ますから。でも額はどうでしょう。やはりおっしゃるだけが適当でしょうか。私は、先に予期されていなかったこともあるし、半分でよいのではないかという気がいたしますが。どうでしょう。半分ずつにしておきたいと思います。そして早速とり計らいましょう。(信濃町のおじいさん、あちらへは、お手紙にあっただけでした。森長さんの二度目の分と同じだけ。(これは暮のうちのことですが)その位にしておかないと写しものの方のことで、しがくがつかないままゴチャゴチャになってしまうといけませんから。このところ些か芸当ですから。ポーランド人の手品がいります、何もないところから一着のズボンをつくり出すポーランド人の手品ということわざがありますが。)
富ちゃんのお嫁さんがきまりそうです。下松で小さいあきないをしている人の娘ですって。結構です。岩本という人の妹をぜひ貰ってくれと云われたが、それは困るとことわった由。そのひとが達ちゃんのお嫁さんになってはこまる、という同じ意味でことわったそうです。きっと決定すれば富ちゃんから手紙さし上げることでしょうが。野原の小母さまの顔が見えます。きょう私へ羽織の裏のいいのを送って下さいました。
どうかお大切に。小包つきました。袷お送り下さい、どうぞ。
二月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月十三日の夜 第十四信
十日づけのお手紙どうも、どうもありがとう。これがどんなにしてきょうのおくりものになったかお話しいたしましょう、いろいろと重って吉日だったから。
きのうは朝先ずそちらへゆき、フリージアとスウィートピーの花をたのみました。スウィートピイなんて子供めいているようですが、でもあの花々の柔かい色合いはやはりやさしいものを語って居りますから。フリージアもいい匂いです、ユリの花とは少しちがうけれども。たっぷりそれらの花をあげたいと思ってそのようにして、玉子が抽象的になってしまったからミカンなどを。
それから新宿へ行って、ちょっとおかずを買って、多賀ちゃんと落合って、十一時の小田急で鵠沼へゆきました。久しぶりで海の近くの空気の心地よさ。その小原さんという娘さんは、丁度おなかをこわした後だと云って一層やつれていて、そのやつれた顔をほころばしてよろこんでくれました。すこし散歩したりしてかえって来たら雨。ああよく降って来たというわけで、九時頃鵠沼ホテルというのへ行って午後に話しておいた部屋へ上りました。いかがかと思ったが、笑ってしまって。というのは、その部屋はね、ホテル[#「ホテル」に傍点]ですからね、何しろ。安アパート式に西洋窓で、大きいワードローブが突立っていて、天井は白、羽目は板、間の壁は薄桃色という、つまりお祝の鳥の子餅の箱の中に入ったようなの。でもいいや、ね。とそれから入浴し、その風呂はいい心持。そして次の間に床をとったのを見たら、スタンドは気がきいているが、そこもアパートなの。そして、その主人が茶気たっぷりできっと天蓋つきの Bed を置こうとしたと見えて、天井から枠《フレーム》が宙に下って来ているというわけです。
でもいい心持に手足のばして眠って、きょうは特別とおそくまで床の中にいて、それから朝食をたべ、本をすこしよみ、正午近くパンを買って、又そのひとの室へ行きました。(鵠沼ホテル)
そこの家は日本風の昔からある離室をいくつかもっていて、そちらの方はちゃんとした日本式のところで、茶がかっていて大分落付きます。月ぎめをやっているそうでした。90.00 から。この月ぎめというところに一寸気をひかれ離れを検分したわけです。休むとき、不意に人に来られっこのないところにいるというのは何といいでしょう。仕事いそがしいとき、人の来っこないという心持は何といいでしょう。ここなら新宿から一時間二十分、デンワもきくし、夜でも東京へ楽に出られるし、などいろいろと条件を考えたわけです。こんなことを条件に浮べて見たというわけよ。
四時二分で鵠沼を出て、五時すぎついて、新宿で一寸夕飯たべて、かえって、幸子ちゃんのところへ門の鍵やポストのものとりにたかちゃんが行っていて、私は火をおこしていたら、「おでんわです」というので黄色いドテラの上に羽織きて出かけたら、栗林氏でした。この電話は私をすっかりなぐさめました。あああなたにも小さいおくりもの、とうれしかった。そこへこのお手紙がもって来られたという次第です。いい折のいい折についたでしょう? ねえ、そして速達にしようかと思ったとあるのですもの。これはいいおくりものでなかろう筈はないでしょう? それに、題とはこれは全くふさわしい頂きものです。この間うち考えていたのです、折々。本当にいいわ。このまま正題にします。時代の鏡という表現も云わば蛇足で、これは題にならないと思っていたのでした。本当にありがとう。実にぴったりとしたおくりものです、私たちの間にしかありようのないおくりものです。呉々もありがとう。ペン軸も。いつも原稿はペンばかりです。こんど出かけたとき、念をいれてさがして使いいい、永年使うようなのを見つけましょう。
年表は、『哲学年表』の組みかたで社会一般、婦人一般、文化、文学、婦人作家という分けかたにして見ました。そうすると、或年、どっさり社会的な事件、婦人の問題が生じているとき、婦人作家はどう活動していたかが分って、それが貧寒であるということからも、暗示するものは少くないわけです。本当は作品を列挙すべきでしょうね。何年何年と。そこまで調べが届くかどうか。やれたらやった方がいいのですが。何とか懇話会(六日ごろの)あれは長谷川のお婆さんによろしくやられたのでした。その経験でいろいろ分ったからもう大丈夫です。どうぞ御安心下さい。
お手紙に伊豆かどこかの小旅行は云々とあって、迚も伊豆まではのびなかったネと多賀ちゃんと大笑いしました。でも休まった工合です。休まったのが、かえってからいろいろわるくないことですっかり体に入った感じです。又明日からせっせと仕事です。大日本印刷(牛込)なんかさえ夜業全廃です、モーターをとめるから。そのため〆切りのくりあげで大したことになりました。これまで一ヵ月のうち十日間はややひまであったのが、もうすこし本当の仕事のため準備があれば、休む日はなくなります。
読みもの、いろいろ妙なところで、骨格になって来て面白く思われます。ナイティンゲールのことがあって、その天使めいた伝説をただした伝記をかくのですが、そのことにふれて、イギリスの働く人たちの生活状態をしらべた文献がすぐ念頭にうかんで来て、やはり極めてリアリスティックな背景を描かせますし、クリミヤ戦争で兵隊が苦しんだことにしろ、それと同じ時代にそのことを関心して、前の本の親友がふれている、庶民生活のひどい扱われ方として。なかなか面白うございます。ジャック・ロンドンの「奈落の人々」がやはりふれて来ます。いろいろ大変面白く、歴史の現実の豊富を、ごっそりとすくい上げて見られるうれしさを感じます。
私は、この頃、いつか(一昨年のころ)云っていらしたように歴史上の題材を正当に扱われるかもしれないと思うようになりました。一つ何かいい歴史小説があってもいいわね。長篇として。歴史小説の正しさのわかるものとして書けたら。
こんどの長篇は、きょうの歴史を描くわけですが、その次一つそういう歴史をかいて見ようかと何となし楽しみです。女の生活の面から見てね。エリオットに「ロモラ」という代表的な歴史的な作品があります。ルネッサンスのイタリーを描いて。勿論これはエリオットの色と調子ではりつめられているものですが。
いろいろ勉強がこねられて来るというのは面白いものね。この頃、やっと気まぐれでない勉強の意味がわかりかかったようです。例えば『文芸』のを一貫してここまで来ると、いろいろはっきりして、今『現代文学読本』(日本評論)のために書いている(栄さんにたのんで)「昭和の十四年間」は、一昨年正月にかいた「文学」(三笠の)よりずっとましになりました。そういう成長はたのしみです。これまでの十年のみのりをちゃんとまとめたいと切望いたします。今年『文芸』のがまとめられて、小説が一つ長いの、あと短いのいくつかとかければ私は本当にうれしいと思います、フーフーが一段落つくというのは、それに又忘れられないうれしさです。
この長いのは、私は本気です。非常に本気です。題材は必しも「伸子」以後、つまりひろ子をそれなり扱い得ないとしても、いろいろな点では芸術的な価値で「伸子」の発展であらなければなりませんから。この完成のためには本当に本気です。ほかの仕事考えていて、そのことにふっと心がゆくと、暫く眠るのを忘れます。
明日行こうと思っていたけれども、二三日のばした方がよいとのことですから、十六日にゆきます。十六日、十六日と思わざるを得ません。ねえ、そうでしょう、ではどうかお元気で、かぜお引きにならないようにね。
二月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月十六日 第十五信
けさお手紙をありがとう。スィトピーはよいとして白いカード? やっぱり玉子組? 風邪の気配のことについての短いお心づけは大変いろいろ感想をもってよみました。本当にいろいろ感じて。少しと書かれていることが先へつづけて考えられるし、無用のという字の見えるところもいろいろわかり、衛生について考えて下さることよくわかります。変に神経質になるのはよくないねという声もきこえるし、無用の気づかいに至っては、気は病から、となるが、まさかユリは其那ではないのだからと、折りたたまれた心の道。面白いと思います。本当にそうよ、ネフスキー街を歩いたとき割合でこぼこでしたし角はあるし、最も人間の意力を語る大きい橋があるのですもの。
お礼のこと一層はっきりわかりました。新しい事ム所も出来たし、二十にします。(岡林さん)切手で。
袷、お着になったのはやはりちゃんと清潔にして置きましょう、多賀ちゃんにすぐやって貰えるのですから。お着になった方、送って下さい。
ノートの話もありがとう。実に私はちょいちょい思い出します、心にしみついているのね。ありがたいものだと思います。大変よく整えられて居りますから。
十二日から十三日までの暮し模様は前便のとおり。
さてお体の工合はいかが? 熱が出ましたか? 雨で空気がいくらか柔かくなりましたが、そろそろもう春の荒っぽさがあらわれました。呉々もお大切に。
きょうは私、自分だけの心で素朴に描いていて。勿論ああでいいのよ。ああならああでいいのよ。
あれから多賀ちゃんと池袋で会って、有楽町へ出てフレッド・アステアとジンジャ・ロージャースの「カッスル夫妻」というのを(映画よ)観ました。この二人の舞踊家は世界の名コンビと云われる踊りてで、現代舞踏を創ったカッスル夫妻の生涯を物語りにしたものです。カッスルがイギリス生れで、欧州大戦(1918)に飛行将校として、分列式のとき、着陸の際、相手のスピードののろさから、自分の機体が先着者の真上になり、衝突をしてしまうか、自分が犠牲となるか、二つに一つとなった刹那、垂直上昇をやって、おちて死にました。(今ならこの位のはなれ業では死なないでしょう)。そんな場合の人間的な立派さが芸術家の真髄をつらぬくというところにフレッド・アステアの語らんとするものもあるらしく、カッスルが戦線から賜暇でかえったとき、余りおそいので不安におののいていた妻のところへあらわれ、二人のおどる踊りは、実に美しい情感が溢れていて、涙を誘うほどでした。深い愛のサスペンスのこもったゆるやかな優雅なふりから次第次第に高まり放胆となり燃え立つ旋回飛やくの後、再びしずかな夢に誘うようなメロディーにうつって二人の踊りては互の体を支え合いながら云いようない優しさにしずまります。
こんな抒情詩のような踊りをこれまで見たことがありません。バレーでカップルの舞いがよくありますが、大体いつもきまっていてね。二つの蝶という型が常套です。そういう小品とも全くちがっ
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