て一組の心の波動のまま、自然の横溢のままが動きのリズムにうつされていて、本当に、私がきょうという日の心持で見たのでなくても、やはりこれはカッスル夫妻への敬意を求められたでしょう。アステアという男の心のくみ立ても面白い。
 アルゼンチン・タンゴのようなもの、いわゆる情熱をそういう形で(追う、つきはなす、つきはなしたものが次には追う式)表現しないもの、ずっと調和的沈潜的なものを、あれだけに表現する男は珍しい。男の舞踏家として実に珍しい。
 私はこの一つの踊りの美しさに、大いになぐさめられました。そして、ああ私はきょうあなたにどんな優しい話をしてあげようかしらと考えました。アステアが、その踊りで語るようなものを私に語るひとに、私はどんなメロディーをつたえましょう、そんな風に考えました。
 それから富士見町へまわりました。ここでいろいろ話し二十日に日比谷へ行く用がある(ひとのこと、夏のつづき)ことがわかりました。
 私はたくさんたくさん仕事して居ります。ひる間、栄さんの方へ出かけて手つだって貰って来て、かえって、別の仕事やるという工合です。来月十日ごろから後はいく分ましになりますが。それに、よしあしね、私は勉強する、ということがわかって、若い女のひとのためのものでも、思いつきでかけないものが多くなって。いいけれど、ユニークですから。でも時間は多くかかるわけとなります。
 富ちゃんのお嫁は大体この二十二日とかに先方からの返事がある由です。島田の家へ出入りするひとの姪《めい》とかの由。ああこの字クシャクシャかいて、あなたが坦々をクチャクチャもんでいらっしゃるのを見くらべ笑えました。あの坦々のくしゃくしゃを見れば、どんなにデコボコかいやでもわかりますね。
 栄さんの「暦」その他、本になります。このひとが作家として示している自然発生のよいものとその低いものについて、低さの面をいうのはごく親しい二人の女の作家ぐらいだということを、栄さんは一つのおどろきに近いこわさとして語っていました。そのとおりです。戸川貞雄の月評家としての目安も、この人らしいことね。第一のように云っている作品について(正月)多くのひとはいろいろ疑問を呈出しているのです。
 内在的なものということを云っていらした意味、この頃、人間の問題としても芸術上の問題としても一層わかります。こういうものは全く一つの可能としてあるだけですね、そのものとして内容ではないわね。内容をあらしめる可能としてあるにすぎないというところ、何と考えさせるでしょう。そして何と多くのものが、可能性の色合いというぐらいのところで、日常にも芸術にも生きて行っているでしょう。しかしその可能を内容と成育させてゆくということは何と自分を劬《いたわ》っていられないことでしょう、面白いわ、ねえ。どうぞお大事に。私もいろいろよくやりますから。

 二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月十七日
 こんな紙をちぎって書いたりして、何となく女学生の恋文のようで可笑しいこと。封筒はちゃんともって来て、紙を忘れて。それでも一寸かいて、気を落付けて、それからきょうはここがしまるまでねばります。
 このノートの上に午後二時すぎの日光がチラチラして居ります、ここは日比谷よ。珍しいでしょう。あやうく潰れかかった図書館だけあって、内部の設備は実にひどうございます。市の図書館として、こんなところにあるのにしては国辱ものですね。婦人の室なんかほんとに狭くて、ぎっしりつまって四十人ぐらい。この辺の若い閲ラン者はこの辺の給仕や何かしている青少年が多い様子です、そんなこともいろいろ又考えさせます。本の出入に一人の若い人がいるきりです、その人の襟もどこかの夜学のマークがついて居ります。四年というしるしがあります。
 それでも上野になかった本が三冊とも(平林たいの)あってうれしいと思います。上野にないものであるのもある。必要にしたがって、下拵えの勉強は図書館で出来るから大分便利になりました。大抵のひと、いやと申します。自分のものをかくということになれば、せいぜいこの位のもの、それも、気分をまとめるに役に立つという程度ね、どうしても。
 私の向い側の割合年とった女のひとは一心に英作文をやって居ります。となりには女学生がいて、地理をやって居ります。小さいガスストーブが一つあります。夜になったらあっちへストーブよりへうつることですね。森長さん、岡林さん終りましたからどうぞ御安心下さい。
 私はこんなノートをつかって居るのです。そして、大きいのんきな字でたてがきをしてノートとるの。
 ではこれから一しきり本よみ。どうぞ御元気で。あったかいようで風はさむいことね。西日が右の顔半面にさして、不安です。でもお客にせめこまれる心配のないのは何よりです。ではこんな紙で御免下さい。よみかえして見ていかにも塵っぽいガタガタ図書館での手紙らしくて可笑しくなりました。これも御座興でしょう。

 二月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月二十四日  第十七信
 十八日にね、一枚ばかり手紙かきかけて居りました。それにはこうかいてあります、
 ひどい風ですね、きょうは紀を夕飯によんだので、買物をしに出かけて、ビリアードの横を入って見たら、ふとんが干されて風にふかれて居りました。けさはずっと勉強していて、その間に云々と目のかわきの苦しさを訴えて居ります。本当にひどいかわきつづきでした。
 森長さん二十二日でしたか? それとも三日でしたか。ともかく、今は漸々《ようよう》ほっとなりました。
 忘れていられる時間が一日のうちに出来て、何と頭が楽になったでしょう。
 写真かえって参りました。割合早くかえって来たのも分るようでもあり、何だかというようなところもあり。
 きのうきょうで『文芸』のを終りました。「あわせ鏡」というのです。例えばたい子の小説、芙美、千代これらの人の作品は、一方に歴史をちゃんとうつして(正面から)いるもう一面の鏡なしには決して本質が明らかにされることの出来ない作家たちですから。特にたい子の作品は、反撥をモチーフとしているという全く特殊なものですから。実にひねくれているものですね、書いていておどろかれます。自分のもっているボリュームの全体でひねくれてしまった不幸な人です。
 きょうは土曜日でなければ、やれ、と机から立っておめにかかりに行けたのに。「三月の第三日曜日」はやっとこれからよ、可哀そうでしょう? 〆切が六日で校了であるそうです。でもこれは気持いっぱいにあるものですから、楽でしょうと思います。かきはじめたらなだらかにゆきそうです。娘の名は何とつけてやりましょう。弟の名は何としましょう。娘はヤスはどう? 弟は何か吉のつく名が見つけたいと思います。どうしても娘の生活が中心になりますね。そして、はじめはその日曜一日を書こうかと思ったのですが、もっといろいろかきたいから題も自然かわるでしょうと思います。
 月曜日にそちらにゆきます。明日、月曜日、すこしそのために歩きまわらなければなりませんから。何か妙な映画も見なければいけないの。「迚もいいわよ、可哀そうなのよ」という話題になるのに。
 この二月は二十九日あって一日たすかりますが、小説がのろくて困ったものです。
 うちでは多賀ちゃんの風邪がやっとなおりました。それでもまだ遠くへ出かけたりする気にならない由です。私は、さては東京に当ったと云って笑いました、富ちゃんのお嫁は大体きまりそうです。きまったら割合早く式をあげるでしょう。お祝いには、腹をしめて働くように、バックルのすこしいいのをあげようと思います。20[#「20」は縦中横]前後の。いかがでしょう、もし何かいいお思いつきがあったらお教え下さい。バックルはいつだったかデパートで多賀ちゃんと見て、「兄ちゃんこんなのよろこぶ」と云ったものだから。野原のおばさまもさぞホクホクでしょうね。私たちが、先の女のひとのことを、そのことだけやかましく云ったって駄目で、生活全体が変って来れば、と云っていたその通りだと御感服の由です。
 多賀ちゃんの方も、よくききませんが、Kという人に、はっきりといきさつを切った手紙、島田のお母さん宛の手紙と同封して送ったようです。サバサバしていると云われると、何だか却って私の方が苦しいようでもありますが、でも、生活のひろい視野が出来て、考えかたがちがったところもあるのでしょうし、それでいいところもある。余り狭いなかで反撥しての選択でもあったでしょうから。しかし、何だかやはり私は苦しいところがあります、その手紙貰った男のひとの心を考えると。この人生に持っているいろいろの可能の相異(外部的なものとしての)を考えると、気の毒です。お母さんはおよろこびのようで、「よりよい娘となって」云々とほめたお手紙がありました。
 でも多賀ちゃんは面白い娘です、内へ内へと吸収してゆく性質です。そのために考えきれないほどで、初めはひどく疲れたと云って居ります。
 いろんな女のひとがいろんな相談をもって来て、その話をわきできいているだけでも、きっと随分判断力はつよめられてゆくのでしょう。
 眼の黒子は三月に入って、私がすこしひまになってからです、ひとりで行って万々一妙なことになるといけませんから。
 林町のあか子はまっしろけですって。この頃ずっと行かないので寿江子の話です。
 そう云えば、隆ちゃんが家へお金送ったというのはびっくりいたしました。あの僅の金の中からどうしてたまるのでしょう、金のつかい道もないところの暮しなのだろうと思いやります。
 達ちゃんに送る本はこれまでも皆島田へ送りかえされて来ているそうです、多賀ちゃんと富ちゃんがよんでいたそうです。時間がないのでしょうね、そちらへたよりがありましたろうか。
 隆二さんたらこんどの手紙には饅頭《まんじゅう》づくしです。人を見込んで書くにあらず、自然にそうなるなり、なお悪いと笑うだろうか、とありました。この前のは羊羮づくしで、何とか彼とか菓子やの名を並べて千金賜えとあるから、そんな店があったかしらと返事にかいたら、一銭おくれということなり、と三ヵ月もたって教えてよこしました。一銭より千金たまえの方が景気よい由です。相変らずです。栄さんは妹母子を送って高田へ雪見にゆきました。二人でやっていたのは中途ですが。
 どうぞお大切に。月曜日に。

 二月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月二十五日  第十九信
 きのうの速達。そしてけさ二十一日づけのお手紙前後してつきました。きのうの分から。
 書物のこと承知しました。おっしゃっている本もずっとあの頃から一つ包としてあります。『年報』もそのようにしてありますから。目録念のためにかいておきましょうね。
 (1)[#「(1)」は縦中横]『朝日年鑑』  九年度
 (2)[#「(2)」は縦中横]  同     十年度
 (3)[#「(3)」は縦中横]『医典』
 (4)[#「(4)」は縦中横] 小南の本
 (5)[#「(5)」は縦中横] 浅田の本
 (6)[#「(6)」は縦中横]『経済年報』  八年度(四冊)
 (7)[#「(7)」は縦中横]  同     十四年度(四冊)
 (8)[#「(8)」は縦中横]『組織論』
 (9)[#「(9)」は縦中横]『月刊ロシア』合本 一冊
     十五冊
 只今はこれだけです。もしお気づきがあったらお知らせ下さい。
 足袋は今はくのがありませんから、純綿ではない何かお送りいたします。そちらのひどくなったのを、やはりとりすてにしないで送って下さい。古いのでも手入れをしておけば木綿は木綿の甲斐がありますから。どうぞいろいろのもの(下につけるようなものも)そのおつもりで。これは特別お願いいたしておきます。
 私の名代のこと、多賀ちゃんはもうそのつもりで心得て居ります。しかしこの間うち一緒にそちらへは行きましたが、お目にかかるための順は分っていないから明日つれて行って、すっかり教えましょう。勿論
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