マン・ロランがもし本当にそれらの言葉を云ったのであったら、やっぱり歴史の進みというものは、ある巨大な価値をもったものの、命数をもつきさせる時期をもつものであるということを感じなければならないと思います。彼等夫妻がある都会のホテルに滞在していたとき毎日細君に花束を届けてよこした一人の人間を、そのことからいい人間、チストカが意外ないい人間という風に判断するとすれば、それは最も凡俗な女流作家或は文学少女の人物評価の基準でなければなりません。現代という時期があらゆるものの評価のよりどころを狂わせていることはどれ程の激しさでしょう。第一次の大戦より確にその点もすすんで居りますね。それはそうだわね。だってあの頃ヒヨヒヨしていたムッソリーニが今日は三巨頭[#「三巨頭」に傍点]の一人なのですものね。だから二十五年は面白いと思います。
ハハアとあなたはニヤリとなさいますでしょう、「ユリはわかるものを読めば喋り出さずにはいられないのだナ」と。そして、これをかいているのは二十二日なのよ。一週間も経ちました。その間にいろんなことがあって。
二十日までに『文芸』の方をすっかりまとめてしまおうとして熱中しているところへ、女の作家が文芸中央会というのに参加するためにどうこうと長谷川のおばあさんや間宮君にうごかされて度々来て、私はそういうことには現在自分として進まないので消極ですが、はたでドシドシつくって行ったり、そのために外出もしたり。おまけに、物干の木がくさっていて、布団をとりこもうとしてふみぬいて、片脚をおっことしてすっかり紫色にしたり。
お手紙十四、十五、十六、十九日、こんなにたまりました。何と珍しいでしょう。
順ぐりに御返事申します。
文学史のヒューマニズムについて、大変こまかくありがとう。ここについて云われている点は、全く正当です。そしてね、私にしろ、それを考えていないのではないわけなのです。抽象された人間性などというものはないことを。文学に人間の息を求めるという表現は、生産文学、農民文学などに対し、低俗な文学の手段化の傾向に対し、作家が内面テーマにかかわりなくお話をかいてゆく傾向に対し、生きている人間、生きている現実において人間をかくという要求の中へ、かくものの心持としては非常にいろんなものをこめて云っているわけです。
現代文学に二つの流れのあるということについて。比重はどうあろうとも、ということについて。くりかえしよみ、くりかえし様々の感動にうたれます。今日このことを自身に即してどれだけの人が感じているでしょう。文学の正当な成長の問題として。比重はどうであろうとも、ということは、二つの流れとして見られず、何だか一人の人たちの内に、そういう見かたがさけられず求められるようでさえあります。いつか書きましたっけか、『はたらく一家』の著者が広津和郎の序文を貰って、その中に、その作家の歴史に対して臆病なのも庶民性の一つであると書いてくれた序文のせて、その作品集を出したということ。現代文学史というものは、こういう悲しい喜劇を示します。そして、そのような歴史上の大きい現象をちゃんと文芸批評の上でとりあげにくいということ、「分身」についていつか私の疑問かきましたでしょう? あれもそうだわ。十五日のお手紙に、成長するために知性のめぐり合う風波の図景は、と思いやりについて云われているところ。ほんとうにそうです。
しかし、そうであればあるだけ、私たちはちゃんと文学を把握しなければならないと思います。厳密に考えてみると、少なからぬ人たちが、不便な事情というもののために舌足らずにならざるを得ないということを自分に許すことから、(云いかたがまわりくどからざるを得ないでいるうちに、)いつしか、先ず根本的に健全に現実を把握して行こう、或は行くということを忘れ、その感覚を鈍くされ、つまり風化されてゆくというのは、何と恐るべきことでしょう。
このことは本当に微妙で、そしてあぶなっかしいことです。例えば、現在の奇妙な文学論――政治の優位性、というのだそうです。――に対して、芸術至上主義さえ単純に否定は出来ないと、『現代文学論』の著者などしきりに云っている。それはそうです。しかし、芸術至上主義をそれなり肯定すれば、おちゆく先は、経来ったところを見て明らかなのですから、やはり「人間性一般」的あぶないところに落ちこみます。
ね、私は箇性の持味で文学を解決してゆこうとはしていないのよ。そのためにバタバタよ。ですから、十四日のお手紙にある、完成や典型についてのこと、実に面白い。ヒューマニストに還元することに対する抵抗の示されている、あの十四年間の見かたの土台は肯定されていてうれしいと思いました。そしてあれは「現代文学の十四年間」とされる方がたしかにようございますね。高山の本には入れられません。むこうの本やが閉口というので。出たばかりで。あれをね、中心にして、一九三五年ごろの作品評や、これから又先の評などと合わせ、やがて一つのちゃんとした本にまとめましょう。そのときは、やはり「現代文学の十七年間」なりとすればいいわけです。これもなかなかいい題です。そういう目標で、たとえば、これからの『都』の「月評」もあれのつながりにおいて考えてかこうと思って居ります。
いろいろ学んだところについて考えつつ。
私小説か否かのよりどころのこと、そうだと思います。そして、自分が私小説をかいている(ここに云われている本質で)ということを云っていたのでもなかったの。
三七年の暮にかいてあったものは、「十四年間」のなかにその本質のところをより詳細にして入れたわけでした。あのときの面白さは、ヒューマニズムの問題です。文化の擁護のための世界の動きと、こちらでの変形についてどっさり書いていました。しかし、それは竹村のに入れられないのではないでしょうか。そこいら実にデリケートです。作家論とちがうところがあって。逆に作家論の面白さ、考えられますね。作家論から追究するの面白いかもしれませんね。
婦人だけに限定しない心持で、婦人のためのものをかくべきということは、こういうことから見ても真理だということがわかります。河上徹太郎は『婦公』だの『新女苑』だのに、文芸についての特に女のものをよくかきます。そこでは、読者を意識して文芸評論として正面から扱うと一寸厄介だが、というようなものを扱っていて、そのためにその安易につくところが作用して、しゃんとしたものの筈のところに、一種の婦人向式のところがあらわれるということ。
女は決して甘やかされてはいけないし、婦人作家たちを見たってとことんのところではひどく扱われていると思います。例えば昨年婦人作家擡頭云々と云ったって、とどのつまり男のひとたちは、婦人作家の低さと一口に云って、婦人作家の中にも彼等より立ちまさったもののいる事実を抹殺して了うのです。婦人作家だけが、さながら低い別世界にでもいるように。
女の悲劇は、婦人作家論の中でくりかえしくりかえし見られたことですが、常に自然発生のノラ的なものと、それを発展させず、つまりは日本の女らしさに身を屈してゆく、その間の矛盾の姿、何といつの時期にも其々の形としてあらわれていることでしょう。
十九日のお手紙。二冊の本のこと承知いたしました。送ります。島田のお母さんのおつとめのこと。冬はお出にならないつもりだそうです。どんな風にくり合わせなさいますかしら。背戸の家の大きい柿をいりこと送って下さいました。この間の羽織のお礼ね。美味しい柿。あなたは森本というその家を御存じかしら。ハワイからかえった人が今の主人で、薄肉色のソフトなんかかぶって、麦かりをしているお爺さんです。その娘さんやっぱりハワイ生れ、ハワイ育ち、とこやさんです。ところが、一二年前すこし気が妙になって、今はしかしいい婿さんもって落付いているそうですけれど。そこの柿よ。五銭ぐらいのよし。東京では二十五銭ぐらい。
この間からずっとくりかえし連続しているお手紙、実に実にいろいろよくて、私の餌じきのようよ。しかも、そこには数行のやさしい詩の響も交って。私はやっぱり折々大変詩をよみたいと思います。
ああ、はじめの方にかいた女の作家たちの動きについて、あれでは何が何だか分りませんから、もすこし補足すると、文芸家協会が中心になって、十二三の文学団体をあつめ、各※[#二の字点、1−2−22]二名ずつ委員を出して文芸中央会というものをこしらえました。私は文芸家協会員、評論家協会に入っているから別にどうということはないと考えていたら、そこへ一つの婦人団体の代表として入っていた長谷川時雨(もとの『女人芸術』、今の輝ク会として)に対し、もっと他に代表を出してくれと云ったらしく、(その理由としては、彼女が余り文学的でないので、)そう云われると、自分がものをかくものとしてオミットになることをおそれたらしい様子で、円地文子その他を動して日本女流文学者会というのをつくり(今活動しているようないろんな文筆家みんな入れ、山川菊栄から小寺菊まで)その会のとき、皆投票して、円地文子と吉屋信子とを新しい代表にして、やはり幹事には自分が止っているという方策をあみ出したわけです。
私の知らなかったうちに稲ちゃんも文子さんから相談され、別段バタバタするに及ばないということになっていたら、急に別な部分を動してそういうものにしたわけです。そこは立て前として、文学に対する非文学性を否定することや婦人や子供のことに対する真に文化的な助言をし批評をするところということになったそうです。(発企人会へは出ませんでした)
吉屋、山川というような人たちが熱心というの面白いでしょう? 私たちは、自分たちも婦人作家ということでおだやかにそこに連って居り、その点では今日文芸家協会員であり評論家協会員であるということと全く同じの意味です。きょう世話をやきたい人が活動すればするのでしょうけれど。もし万一私が何か勘ちがえをして動きまわったりしているのではないかとお思いになるといけないと思って、あらましの事情を申しあげます。
[#ここから2字下げ]
〔欄外に〕今、河出の本もって来ました。三雲という人の装幀。原画見せてよこした次の日行ったら、もう本になっているの(!)
[#ここで字下げ終わり]
いろいろとこの頃面白いらしい様子です。日本文学者会という妙なものが出来て、世間的に目に立つ仕事して、存在意義を示さなければいけないというわけで、同人雑誌諸君をよんで大同団結を協議するというとき、武麟がボスを発揮して、ある同人雑誌代表は、退場したりした由。今まで、文壇的イリュージョンの輪にかこまれて出現していたいろんなあくのつよい人々を、若い人達は目前に見て、作家の魂という仮想なしに御仁体《ごじんてい》に直面してゆくことは、文学の経験として大変いいわね。どしどし幻滅しなければいけません。そして、健全なひろい息をつくことを知らなければ。
そして、ここは一種の保守的ギルドめいていて、女の作家は一人も入れないのよ、それも何と面白いでしょう。男の作家でも入れないのよ、丹羽文雄を入れないし、中野もいれないの、そういう調子。それから又『文芸』で評論の選者に私を入れようかと云ったら小林秀雄は鶴さんを推した由。それはそれでいいと思いますし、私はことわりますでしょう。よしんば小林秀雄がよかろうと云っても。小説の選者にと云ったら青季不承知の由。これも面白いでしょう? 宇野は賛成の由。いろいろね。そういう場面へ評論の仕事で加りたいと思わないから。しかし、それとは別に、やっぱり面白いものがあります。余り長くなるからこれだけにしておいて、表。
十一月一日から二十一日迄。甲三、乙十七、いきなり丁一。これは偶然なの。いろいろ考えていて眠れなかった結果です。起床七時です。読書、私は本を別のになってしまったけれど一一五頁。これは十一日からの行事として。もう一つの方さがします。
きょう寒いので、どてら、おそくなって気にして居ります。かぜお大切に。本当にもって行け
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