うして、自分を新しく意識し、生活の又新しいよろこびが綯《な》いよせられたりして、夏前とは自然異った日々が前に期待されます。だから、今年は本質的にいい歳末ね。よく仕事もしたし、というばかりでなく。私としてはしかもくらべるものなきお歳暮頂いたし。ホクホクよ。ああ何と微笑まれるでしょう。何と微笑まれるでしょう。
 意気地を出して勉強おし、というところ。そうお? 私意気地なし? ソラ勉学勉学というの思い出します。二十日までには、やっぱりぎっしりよ。国府津へは連中どうするのでしょうか、まだ不明です。赤子《アカコ》がきっと東京では駄目かもしれず、この間も夜中ふるえたりいたしました由。すこしずつ大きくなって来て、却って妙に弱いのね。ああちゃんには大いに同情いたします。
 婦人作家の会のことは、文学上リアクショナルなもの(プログラム)をおしつけられないようにということからで、この成立には個人的な面白いことがあり、出来たらやはり皆妙に上ずったのばかりではないから、リアクショナルなものでないようにということが本筋になって来ているわけです。いずれお目にかかって申します。大衆作家(吉屋、林、宇野)などと、すこし真面目な文学を志している(主観的に)円地、真杉その他との間にちがった流れがあり、山川菊栄と板垣とにさや当てがあり等々。仕事として、会が婦人作家のクォタリーを出して行くというようなことを今考えている様です。何しろいろいろに動く時代だから、これにしろやがてどうなるか。
 長谷川時雨は「輝ク会」を自選婦人文学者の団体として文芸中央会に自選代表となっていたわけですが、「輝ク会」は銃後運動を妙にやっていて、ちっとも文学との関係はないので、中央会から文学の団体として他の代表を出してほしいという提案があり、時雨女史周章して「輝ク会」はひっこめて、代りに何か会をまとめるという動機をおこしたわけだそうです。私はその会にも次の会にも出ませんでしたが、時雨女史は、自分がすっかり勇退すると云ったらしいが、それは辞令でね。マア変に頭をつっこまず、悠々かけまわりたい人がかけていればいいのです。会の主旨は、文学の仕事と所謂銃後運動との区別を明かにすることを第一条にしているから。婦人作家のグループがあることはわるくもないでしょうし。
 文学史のことについて。これは非常に要点にふれている注意だと思います。一九三三年以後は空白となっている、ということ、ね。ここにはいろいろ興味ある問題がふくまれていると思いました。書き直すとき、作品の箇々をとりあげて行ったら、その欠けたところが補足されるでしょう。補足される部分の作家たちは、一貫した流れの努力というような明瞭な区分で自分の見られ語られることを決してよろこびません、『はたらく一家』の序文をわざわざ広津にたのむようなもので。それに対して、筆者は不満をもっています。(あの文学史の)それを努力のうちにかぞえる気もせず、いろいろで、妙な文学に対する評価の客観性のなかに底流としておのずから存続する文学感覚を生かそうとしたのでした。しかし、それはやっぱり一つの声をのみこんでいる結果になるのですね。そこいらのことが大変有益でした。どうもありがとう。学ぶところがあります。のみこんでしまわず、必要な点は皆掘り出してちゃんと組立てるということ。「のみこんでしまう」という現象にはやはりある衰弱があるわけですね。ここいらの心理もいろいろと面白うございます。
 これはやがてあと書き足して本にするつもりですから、よく又研究して手を入れましょう。それにつけても勉強勉強よ。そう意気地がないわけでもないでしょう? 出来得べくんば、私はほんとにイクジなしのおだまやちゃんとなって見たいところもあります。あなたは大した遠い思慮がおありになるから、ずーっと先にマリアだったかソーニャ・コ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]レフスカヤだったかの伝記について、彼女がもっと甘やかされなかったらもっとよく成長出来たろうのに、とおっしゃったことがあったの、覚えていらして? 何年も何年も前のこと。彼女たちは可哀そうに、可愛がられるというより甘やかされ、その相異を知ることは出来なかったのです。私がその相異を会得しているところがあるとすれば、それは大した仕合わせでなければなりません。晶子の歌集が岩波文庫で出て、それをみると、妻としての思い、妻としての扱われかたが考えられるものがあります。きょう私は爽やかそうでしたでしょう?
 では二十日まで。手紙かくの、行くだけの時間はたっぷりかかるのよ、御存じ?

 十一月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十一月九日  第七十六信
 七日のお手紙をありがとう。十五日の手紙未着の分については、申上げたとおり願います。
 きのう『白堊紀』[自注8]をよんでいろいろ感じていたところであったので、このお手紙に「『敗北』の文学」について書かれていること様々に感想をそそります。あすこにあるいくつかの作品はずーっと前にもよんだのでした。そして、そのときとしての感じをうけたのでしたが、今はあれをみると歴史的に人間の成長というものが感じられ、おどろきます。一九二七年と云えば「『敗北』の文学」の前年でしょう? あの作品のもっている様々の特徴は、やはり非常にその人のものね。もとよんだときには、よむ心の主観的な感動と愛着とを先に立てて居りましたが、今はもっとちゃんと稟質としてそこにあるもの、そこから成育して来たものをくみとることが出来て、感じることも一層深うございました。何というつよく迅い成長でしたろう。音がきこえるようね。そして、そのつよい迅い成熟の過程であれらの作品にこもっている確《しっか》りした密度の高さ、やさしさ、感受性はちっとも粗大にされていないで、その押しでのびて来ている。このところもいろいろと私には興味あるところです。「三等室より」[自注9]は、もと私の感じとれなかったような、様々の内容をふくんでいて、そのテーマの語りかたそのものにあらわれている精神史の意味で大変感銘されます。あれは二回つづけたきりですね。「古風な反逆者」[自注10]という作品からも作者の人生の現実に対する態度がよくわかります。第一巻の「狂人たち」[自注11]はあの象徴がちょっとよくつかめません。ただあの中に科白として云われている女についての感想は、その作者の年齢や何かとてらし合わせてうなずけますけれど。「陽」[自注12]という筆者への展開も面白いことね。少年の陽、自動車を見てはやさ、つよさに胸をとどろかす幼い陽から、ああいう青年の陽への成長を、私は作家として刺戟を感じます。書きたいと思います。これは本当に思っているの。
「たのしみながら、だが眼玉はぎろりとして」という様子、実にまざまざ。ブックレビューのこと。若い心であるからこそ、という点。それは真実だと思います。そして、云ってみれば、そう思うからこそ、割にあわない努力をもつくして書いてゆこうとしているわけですから、一層ここに云われている点は重要ね。
 自然科学についてのこと、お笑いになったのねえ。一笑したとかかれている、その表情が見え、おかしく、きまりわるい。〔中略〕
『白堊紀』のものをよんでつよく感じたことは、その条件としての完成の努力の力いっぱいさの点、そのように力いっぱいだから、再び一つのところへは戻れず前進するというその力を痛感して、実にその人らしいと思ったわけでした。この作者は自身の生涯をそのように高く、条件の最高に完成させようとする気魄に満ちていて、独自の美だと思います。
 こういう完成への努力が、とりも直さず常に前の自分からの成長として、ダイナミックなものとして、現れるということも面白いわね。何故ならば完成を愛す知識人は夥しいが、その場合の完成というものは飽和点としてあらわれ、つづくものは停滞ですから。そういう形で、キレイごとのすきな人々は、完成をねらって、我とわが身を金しばりにするのね。一定のその条件で一度は在り得るが、二度とはないモメントとしての完成ということを思うと、実に実に面白いことね、芸術の面で。つまり文学における典型とは其ね。何だかパーっと今会得されたところがあります。文学における典型を、人はどうして今までこの動的な完成の瞬間においてのこととして、とらえなかったでしょう。作品のうまれてゆく刻々の経過の内面から云えば、つまりはそのこと以外にないのですもの。ねえ。外からばっかり云われていた傾がありますね。これまでの追求では。例えば『現代文学論』の中でにしろ、それ以前の文芸評論にしろ。内から云うと、何とわかりやすいでしょう、創作方法としてわかりやすいでしょう。これは、わかりきっていたようなものの、一層明確な会得のしなおしです。これは面白い、と私が些か亢奮を示しているのはね、こういうことがあるのよ、『歌のわかれ』[自注13]のなかに収められている「空想家とシナリオ」の車善六という存在をどうお思いになるでしょうか、ああいうのは文学におけるリアリズムの神経衰弱的逆効果であると信じます。車善六も、それとからみあってキリキリ舞いをしている作者も一つの典型であるが、再びその作者にとってもくりかえすことの出来ない典型であり、完成です。ところが、あれのエピゴーネンが出て来ていてね。この頃は伊藤整の得能五郎、徳永直の某、そういう出現を、平野というもとからの文芸評論をかく人が、現代文学における自我の血路として一つながりに見ていて、私は大いにそれには反対なのです、血路として、客観的に文学史的に肯定されるべき方向ではないと信じます。車善六だって、あれは敗北の一つの形です。
 私は作家として、ひろい視野がある故に身を狭めざるを得ない車善六的感覚と、今のところ(今日迄)「朝の風」のような面でとりくんで来ているのですが、それはあれとは全く反対で、ああいう旋風的突然の完成に自身を捲き立ててゆけないから、正攻法で、従って、サムソンののびかかった髪の毛みたいな苦しいみっともないところがあります。〔中略〕日本の文学史が遠くない昔にさしていた拡大された生活者的我というものを、私は馬鹿正直に追求してゆきます。そこへ自我を解放しようと願います。それは単なる作品のテーマにとどまらず、日本の文学のテーマであり、作家の生涯のテーマであるものだと思いますから。
 ああ、どうぞどうぞたのしみながらぎろりぎろりとして頂戴。血路というような性質のものをもとめず、私はやはり行くべき方への道をゆきたいわ。血路というそのものが、文学として、やはり作家個人の範囲の印象です。そうではなくて? 十一月号の作品の批評を都に四回ほどかきます。もう度々いやでことわったけれど、今度は思い直してかくことにして居ります。書くモティーヴは、この数ヵ月間の文学の動揺の波をとおして各作家がどんな自身の道を進めているか、例えば火野が妙な河童物語と極めて幻想的懐古の作品をかいている、そのことと兵隊ものとの間にある時代と文学との問題をみるという風に。平野という人は、目の前に出ている作品だけ云っている、この場合も。河童への興味の一貫性というものが私にはやはり感じられます。芥川の河童、碧梧桐《何とかいう俳画家》[#「碧梧桐」は罫囲み]の河童。日本の河童とは果して如何なるものの化《け》で、いかなる時代に出現するというのでしょうか。そういうことをかくのです。いろんなこんなこと考えているから、清潔なギロリの心地よさ! 日本文学における河童(特に近代の)は、決して噴飯ものではないのよ、そうでしょう? 私のかかる野暮は尊重されてよろしいものでしょう? 日本文学に河童が登場するとき、そこには何かの悲劇があるのですから。
「昭和の十四年間」へのサーチライトはまだ輝きませんね。それはいつ閃くのでしょう、たのしみだと思い待たれます。たとえば、このお手紙に云われているシェクスピアの女の歴史的なつながりの点ね、かきながらもうすこし詳しくかいた方がいいなとちらりと思ったところだから、私には、そこへギロリが焦点を
前へ 次へ
全59ページ中49ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング