むすぶ必然がわかり、二重にためになるのです、いいかナと思ったのに、突込まなかったということが別に一つあるのですから。御気分のいいときあちらもどうぞね。
国民文学ということがいわれ、何故民族文学が云われないか、いろいろの声がいろいろ云いつつ何故それは云わないか、今日の国民文学というものの歴史性の複雑さ。
本当に勉強、勉強。先ず私はこれから来年にかけて、その長い小説をみっしりとかいて、自分のまわりにある見えない魔法の輪を体の力でやぶらねばなりません。私の所謂生活者的私のところまで。ね。思いつめたる我に鬱屈するというところから、私は私として成長しぬけなければなりませんから。
今夜は久しぶりで多賀ちゃんと二人きり。林町へきのう行ったら、三田の倉知の伯父の家を林町の父が設計して建てた、そこが今空いているので何とかして買って移りたいと熱中して居りました。
風邪お大切にね。私の方は大丈夫のようです。では火曜日に。
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[自注8]『白堊紀』――顕治が松山高等学校のころ参加していたプロレタリア文学傾向の同人雑誌。
[自注9]「三等室より」――その雑誌にのっている顕治の小説。
[自注10]「古風な反逆者」――同。
[自注11]「狂人たち」――同。
[自注12]「陽」――同。
[自注13]『歌のわかれ』――中野重治の小説集。
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十一月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十一日 第七十七信
九日づけのお手紙、きのう頂きました。いろいろとありがとう。それについてかく前にきのうの行事を一つ。
きのうは朝[#「朝」に傍点]五時におきて、『改造』へ「板ばさみ」というものをかき(十枚)(今日の女が労働と家庭との間で、どんな板ばさみになっているかということ)それから佐藤さんにつれてもらってあすこの学校の公開にゆき、十二時にかえってから夜までお客という状態でした。そのような忙しいのに公開を見たのは、佐藤さんが自分の専攻の部の特別展を一部にやっていて、いろいろ珍しい標本だの何だのあるというし、我らの細菌をまのあたり見参してその正体も見てやりたかったし、それで出かけたわけでした。くたびれたけれど、いろいろ面白かったわ。細菌ばかりでなく、学生(ああいうところの)の気分というものもすこし感じられて。ああいうテクニカルな学校と教養というものの欠乏についても感じたし。科学精神が陶冶されていなくて医者がどんなにつくり出されつつあるかということ、ポスターやらその他の趣味でまざまざと語られて居りました。
細菌のところで検[#「検」に「ママ」の注記]微鏡の下にあらわれた細菌は、まるでタンポポのわた毛がとんだあとの短く細いしんのようなものね。[#図5、手書き縦線5本]こんなものね。大きさも(鏡の下での)この紫色に染め出された[#図6、手書き縦線4本]が、あんなに活躍するとは何と妙でしょう。人間生活、日本生活のなかにこんなにビマンしているとはどうでしょう。そして、日本には百人の病人に対して二十のベッドしかなく、ナチは 123 で 23 の余分をもって居り、アメリカは 128 か 135 か、でそれだけの余分があるのです。余分、よ。感ずるところないわけには参りませんでした。それからいろいろの標本についての説明を佐藤さんからきき、得るところあります。そして、一昨年私が熱を出したときあなたのおっしゃった注意、早期の発見と治療しか道のないこともわかりました。だって、おくれてからの手当なんて非常にまだまだ対症的ですもの、根本的でないのですものね。ああいう風に少しどうかという健康状態のとき、あとの一年というときの生活法で、どっちにもなるものであることがよくわかりました。この部では質問が多いそうです。どことなく自分に懸念のあるひとが、いろいろ素人らしいききかたできくのですって。たとえば、「どの位のを結核というのですか」とか(町のお医者は「肺尖ですよ」といいますでしょう、だからね)「どの位なおったら働いていいのでしょうか」とか、それは答えるのにむずかしいのですって。個々の極めて詳細の状況を知らなくてはならないから。
血液検査をしたり、血液の型を調べたりしていました。私は自分の型を知らなかったので見て貰いましたらAでした。そのA、B、Oのわけかたに、性格の説明がついていたりしてね。これは一見科学的な非科学性です。座興ならいいでしょうが。人間の性格は決して血の型だけでつくされてはいないから。性格学の非科学性と同じね、形式分類科学ね。あなたは何型でしょう、御存じ? 同じ型? 私の血をあげることが出来るのでしょうか。寿江もA、国男はOですって。父はBであったそうです。OはAにもBにもつかえるのね。
私がかえってから多賀ちゃんも見にゆき、いろいろ生理の具体的なものをよく見て来て、やはり大分ためになったようです。仕事の手つだいしてくれる娘さんと一緒に行ったの。胎児の成長の過程やそのほか、やはり随分有益のようでした。よかったこと。女の生活のそういう面を知らなすぎますから。よかったと思いました。
脳の重さもお話のたねで、世界のこれまでの統計で第一位はクロムウェルよ。一六〇〇代[#「代」に「ママ」の注記]は日本では桂太郎一人です。一五〇〇以下では日本人があらわれ、三宅恒方なんか多い方。そういう平均率のレベルの相異と体格、体質を考え合わせると、やはり興味を感じました。女では三宅やす子一人、一五〇〇代[#「代」に「ママ」の注記]。
私は自分の生活を、とことんまで文化の役に立てる希望です。だから解剖もして貰うし、脳の重さも計って貰うし、骸骨だってあげていいわ。あなたは? そんなのいや? いつか帝大の参考室を見に行ったら、或る医学者夫妻の骨格が保存されてありました。大変可愛かったわ。どっしりとした御主人の骨格によりそって、やさしい小さい女の骨格がきれいに並んで立っていて。私の骨組みは、あんなに繊細でなくてきっと四角っぽいでしょう。でもそこにやっぱり面白いところがあります。マアこれは、茶話ね。
さて、九日のお手紙について。
電報頂き、わかりました。明日いろいろ伺いましょう。
誤植について。自分の本に訂正しておいて、いつか直して貰いましょう。よく見つけ出して頂いてありがとう。
キュリーのこと。私はこの点をくりかえしくりかえし、あちらこちらから考えて、理解のポイントの不確さの、あらわれの具体面というようなものを沁々と理解します。そういうことは何と二重の、間接の、しかも明瞭なあらわれかたをするでしょう。
私はこの前の前の手紙であったかに、「かきかたがむずかしいので」云々と云っていたでしょう?「表現のしかたではなく」とあなたはくりかえしくりかえしおっしゃる。かきかたがむずかしいと思ってつい、というそのことにとりも直さず把握の不たしかさが示されているというのは、実に生々としているわね。大変はっきりわかったわ。
私の頭のどこかに女らしい軽率さがあるのね。こういうことについて大変感じます。勿論、それは不十分な現実の理解に原因していると云えるけれど、たとえば、あのときの気持(書いているとき、シェクスピアのところなんか)そのこと、思っているのよ。気にかけているの。それでそこを突こまないでしまうようなところ。大きい欠点であると思います。こういう点は悲しいと思います。私のものわかりの早いところの裏にくっついている一つの弱点です。大いに気をつけます。私はもっともっとねっちりとしなくては駄目ね。もっともっと野暮く[#「く」に「ママ」の注記]たい精神をもたなくてはなりません。もっと追求の精神を。
世界史との連関でということは私たちの生活の感情となっているわけです。文学史なんかそうでなくてはものの云われる意味、日本文学として云われる意味を失います。年代の区切りかた。ここに云われている意味は正しいと思います。ここにも何だかいくつかの面白い話題がふくまれて居りますね。世界文学が世紀に区切って、横たての連関で各国の文学を綜合的に語る姿を考えると、そこには湧くような旺な文化の命を感じます。そのようなよろこばしいひろやかさで文学史のかかれるのは。「広場」という小説のなかで、劇場のなかの歌声に答えるように宏[#「宏」に「ママ」の注記]子の胸に「ああわれら、いつの日にかその歌をうたわん」というくりかえしが湧きあがるところがあります。
そういう抒情性は文字の上から消されます。面白いでしょう? 今日の表情が、平板であらざるを得ないではないの、ねえ。小さい鏡は小さい鏡ぐるみ、より大きい鏡にうつして、その中で小ささを示すしかないような工合ね。
ね、私は熱烈に考えているのよ、日本の文学の正統の歴史的発展は、この現実の世界史的な把握や描き出ししかない、と。そのような発展を、日本が自身窒息させるということは、大きい損失であることを学ばなければならないのですが。自分たちが日本を代表していると思っているような人々は、時を得たる人間の喜劇とシャブロンに陥っているから。ああ、何と私はもっと早く心の成長をしたいでしょう。ちょいとうっかりすると軽率になったりするところのない、そんな心配のない心になりたいでしょうねえ。
野蛮への楯としてのヒューマニズムの話。ここも又、よ。自分ではそれが質的一般性に立って云われるべきものでないのは知っているつもりなのです。一般から云おうというつもりはないのです。その時代に、そのような楯ももち出されるプラスとマイナスの面を明らかにしたかったの。マイナスの歴史の断面から発生したプラスとでもいうような本質であるから。たとえば作品の現実では各人の各様の持味の肯定になって、石坂だの岡本だのという怪花をひらいたのだ、と。さもなければ、舟橋のように人情に堕した、と。あの部分は、これから後五年ぐらいとまとめて本にするとき、書き直されるべきですね。
こんどこの本がまとまったことと、「朝の風」をかいたことは私にとって実に意義あることでした。本のまとまった意義は、こんな手紙もいただけるモメントとなったという意味で。「朝の風」は、私の感情の切ない底をついているという意味で。
いろいろのこまかい、しかも実質的なこと、少なからず得て居ります。この二つの仕事から、自分として自分を分析する新しいモメントをとらえたような気もいたします。私の小説と評論とはきわめて興味ある関係なのですもの。評論でそのような仕事もしてゆく、その心の根の思いというようなところを「広場」にしろ「おもかげ」にしろかいていて、「朝の風」は叫んでいる口は見えるが声は消されたような姿をも示していて。その意味で「朝の風」は底をついたのよ。一つの大きい心理的な飛躍が準備されたと感じます。短篇集をまとめてよんだら、そのことを自分に一層はっきり知ることが出来ると思います。たとえば、これまでの作品では題材とテーマが、いつも二つのものをふくんでいるの。「広場」系のもの、それから「乳房」「三月の第四日曜」その他。主観的素材、客観的素材。それがちゃんぽんにあらわれました。「海流」がもし完成されたら、そこの中で、評論で私が統一しているような統一された自他があらわされ、身につけられたのでしょうが、それが中絶したために、そういう時代の気流のために、一方は「朝の風」で底をついたわけです。この関係は本当に微妙よ。こんなかきかたでわかって頂けるかしら。短篇集には、はっきり私の苦しみが映っていると信じます。私[#「私」に傍点]の苦しみが映っていて、その私[#「私」に傍点]の苦しみが時代のものであるということがどの位語られているか。個性の道があらわれていると思うの。
この次の長いものでは、それを統一してゆくことが会得されたようです。それは一つのよろこびよ。そして、ここまでに示されている永い期間の困難というものは、私の過去の文学の伝統だの、性格だのが原因となっていると思います。私は私小説から発生して居りますからね。人道主義的なもの
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