に出ていて。ひどいものをやっていました、全然伝統的なものは別として。明日校正わたしたら、あの岩波の小さい本を一気によんで、それから又『文芸』のつづきを一がんばりやって、二十日にはすっかりさばさばとなって、それから大した計画があるのよ。もし咲枝たちが国府津へ行ったらば三日ばかり行って息を入れて来ようというのです、いかが? 賛成して下さいますかしら。それから、暮と正月を長いもののプランでこねて、一月は半ばごろから書き出す予定。
お恭ちゃんは多賀ちゃんがいなくなったらたよるものがなくなったから却ってしゃんとしてやりそうです。でも多賀ちゃんはようございました、ともかく腕に自信をつけたし、私たちもいろいろ手助[#「助」に「ママ」の注記]ってもらえて。今本につける表の仕事やって貰っている娘さんに来て泊って貰うのよ、もし私が国府津へ行くことになれば。そのひとに索引もやって貰います。
戸塚では、又蓼科へゆく由です。きょうあたり行ってしまっていやしまいかとすこし気がかりです。三十日ごろ稲ちゃんに偶然|遭《あ》ったぎりで。
大工に物干のぬけたところ三十日に直させ、風呂場の戸の下のくさっているところ、台所の下のくさったところ直し、用心に恭子の部屋と台所との境にカギをつけ、台所から内への境にも、便所にもカギをつけ、階段下に戸棚を切って、これまであった戸棚をよくつかえるようにしました。それだけで三十円ばかり。
林さんが(大家さん)畳直すならということですが、半分こちらもちですし、今急に暮にかかってさわぐにも及ばないから、畳はこのまま。下の部屋の模様がえをして、タンス類を四畳半に全部うつし、本棚におきかえます。着物のもの、髪道具、顔のパタパタが、六畳にあるとすこし工合わるく、前からその計画だったのですが、ふさがっていたから。本棚は、御飯たべるにも本はうんざりと思っていたのだけれど、考えてみれば柔かい色のカーテンをかけておけばそれでいいわけですから。その二十日迄のキューキューが終ったら、一つ鉢巻をして移動をやります。林町では暮に私の慰労として坐布団をくれますって。これは大変うれしゅうございます。うちのはひどいのよ、余りだから、この間も西川で見て、そのまわりを廻っていたけれど、どうしても手が出なくて、その話が出たら何の風の吹きまわしかおくりものにしてくれるのですって。大いにうれしいと思っているところです。
それから、十二月はうちへ炭が配給されることになりました、二俵よ。これもやっぱりうれしゅうございます。私は正直に手持ちを書いたのですが、それでも来ました。三人で二俵でしたが、二人では一俵よ多分。いろいろの可笑しな話。世田ヶ谷の方で、ボロ家が四百円に売れて、ガスの権利は千円ですって。価格統制をきめるとき水道とガスのフーッという権利というところまで考えが及ばなかったのね。儲ける人って何と頭が敏活なのでしょう、ふき出すほどうまく思いつくのね。
この頃はいろいろな女のひとが本をかきます、本やはどこかに大迫倫子や野沢はいないかと、変なものでも出すのです。そういう著者が批評を求め、或は会いに来ます、閉口ものが少くないのは残念です。世間の波が藻を打ちあげるようです。亡くなった仁木独人の妻のようなものであったひとがやはり本をかいて出して居ります。いろんな云いまわしを知っている女のひとの喋るような文章です。或はグチとタンカの交ったようなものでもあります。十一月二十日から十日間の表。甲一、乙一、丙八。(丙は十二時前後よ)十二月も八日迄甲一(きのう)、乙一、丙五、丁一。これでは落第ね。これから当分は甲、乙づくしにいたしましょう。すっかりそしてくたびれを直します、では明日ね。
十二月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十二日 第八十三信
九日づけのお手紙、冒頭の用事は一昨日ときのうとで御返事出来たわけでした。
ところで、きょうは凄いのよ、朝の仕事の第一着がこうやって手紙かいているのですから。
きのうは『文学の進路』の校正をすっかり終って、月末から肩がつまるようだったのを吻っと体も心もくつろいだところへ、どうでしょう! 好ちゃんが実に実に珍しく訪ねて来ました。実に珍しくて。あなただってホホウとお思いになるでしょう? それもいかにもあの子らしい来ぶりなの。小さい豪傑のようなのですもの。アラまあ、と私は挨拶よりさきに体じゅう熱いようになってしまいました。
相変らず生気溌溂でね。さっぱりと美しくてね。
本当に進取の気象にあふれていて。あなたはお笑いになるかもしれないけれど、私は讚歎おく能わずなのです。でもそんなに長くはいないでかえりましたが。
それできのうは思いがけず愉しき動顛をいたしました。いい心持で、何となし充実した幸福な気持になって、きょうもその気持はつづいて居ます。きっと一時で消えるものではないのだわね。私の生活のなかにずーっと交って、うれしい暖いものになるのでしょう。きのうはそれから神田の本やへ行って、すこし店が分らなくて迷子になり、校正をわたし、それから江古田の方の、私の先生だった女の国文学者のお宅へよばれて夜を過し、かえってお湯に入り、そのお湯の中で又新しく好ちゃんを思いおこし段々愉快になって、笑えました。いい月夜だったのよ、昨夜は。お気がついたでしょう? 月影は枕におちますか? それから床に入り、ぐっすりと眠って、けさは、ああああと何だか夏以来の軽やかな快活な心で目をさましました。
ああいう訪問の効果というものは不思議ね。こんな活溌快活な印象をのこすというのは。
あなたにもこんな訪問者をあらせてあげたいと思います。でも私はこう思うの、こんなに私が晴れ晴れといい心持になれば、それをよろこんで下さることで、おそらくあなたも幾分は愉快でいらっしゃるのだろうと。それにしても、きのう思いもかけないあの子を見たとき私が玄関のところで気を失わなかったのは見つけものね。
小説の功徳というものについて考えます。やっぱり小説には、小説にしかないものがあるということを沁々感じます。読むひとは、評論とはまたちがったものを見出すのですものね。云ってみれば、評論一冊の傍に『朝の風』のあるということに独特な哀憐もあるわけです、それが感じられているという事実を、私は感じてうれしいの。そして、それはやっぱり私たちの生活のゆたかさや具体的なものの一つをなすのですもの。更に思うことは、積極ないろいろの生きてゆく姿の面白さ、その真の真の面白さなんて、その幾分が果して文学のうちに再現され得るのだろうか、と。非常に優しい勇気のある美しい動作にしろ、それがその現実の充実した脈搏で描き出されるということが殆ど不可能と思えることだって存《あ》るわけですもの。
五日のお手紙に「朝の風」の着想や題材はユリ独自のもの、と云われていましたけれども、それだから、というところもあるの、おわかりになるでしょう?
九日のお手紙にあるサヨの生活条件がはっきりしていないというところ、あれは勿論作品として指されるべき点です。その点について、あれを活字でよみかえしたとき、私は大変真面目にいろいろと考えたのです、「乳房」との対比で。そして、その相異にあらわれているものから、主観的に自分の病気をはっきり感じたし、客観的に時代を感じたわけでした。そして、あれがそれらの点で底をついている作品であること、一度は通過しなければならなかったけれど、二度とくりかえせないものだということを明瞭に知ったわけです。
そういうことについてなど、弱点を、私はきっと誰より深く理解していると思います。そういう意味でなかなか意味ふかい作品でした。一生に一つしか書かないような、ね。
しかしながら、あすこにある情感が偽りや拵えものでないことは、それが読まれたのちのニュアンスでわかることでもあります。小説って面白いわね、本当にいいわね。こわい程興味がありますね。小説を書いてゆく、腕でかくのでなくて、自分の肉身からかいてゆくと、そこに何と面白く、複雑な錯綜も顕出して来ることでしょう。胸を抑え覚えず片膝ついた姿がそこに現れているにしろ、やはり其は親身なものです。
勿論大丈夫よ。もしそういう状態にいつもいたとしたらそれは既に一つの心の病気ですから。
小説のなかには私は一つの病気をばくろしていると思います。それは、夫婦の情愛についてです。私はそれをやさしい思いでしかかけないという現在の病いをもっていて、これは真面目に成長しぬけてゆかねばならないところだと思っています。(「杉垣」「朝の風」そのほか短篇)
長い小説で、私は力一杯自分の小舟を沖へ漕ぎ出す決心です。
この実業之日本の本に比べると、高山の方は文学に関するものばかりで、又それぞれの味をもっていることでしょう。こちらの本での柱は、明治大正文学の作品の研究でしょうね。
感想や評論をかくときは、益※[#二の字点、1−2−22]はっきりとしてわかりよく語られる歴史の見とおしというものを失わず、ゆきたいと思います。主観にかたよらずに。現代の文化の正常な前進にとって一番大切なものは、そういう視野のひろさや平静さや弾力です。
小説では、私のこの心一杯のものを、ごくひろいところまでグーッとおし出して、人々の生活への共感に活かしてゆかなければなりません。
晨ちゃんの論文は、大変|粗笨《そほん》でした。政治と文学のことを論じ、各※[#二の字点、1−2−22]のちがった特殊性を明かにして、二つのものが協力出来るのは、政治が現実の直視をおそれないときに可能であると云いつつ、その可能性の現実的観察はされていなくて。あの人はああいう雑な頭でしたか? では又ね、きょうは、お礼よ。
十二月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十四日
きのう十一日づけのお手紙、そしてきょうは十三日の朝の。ほらね、やっぱり笑えたでしょう? 本当にいい心持ね。何とも云えず愉快なところがあって、からりとして、ぐっすり眠るところがあって。何という知慧者でしょうと三歎いたします、しかもユーモラスであって。ねえ。いいわねえ。情はひとのためならず、と昔のひともわかったことを云ったものだと思われます。
あなたのところにもある快活さ実によくわかります。笑えるという、その目元、口元まざまざと。リアリストであるということは何と幸福でしょう。
よろこびのいろいろなニュアンスが重ねられて、生活の美しいかさね色がつくられてゆくということを考えました。たとえば、長詩の五版連出の面白さ、たっぷりさ、うれしさ、独特でしょう? それとは又違った散文の表現で、しかもバーンスの詩に近いような生活力の溢れた作品での面白さ、たっぷりさ、闊達さ。この闊達さこそ、何かこの傑作の精髄ね。二人を笑わせよろこばせる骨頂ね。
そして又考えるのは、表現の手法の可能の上にある男の芸術家としてのちがい、女の芸術家としてのちがいの天然の面白さ。本当にそれを思います。表現の可能を逆においてみて、女性の芸術家の闊達性が同じ表現に近い手法をとったら、読者としてのあなたはどうお感じになるでしょう。こんな爽快な笑いがあるでしょうか。そうではないと思うわ。きっと心配なさるでしょうと思います。破れた(何かの均衡が)形として感じられるでしょうと。そんなところにある表現の差、微妙ねえ。何と微妙でしょう。女性の芸術の闊達性が、さすがのユリもという表現で出て、健全に明るくあり得るところ、面白いわね。ここのところ千万無量の面白さ。何か本当の男らしさ、女らしさ、その美しさ、自然さというようなものの意味で。女を女らしくあらせるほど男の充実した男らしさの面白さ。
ぷちぷちと小さくうれしく湧き立つような心持があって、私は血液循環も爽やかに大いにがんばりのきく気になって居りますから本当によかったと思います。実に適切な読みものの選択でした。思念的なものでは全くだめな状態であったということが一層はっきりするようです。ああ些末主義をリアリスムと考えている
前へ
次へ
全59ページ中55ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング