公・調 四(一、二回)
袴 上申 三
一〇・三〇
同 陳 一二三四 公調 四通
木島 公(三、四) 四通
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計 一九二円〇六銭のうち前の支払のとき九十円払って、今度は十円三十銭だけ足せばよい由。いつか云っていらした分はこれでしょう?
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袴田上申書 二通 三二・一六
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これは森長氏にきいてみなくては分らない由、すぐには支払いません。
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加藤亮・西村マリ子公判記録 四七・一六
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謄写以上 計 一四六・九二
速記料
三時間半 二八・〇〇
四月十八日 三四・〇〇
待一時間半 六・〇〇
一時間
五月十八日 一四・〇〇
半時間
五月四日 ………………………………一〇・〇〇
五月二十八日 一六・〇〇
七月二日 一八・〇〇
七月二十日 二〇・〇〇
八月十日 一〇・〇〇
──────
以上計 一二二・〇〇
大計 二七〇・九二
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右のうち、年内に支払うのは加藤・西村・袴田上申書計七九・三二をさしひいた分一九一・六二だけ払おうと思って居ります。
御参考のために。
十二月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月三十日 第八十八信
今は夕方の五時すこし過でね。私は原稿の速達を出したかえり、目白の角の果物やの半町ほど先の右側に出ているお飾りやで、小さい松飾りとそこに下げる小飾りとを買って、自分の椅子の座蒲団の布をすこし買って、お恭ちゃんの御飯茶わんかって、そしてかえって来たら、向島の江井が来ていて、お雑煮用の鶏肉をくれました。そして、お砂糖も持って来てくれたら、林町でうちでないからと横どりをしましたって。
パンを買うのはこの頃朝八時、夕四時、そして朝は十五分ぐらいでうり切れ。大したものでしょう? さっき出がけにちょいとあの線路に向った床やの時計を見たら四時なので、パンやへ行ったらもう列で、一人一斤半が最高です。パンその他のために列に立った経験を思いおこします、方向正反対でね[自注14]。
私はお正月のお祝いにいつもこの重い体の下でよく役に立っていてくれる椅子座蒲団のおしゃれを思い立ち、上にのせる小さいのは鼠色地にこまかい花模様の。下のは赤無地。スフ三割入りの布地。それでもやっぱり綺麗になりました。
寿江子がきのうから机の横のベッドにいます。風邪気味なの。もう大体いいのですが。私はこっちで仕事している。
今夜と明朝と書いて、それでほんの暫く息をつくわけです。でも二月号の校了が七日頃で、やっぱり月初めはすっかりは遊べず。十日すぎにお恭ちゃん三四日家へかえします。大分ホームシックらしいから。
二十七日づけのお手紙、きのう頂きました。文学史についてのこと。一貫した努力が本来あるべきであるという気持。主観的にはその流れを自身の内に感じ、責任も感じている、その筆者の心持から、云わばあれこれの現象へあの程度でも肉迫しているのだと思います。そして、文学の流れとしてそれを単純に表明し得ないところに、本当によみかえしての苦痛が在るわけだと思います。
「若い人」のあの評ね、あれは批評の精神状態の微妙さで屡※[#二の字点、1−2−22]思いかえされます。あれはあの人のおくさんと私とでよんで、変だ、変だ、と云ったのよ。勿論論文としてだけよんで。そしたらあとから、丁度あれが書かれていたとき、あのことが進行中であったのでした。こわいものね。うなずけるでしょう? この間もあの著者は、自分が自分の欲望にひきずられることについて云っていました。このお手紙に云われている分裂は常につきまとっています、そして、かつてのときのように表現されず、段々大人らしくやられてゆくことによって本質的に益※[#二の字点、1−2−22]その面は低下するのです。しかし決してそれを正面からとやかく云わせない構えをもって来ているから。でも私は、この頃はその人々の自主的なものにまかせるべきなのだということが分って、自分を省ること、自分がそれに馴れ合わぬこと、自分は益※[#二の字点、1−2−22]野暮にまともにやること、それを中心と考えることにして居ります、個性的なことに立って云えば、その人としての云い分はいくらだってあるのでしょうから。それ以上のひろい点から云えるなら、その人は自分で自分をもっと責任的に律するでしょう。
仕事の丹念さのこと。それで二十八日に生活費のことおききになったのね。心にかけて(そんなことまで)ありがとう。私は経済上の困難と人間的価値とは、特に現代の社会では別であると考えているのですから、その人に経済能力が奪われたって、本質がそのようなものであれば敬意をもってその状態が見らるべきと思います。儲けられるのに儲けないもの好きとか、ころがり込むところがあると思えばそんな理窟もこねている、というような人間のみかたには、一致出来ないのよ。おわかりになるでしょう? だからなるたけ無理はしないで倹約してやって行くのが一番自然でいいのです。
一月からは当分小説に集注いたしますから外の仕事はのばして貰うようにします。小説を五枚―七枚ぐらいずつ一日にかいてためてゆくたのしさ。今からたのしみです。
友情についての点。自然の条件の外に異性の友人をつくりたがる心は、遊びやの気持と紙一重ということは本当ですし、私のあの友情論は、そういう若いひとの漠然とロマンティックに描かれている友情という雲を、リアルな生活へひきおろして、恋愛と区別して、そして示そうとしたのが目的でした。その点できっと全体とすると、恋愛と友情とのちがうべきことを強調してあなたの云っていらっしゃるような同僚感と、更にその間でも私生活に交渉をもち得る人が友人であるという段々の区別は、明かにされていなかったのでしょうね。
それに一般のこととして云う場合、この同僚感というものも、ずいぶん薄いものなのが普通のようです。只机をならべているというだけで、同僚感というような感情までないのが十中八九らしい。その何人かのうちでやや近い同僚感をもてるのが数人あって、更にその中の輪として友人があるのね。タワーリシチという言葉の訳の同僚というものは、若い女のひと一般には存在しないのではないの? だから同僚感というとき、その内容づけは、極く一般的な形で、同じところにつとめている人、同じ課に働いているひと、となってしまうのね。
自分のこととして云えば話は勿論ちがいますが。同僚と友人、その区別は実にはっきりせざるを得ませんもの。そして何というか、ある人と人とをある時期が同僚として結び合わせても、その客観的な条件が変ってゆけば、それに応じて又変るのでね。そのことも何と動的でしょう。生活の地平線から消え去る多くの姿が必然にあるわけです。
それからね、紙の質と国力の話ね、それからつづいていることね、あれを無意識に書いているということでは困るわ。あなたも大変おこまりでしょうが、私も閉口だわ。だって、そうでしょう? ひとりでにかけてしまうことではないでしょう?
画家が白いものを浮き上らすとき、白い絵の具をぬるばかりではなくて、そのかげにこい色を塗ることで、白を浮立たせなければならないときがあります。犬が犬だよと云われて怒るとすれば、猿ではないよというでしょう。
私はうそから出たまことということを文学論の「人間に還れ」についてだって深く考えます。題材主義のこけおどしに陥っていて、作家の内的な構造とはかかわりなく小説が製造されてゆくことに対して、題材万能から人間に還れということで、論者は人間生活として必然な現実にかえれと云ったつもりでしょうし、そういう風にしか題材主義が土台妙なところから出発していることを突くことは出来なかったでしょうが、しかしやはりそこには論者の何かがあらわれている、そういう意味でね。方便的表現のつもりのところが、いつか主屋《おもや》迄とられるという場合があると思うのです。ですからその意味では、舌足らずが混迷に導かれないことの戒心が実に実に必要なのね。自己暗示にだって人間はかかるのですものね。それが現代の試練だというのは真理にふれたことばです。〔略〕
でもこの間もつくづく思ったのですけれど、あのいい本、よみかえすのが苦痛であると云うにしろ、あれだけ明瞭であり得たということは、何と沁々と今日よりも二十五六年前の歴史の相貌を顧みさせるでしょう。現代の水の浅さはどうでしょう!
きょうはもう二十六日に出した速達見ていらっしゃるでしょうね。これは新年になってつくのでしょうか。そしたらおめでとうのわけだけれども。でもこれは今年の最終で、元日のは元日、それはおめでとうで初めましょう。もう三十日でもこの辺はひっそり閑としているわ。旅行にでも出るのでしょうか。階下でしきりに寿江の洟《はな》をすする音がいたします、家庭的(!)でしょう。では今年のおしまい、ね。
○おかしいおそなえ餅が組合から来ました。もち米七分づきのせいか薄黒くてね、日にやけた小坊主のようよ。
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[自注14]方向正反対でね――一九二七―三〇年のモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]のパンの配給を買うときの列。
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底本:「宮本百合子全集 第二十巻」新日本出版社
1979(昭和54)年10月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
「宮本百合子全集 第二十一巻」新日本出版社
1980(昭和54)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
※初出情報は、「獄中への手紙 一九四五年(昭和二十)」のファイル末に、一括して記載します。
※各手紙の冒頭の日付は、底本ではゴシック体で組まれています。
※底本巻末の注の内、宮本百合子自身が「十二年の手紙」(筑摩書房)編集時に付けたもの、もしくは手紙自体につけたものを「自注」として、通し番号を付して入力しました。
※「自注」は、それぞれの手紙の後に、2字下げで組み入れました。
※底本で「不明」とされている文字には、「〓」をあてました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:花田泰治郎
2004年8月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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