて、次のにかかれる頃でしょう。ではおやすみなさい。
五月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月十六日 第二十四信
ね、今ね、家じゅう屋鳴り震動という有様です。おかしいでしょう。けさね、派出婦さんが来たの。今掃除しているのですけれどね、この人は働く音響効果を大変愛好するらしいわ。実に笑えます、だって、ハタキにしろ箒にしろ、その道具が立てられる最大の音を出すのだもの。そして今はガラスを拭いているのよ。ガタガタ云うでしょう、たださえ。その最高のガタガタをやるのだもの。それでも、これで家じゅうさっぱりして、お恭ちゃんが使っていた布団類の洗い張りも出来ていいわ。
今月は半月大ばたばたでした。そして、御無沙汰つづきのようになってしまいました。この前書いたのは八日でしたもの。九日に書いて下すったお手紙ついたのは十二日よ。丁度、光多がなくなったという栄さんの電話で、出かけようとして郵便箱のぞいたら(午後三時ごろ)来ていて、それをフロしきにつつんで出かけて、ちょっと隅で封を切って走りよみいたしました、うちへかえるのが待ちきれなかったので。
久しぶり久しぶり、ねお手紙は。おKちゃんのことは全く悄気《しょげ》てしまった、佐藤さんからきいて。去年の初め来る前とった写真にも空洞は出ているのですって、もう。それだのに、あの兄先生ったら、それを私に見せて、肺門のところのかげをさしたのよ、それは血管のかげですって。別のところに空洞があり、この間のではいくつも出来ていて、つまりもう治癒することは非常に永くかかる状態になっていて、キンもぞろぞろでしたって。一年そういう人といたのよ、お察し下さい、別の桶で茶わんも洗わず。私は病気そのものには何の偏見もないから、ちゃんと別に洗うものは別にとさえ出来ていたらいいのに。そんな先生[#「先生」に傍点]が、一つの村で結核の集団検診をした報告を本にしたりして時流にのっているのは、殆ど非人道的ね。実の妹をそういう扱いでおきながら。
村山の先生もふんがいしていた由。佐藤さんだっておこっています、赤坊をつれて来ていたし、赤坊をだいたし。この前マントー反応をしらべたときは陰性だったが早速又しらべると云っています。責任を知らないほどこわいものはないと思いました。おKちゃんだって可哀想に。その上兄さんのお礼の手紙には、作品で感じると同じ暖い心で対して頂いてとあって、これにも腹を立てました。だって、そうでしょう。ふだん、こんなこと書いているが実際はどうかという風にいろいろ見たりしていたということで。
最もわるいのは、ふさわしからぬ功名心のあることです。
詩集のこと、火曜日に笑ったように。でもユリがだよって、そうかしら、そうお? 私だけ? 私だけならつまらないと思います。あなたの方にダラダララインがないのはあなたにとって何というお仕合わせでしょうね。私の方は閉口ね。ダラダララインに到る迄に小ダララインだの、あわてラインだの、ハット思いラインだのっていうのが散在しているのよ。そして私は自分でそのラインにひっかかって、赤くなったり蒼くなったりよ。
うちでは牛乳を一合だけとることにしておいてようございました。今はもうとれません。そのとっている分も場所が変ると駄目なの。玉子は市場では二人で一ヵ月五つ位。玉子と云えば、私よく思い出します、いつか夜仕事していて、おなかがすいて玉子を茹《ゆ》でたらいそいでいて何か工合がわるくて、カラをむいたらカラにくっついてまるであばたのゆで玉子が出来たでしょう。そしたらあなたは、いかにも妙な顔をして、おなかが空いていたのにあがらなかったわね。あれをよく思い出します。あなたは不自然なような、変なことやものが、ひとりでにおきらいね。感覚的におきらいね。〔中略〕
封緘のことはもう大丈夫よ。あっちこっちから集めることが出来て、この次不足しても相当間に合います。光井・島田からさえ送って下すったから。大尽よ。どうぞ御安心下さい。
きのう『都』にヴァージニア・ウルフが自殺したと出て居りました。[自注5]何だか、分る気がします。彼女の心理主義も、この欧州の混乱に対する気持も。私はウルフが『三ギニー』という本をかいて、今日の歴史の様相と女性の無力さに抗議したというのをよんだとき、ウルフは彼女の心理主義(ジョイスなんかと同じな)からどう脱出するだろうか、それしか彼女の道はないと思っていたの。そしたら死にました。しかも河へ身をなげて。――六十何歳かで。彼女のよく散歩する河辺に愛用のステッキがのこされていたのですって。彼女の愛する沙翁の女で、ピストルを自分のこめかみに当てた女はなかった。河へ身を投げるなんて。何だか実にしめっぽい死にかたで、そんなこと迄或はウルフらしいと云えましょう。「世界よさようなら」という手記を妹に送ってぶらりと出たままの由です。
それでも、やっぱり欧州の婦人作家ですね。五十に近くなるともう隠居婆さん風になって自分の小さいぬくもりの中にかがまっていないで、さようなら、というにしろ世界よと云うのだから。ウルフの『女性と文学』が翻訳で出ていて、そのこと何かお話ししたでしょう? 本当にあれをよむとこの世界の動きかたをウルフはどう見てゆくだろうかと思いましたが。中公の書き直したのでは終りにウルフの婦人作家についての感想をいくらか批評してふれました。年五百|磅《ポンド》の収入と閑暇と静かな部屋とがなければ婦人作家はよい仕事が出来ないというウルフの考えかたも分るけれど、しかし私たちは、自分たちにそんなものはどこにもないという、そのない[#「ない」に傍点]ことをどう見てどう感じてゆくかということから文学をつくって来ているし、これからもつくるのだということをつよく語ったわけでした。そんなこともこのニュースとてらし合わして見るといろいろ思われます。
それから文学者の会で松岡と一緒にぐるりと歩いて来た長谷川進一という人の話をききました。三巨頭についてなど。それからその話について質問する婦人作家たちの所謂政治的関心、国際的話題の出しようなど。大変面白かった。というのは、金子しげりと同じようなことしかきかず、同じようにしかきかないという意味で。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1
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