えたので、マア珍しいと笑いました。みりんなんて殆ど一年ぶりですから。
 二十八日迄のはこれでおしまいですが、本当のおしまいまでにきっと、まだもう一通は書くでしょうと思います。
 寒さお大切にね、はらまききょうもって行きます。あの羽織紐いい色でしょう? では一先ずこれで。

 十二月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十二月二十六日夜  第八十七信
 手紙まだ書き足りず。今夜もかきます。
 夜は机の木の肌もすっかりつめたくて、手もかじかむので、やっぱり火鉢がいりますね。今夜は二度目の火鉢よ。御倹約でしょう?「紙の小旗」をかくさわぎのとき入れたぎり。従って、大した夜更しもないこと実証也のわけね。
 きのうの手紙はいそいで、好ちゃんのことやなんかちっともお話ししず。それやこれやで結局書き足りない感じで、こうやって又紙に吸いよせられたのでしょうと思います。
 きょうは、あれから十一時すぎ十二時十分前位まで宅下げ待って、それから富士見町へまわりました。九段下へバスが池袋から出ているのよ、東京駅行。そこから九段の坂をのぼって行ったら、パラパラ降って来ました。いそいで富士見町の方へ曲って家へ辿りついたら先生オーバーを着て出かけるところ。あたふたしていて、二階へ上り、一応勘定書についての説明をきき、それからついマナイタ橋の横だから思い切って金星堂へよりました。そしたらうけもっている人恐縮し切ってちぢくまっているの、可哀想に。あすこでは興亜書房とか云って一方で赤本出しているのですって。紙は紙やからのおあてがいなのですって。間には(九月から)一冊あの本(あなたのおっしゃっていたの)を出したきりの由。その本というのは、戦傷して腰から下が全く失われた人に同情して嫁した看護婦の人の手記なのですって。そのときはいろいろ美談でしたが、実はその結婚について女のひとが、いろいろ家庭の事情に支配されていたということがあって、寧ろ気の毒に思う人もあった、その人の手記なのですって。わるい流行ね。なぜ嘘をつかせるのでしょう、幾重にも。九月以来金星堂としてはそれ一冊なのですって。経済的理由でもないらしいのよ。一月初旬には出るでしょうって、首をちぢめての態でした。表紙も刷れているの見せました。本文も刷り上っているのですって。だからきっと今度はたしかでしょう。
 おなかペコペコでかえってパンたべて、さち子さんが来て一寸話していたら、元看護婦をしていた榊原さんというひと、私の切腹のとき手つだって貰ったりした人、あのひとが結婚しているのが半年ぶりに訪ねて来ました。来年三月にお母さんになる由。そしたら、女学校の五年生で、宮田アキという歌をよむ人の娘が来て(予約)いろいろ話し、皆で夕飯たべ、今皆ひき上げたところ。その十八歳の娘さんは絵をやりたいのです、女学校出たらつとめながら。いろいろそれについての勉強方法の相談なのです。お母さんは歌よみで情熱的で(歌人風な、のよ)アテネ・フランセという名も娘は今まで知らなかったというような状態で、たよりないのね。きっと。この間朝、女大のことを私にきくと云って(勘ちがえよ)母娘づれでかけつけて来て、その娘さん一人で来させてくれ、というわけなのです、我々の家庭での最少年よ。表の仕事手伝ってくれていた娘さんは二十で、お恭ちゃんもそうですから。この頃は絵を描きたい娘さんがまわりに出来て面白いこと。絵を描きたい娘さんというのは、小説をかく娘さんより一寸ちがったところがあって面白いのよ。楽なのよ、つき合うのに。それで一味通じるところがあって。だからよく作家は画家の友達を案外好むのね。そして、その好みに作家としての傾向が語られるところも面白いと思います。芥川:小穴隆一。明星派:印象派画家。漱石:青楓。私のはまだおたまじゃくしとまでも行かない娘たち。しかし、深沢紅子のローランサンばりや、三岸節子のマチスばりや、仲田菊代の随筆サロン画風には、ちゃんと健康な批判をもって、そして、どの子も人間を描くのが面白い、というところ、又面白い。そして、これはやはりその子たちの境遇の必然よ。だって、松下則子たちのアリストクラートのように冬は暖い海、夏は涼しい山という生活はないのですもの、常に人間のなかなのですもの。これも面白いことね、非常に女流画家の(特に日本の)歴史には新しい意義です。何故なら、これ迄の画家は、ほんとに女と云えば、花、景色、静物で、人間を描いたって藤川栄子などのように主として衣服の面白さを描いていて、ね。私はこの娘たちを楽しみに思って居ります。菅野とみ[#「とみ」に「ママ」の注記]子というひとの方は、本当の画家になる決心しているの。きょうのひとは先ず子供育てることが大切で、やれるものならやるのだから、デッサンだけは今からみっしりやっておこうというの。やっぱり自分の原則をもっていてなかなかでしょう? きょうのひとは石井鶴三に見て貰いたいと云っていて、それはいいわ。お父さんというのは彫刻家なの。技術でやって行けず、工場へつとめているというような彫刻家で、それでも知人としては娘の助けになる専門家も知っているというのでしょうね。
 自分が初めて小説の長いのかいていた時分を思って、セイラーを着てスカートふくらがして坐っている娘さんを見ました。私は紫紺の袴はいていたのよ。凄いでしょう? そしてね、毎朝ぐらい鴎外が馬にのってゆくのに会ったのよ。鴎外は馬の上からいつも何となし私に視線を与え、私はそれを感じながら、自分は一寸見上げて、下を向いて通りすぎてしまうの。鴎外が私を知っていたということはずっと後に父からききました。
 茉莉さんが『明日への精神』のいい書評を『朝日』にかきました。この茉莉さんは、美学の山田珠樹のところへお嫁に行って破婚になったのよ。大した大した結婚式してね。その山田の家というのは下町の大商人で、孫は(茉莉さんの子?)白足袋はかすという家風なのだって。そんな家へやる鴎外、大臣なんかずらりと招く鴎外、そこに鴎外の俗物性が流露していて、しかも娘は、湯上りに足を出して爪を切って貰うことをあやしまないように育てたりして。茉莉さんという娘は、自分の知らないことのために不幸にされた哀れな女です。杏奴の方はずっと自分の常識で、世間の仕合わせも保ってゆくような人。杏奴は絵よ。旦那さんも。茉莉はものをかく方なのよ、どっちかというと。ここにも何かのちがいあり。
 久しぶりにお目にかかって、寿江子はいかがに見えましたか? この頃すこし勉強で糖を出して居ります。でも大分落付いて、いろんなこと分って来て、追々ましです。ましになってくれなくては困るわ。
 好ちゃんはこの次はいつ頃訪ねて来るのでしょうね、きっと私の誕生日ごろ(二月十三日)来そうな気が致します。あの子は一種のかんをもっていてね、私のよろこぶときを自然に会得するらしいの、奇妙ねえ。
 おついでのとき、どうぞよろしくね。あなただって、たよりおやりになることもあるでしょう? どんな字をかいておやりになるの? あなたのことだから、きっとこまやかにうまい工夫をこらした生活法を話しておやりになるのでしょう。
 そう云えば、鳥取の手紙すっかりおそくなって。
「寺田寅彦理博の随筆物等おもちではございませんでしょうか。又文筆家の最近の支那紀行と云った様な書物も父は読みたく思っているのですが。それからこれは一寸方面ちがいのお願いかもしれませんが、父はでてから少し随筆物をかくつもりの由にて、その資料の一つとして動物の習性のことをなるべく詳しく記した手頃の動物辞典が一冊ほしく、只今父が文通しています二人の医博に先般しらべて頂いたのですけれど、医家も全然動物学とは関係ないらしく、父の満足する結果を得ないで居ります」云々。
  鳥取県東伯郡下北條村字田井  逸子
 右のようです。私から簡単に、ふさわしい本がないので残念ながらお役に立ちかねる由返事してもよいと思って居ります。その方が却ってよさそうね。いつか云っていらしたようなことを答えられても手紙の書きぶりから推してそれを客観的に理解する力はないでしょう。ああ云った、こう云った、それがどうで、ときっと在る光景考えると、やっぱり面倒です。ですから、私からいろいろふれず辞典のないことだけ返事いたしましょう。その方が単純らしいから。お考えおき下さい。本がないというのは、それだけのことですから。又手紙よみ直して、そう考える次第です。
 きょう受とって来た請求書、つづけてかきかけましたが、いつも別封にとおっしゃるのを思い出し別にいたします。さもなければ又折角これを速達にする意味がなくなるといけませんから。
 何だか、あした、あさってで、今年は終りというの、足りませんね。思い設けないことで日をとられてしまったので。でも大体予定の仕事はしたからよかったわね。あれがまだすまないうちだったら又のびのびで閉口でしたが。装幀は中川一政にたのみましょうと思って。いつかは石井鶴三にもたのみます。この間三越で明治大正昭和插画展見ましたときね。平福百穂の美しい原画(菊池寛かの)があったが、それが表紙になったところみると、印刷のエフェクトひどいのよ。金星堂の表紙は本当に秀逸です。生活の感じがあって面白いの。『文学の進路』も松山さんで、大根畑よ。今のところだと一月中に二つ本が出るわけですが。『文学の進路』はもう印税大分くいこみよ。半分ほど。
 ああ、これだけ書いて、やっといくらかたんのう[#「たんのう」に傍点]いたしました。これはなかなか貴重なのよ、仕事の時間すっかり当ててしまったのですもの。だって、ねえ。ああ、まだつづきそう。もう一枚。
 そちらでは、お正月のお菓子いかが? こちらは甘味ぬきかもしれません。中村やは「午前八時にヨーカンを売リマス」ですって。私は大変くいしん棒ですが、どうもお菓子のために朝からかけまわる勇気はありません。お正月の東京と鮭とはつきものなのに、今年は鮭もないのよ。うちは組合でうまくなさそうな鮭買いましたが。ミカンはあるの。リンゴと。お互に似たようなものでしょう? そして、私は女房心で心痛しているのよ、シャボンはどうなるのだろうと思って。あなたの夏はせめてアセのおちるシャボン、泡の立つシャボンあげたいと思って。
 五六年ばかり前、上落合の時分、百円とすこしで暮していました。不思議のようね。今の物の高さ。家賃が今のままで本当に助ります。この頃はよくよくのことでなければ円タクにのりませんから。五割ましよ。一円メーターに出ると .50 足すのよ、林町迄 .80 だったのが 1.20 ね。ですもの。のりません。
 林町の連中も一家|眷族《けんぞく》で市電よ。これは私は大賛成です。特に太郎が大馬鹿三太郎と改名しないために、大賛成です。来年小学校。これも近所の小学に入ることになります。これもよろしい、と思います。省線はこの頃一種荒い人気でね。私はいつも迚もおとなしく隅に立ちます。従来市外にひっそくしていた狂犬属が、時候の加減で真中へ出入りをしはじめたことからでしょうね。お正月の三※[#濁点付き小書き片仮名カ、21巻−232−12]日はじっと家居いたします。きょうその小さい女の子が茶色の鼻の頭の黒い小熊をくれました。大変可愛い小熊です。お恭ちゃんがスウィートピイをさしておいてくれました。なかなか皆其々でしょう? マア、もう一杯よ、何て小さい紙でしょう! 書くにつれてちぢむのよ、いやね。では本当におしまい。

 十二月二十七日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕

 十二月二十七日
 これは請求書だけの分です。
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六月分 逸見上申書 六〇枚 四通  三・一八
 〃   同 四九六枚   二通 二七・二八
七月分 木俣鈴子上申    二通
                 一四・八五
    公・調       四通
九月分 宮本顕治 公期日変更願その他 二通 一一・九九
   ほかに、七月十六日づけ請求で、その中重複している分をさしひいて。
    木島
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