日  第二十一信
 オハガキアリガトウ。こういう字でお礼をかくような気分ね。何とペラっとしているでしょう、一枚の葉書というものは。何度裏から表へひっくるかえして見ても、やっぱりこれっきりよ、いやねえ。そして、私は恐慌を来します。こうしてハガキが四分の一になると、私の方は妙な逆作用が起って、何だか四倍書かなくては気のすまないような猛然たる心情となります。ハガキではあなたも何となし坐りにくいような御様子に見えます。益※[#二の字点、1−2−22]この家はかわれないわ。四年の間郵便局へはひどいときには一日三四度用事がありますから、そのおかげで、やっと、来月は何枚か封緘をわけてもらいます。実感でわかるように、とおっしゃったこと、大意地わるです。
 いろいろなものがなくなったが、こういうものもなくなるのね。ダラダララインは一撃のもとに破れますね、こういうことに及ぶと。
「北京の子供」は、よんで居りませんけれど、この間包む前パラパラとくって見て、そう思いました。小父さんというような情愛があるでしょう? いかにも小父さんぽい味ですね。
 お恭ちゃんの洋裁は大助りよ。お久さんの娘は千鶴《ちづる》というの。私のすぐ下に千鶴子《ちづこ》というのが生れて、その子は札幌で生れ、へその緒を産婆がランプの芯切りばさみで切って(!)それを知らずにいて、すぐ死んでしまいました。その産婆は営業停止になったそうですが、お久さんの娘が、わざわざ田舎へかえって生んだりしてやはりおへその扱いが完全でなくて大変わるくて、やっとこの頃よくなったそうです。名は同じだし、お久さん元来丈夫でない体だから、私はヤイヤイ云ってお恭ちゃんに番をとって貰って(パンから卵からすべてバンをとるのよ、そしておあいそをよくするのよ)木曜日に女子大の幼児の健康相談へ来させました。いろいろ有益だったそうで、来週又来ます。ここへは、何人かの子供づれの友達たちが皆ゆくので、お久さんは計らず久闊を叙すのよ。面白いでしょう? そして、うちは赤坊だらけになるの。その娘のためにお恭ちゃんは可愛い女の子の服縫いましたし、あの看護婦だったバラさんの男の子のために今水色の布で肩へ一寸かけるケープぬっていて、なかなかいいお祝が出来ます。何しろ今はぞっくり子供で、賑やかねえ。私はきょうあなたが赤坊のこと云って大笑いしていらっしゃるお顔みて、あなたの膝で赤坊がギャアギャアわめいてあなたを閉口させたらどんなに面白いだろうと思いました。でもあなたは余りちょくちょく自分で抱いたりなさらない方(ホウとよむのよ)かもしれないわね。どうかしら。私と赤坊とは思うにまかせぬ仲なの。私が丸いでしょう? 赤坊も丸いでしょう? 丸いものと丸いものとは何だか工合がむずかしいのよ。だっこしてやると。
 林町の風呂がこわれたというので、昨日は泰子を入浴のため珍しく親子三人で出かけて来て、お湯に入り、夜までいてかえりました。泰子すこしはましになりました。然し、まだ脚がくにゃくにゃ。体がよわくて頭がおくれたというより、頭がよわくて体おくれているのだそうです。本当に一年経ったというよその子を見るとびっくりします。そして咲枝の悲観するのも尤もと思われます。マアこの子はこの子なりでいいのだわ。
 きょうは実にふき出して且ついくらかバカらしくなったことがあります。万里閣って本や、ね、あすこの人が来て、婦人のために八巻からなる講座を出すのですって。そして、私に監輯として名をかしてもらい一講座担当して貰いたき由。執筆者の中には昨今高名を轟かして居られるところの情報局鈴木庫吉中佐殿その他があります。その任にあらずと申さざるを得ない次第でしょう。この頃の本屋は、先生と云って呼ぶ対手なら、と常識もそなえていないのねえ。女性のための講座だからとしきりにいうの。全くおもろし[#「くおもろし」に傍点]い。おもしろい以上。そのくせ、このごろの出版やはものを知らないと盛に云っているのです。
 そのお客の前には私の国文学の先生、たまにお話しいたしましょう? あの方が源氏物語の研究的な本を脱稿されてその話。
 その又前は、市場で一生ケン命封緘を貰うことをたのんでいて、丸善に電話かけてあの本まだ来ていないということをききました。
 その又前は銀座にいて、これもたまにお話する古田中という母のたった一人の女の従妹のひとのお見舞の品を、風に吹きまくられつつさがし、何にも当にしていたのがなくて到頭ねまきの下に重ねるゆかた買って、それが案外たかくて、ペチャリの財布になりました。もう三年以上床についていて、糖尿の悪化したところへこの間腎臓を患って、今月中には行くと云って約束してあるのよ。お察し下さい。今月あと何日あるのか。
 その又前は、大層ないじわるのところにいてね、そのひとは、ニヤリとしながら、ハガキの味を私がまずいまずいと云うのを可笑しがっていました。
 この間本の中へ入れようとして外国からの手紙見つけ、つまりはどこかへ行ってしまっていて分らなかったのですが、日記が(小さいときからの)出て、いろいろおもしろく、やはり又日記がつけたいわ。もう何年も何年もつけません。
 たくさん、こまかく生活の話をするようになって、つまりそれが日記みたいになってしまうのでもあるけれど、でもやっぱりおのずとちがうところもあって。日記をかく生活ということについてもいろいろ感想が湧きます。ねえ。
 そう云えばね、角の印判屋ね、あすこなくなりました。この間通ってオヤと思い、きょう大きい眼玉で見たら。きっと店が立ちゆかなくなったのね。よく電車で通って、斜《はす》かいにチラリと見るのですが、もうあのお婆さんも住んでいないのかもしれません。二階はあいていて、ちょっとしたものが干したりしてあるわ。
 島田では、どの名になさいましたろう。光雄は、ミもツもつまる音でしょう? ミヤがそうですから、音のひろがりがなくて、ミヤモトミツヲは窮屈と思うの。治雄がいいのかもしれません。
 お話するの忘れたけれど、台所の大きい膳棚の奥に小部屋がありましたろう? あすこを手入れしたら小じんまりとした四畳半が出来たのですって。赤ちゃんは二階で生んで、すこしたったら若い一組は赤坊つれて、そっちへ居間をうつすのですって。それは大変いいと思います、今に小さいのがふえれば、逆にお母さんがあすこへうるさいときお引こみになれるから。冬はいいでしょうが、夏暑いかしら。うしろが丁度今まで俵つんであったところですから。でも、もうそっちは何にもないのならぬいて風通しをおつけになりでもしたかしら。隆治さんかえって来て二階にいられていいことね。私が行っても助ります。
 初端午に何あげましょう。何がいいかしら。あなたは鯉のぼり持っていらしたこと? きっとおさとのお母さんがうぶぎと鯉のぼりはお祝いになるのでしょうから、私たち何にしましょうか。あすこは余り床の間が淋しいから何か端午の幅を私たちからあげましょう。林町で一寸した飾りを送ると云っていたから。
 今に女の子が生れたら、可愛い桃の花を描いたかけものをやりましょうね。私は仰々しいのは真平だけれど、そうやって、小さい男の子や女の子の伸びゆく姿への good wishes を大人が示してやるというのは非常にすきです。大きくなってからやはりその子はゆたかよ。思い出が。尤も、私はおひな様なんか知らないのだけれど。
 子供と云えば犀星が今月「蝶」という小説をかいて居ります。十七八の娘とその友達の五人の娘たちの中に一人死んだ子があって、それを中心にかいているのですが、ああいう境遇で成りあがって、娘の友達でも八百善(江戸時代から日本屈指の料理屋よ)の娘だけはそう小説の中にかいて、軽井沢へ持って来た米がちがうなんかということかいたり、不自由なく育つ娘を、わきから感歎したり珍しがったりいくらか卑屈になったりして見ている父親の気持、それこそ犀星このんで描く脂のきついものだのに、蝶のような娘たちのスカートというような、どうももってまわったものです。親父えらい目を見て、四十五十になって庭のどうこうという生活に入り娘はその条件の上での交友があって、それを親父がたんのうして眺めている、芸者のおふくろとちがうようで実は似た心理。ひどく感じにうたれました。別の小説が一つかけるのですもの。志賀直哉が前月「早春の旅」という随筆のような小説で、直吉という息子への心持かいているのが、全くちがって。舟橋聖一のヒューマニズムの納骨所としての親子の絆の肯定ぶりだの、なかなかこの芸術にあらわれる親子の面は意味深長ね。
 本当に犀星のこの蝶はそのものとして一つの社会因果を示していて小説になります。娘は無邪気なのよ。至極。
 太郎は学校に行くようになってから、大人らしい[#「大人らしい」に傍点]のが大好きで面白いわ。昨日も親たちこっちへ来るのに、自分は裏の家のひとが子供づれでどこかへゆく(植物園)について行って(同級生がいるものだから)僕フロなんかよりいいや、とそっちへ行ったのですって。
 協力から本出るのかしら。どういう題がいいか、まだはっきりしません。パラリと楽にくんで楽な本にして貰いましょう。
 それからね、この頃おもしろい心持があります、私はきっと Book レビューをあきてしまったのね。それとも、余り「婦人と文学」が資料的なものだったせいか、もう書評だの読書案内風のもの迚も手が出ません。ひとがもう一旦書いたものについて書く、ということはいっぱいなの、もう。即ち小説そのほか生活からじかに書きたいのです。
 そしてね、この欲望はやっぱり林町へは背中を向けさせるのよ。私の仔豚の鼻面が、そっちの匂いは気にくわんとこっちを向くのです。実に強情ねえ。笑い出してしまいます。そして、その強情さは何と自然で可愛くもあるでしょう。皮膚がものをいうのでね。
 まだこの手紙にははっきりかけませんけれど、私にはたたいてもこっち向くその薄桃色の鼻面が改めて自分にいとしく思われるし、やっぱりどっちへどうするかということで先の十年は大した相異をもつことを痛感しはじめています。積極な生きてゆく態度というものの微妙な複雑さを思います。私が正しい人間であり作家であり、しかもそのままいつしか用に立たないものとなることもあり得るのですもの。いつかあなたが、(もう何年か前の夏ごろ)ちゃんとしているということと女史になるということとのちがいを云っていらしたようなものでね。ちゃんとした作家だということは生活の構えによらないのでね、構えを破るよりたかき構えというものがあるわけでしょう。ここに、まだ自分にはっきりつかめてはいないけれど、大変面白そうな何かの示唆(より芸術家に、と。)が感じられて居ります。ここをいまつかまえてはなさずいるわけです。こねくりながら。
 シーツほんとにやぶけね。

 五月六日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 五月四日  第二十二信
 こちらでどうやら封緘を買えたら、やはりそちらにも出来ましたね。
 お恭ちゃんのことについての速達ありがとうございました。おっしゃることもちろんよくわかりますし、そのようにしましょう。
 きょう、私がついて保生園へ行って結果をきいたところ、キンが出ているそうですし、(左の方)前からのもので、キキョーをするのに空気が入るかどうかということでした。去年四月にとったというレントゲンの写真を見せてほしいということでした。
 けさ、お恭ちゃんあてに手紙いただいて、本当にありがたいとよろこんで居ります。工合によってはうちで(目白で)気をつけて癒して行けたらいいと思っていたのですが、村山のお医者の話では、やはりかえった方がよいとのことですし、相当の期間安静にしているのならやはりここでは駄目ですから。皆がよく心つけて心配してくれて、はげましてくれるから、その点では気持も助って居るようです。
 速達でお心づきの点、大丈夫よ。まさか私がそういう風にする女でもないわけでしょう。うちでの仕事は、普通のところから見たら半分にも足りない働きです。それ
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