りなくてこまるそうですが今回はこちらでもどうにもなりません。
山田忍道の店[自注7]も、先生の気合から物をつくる術はないものと見えて、あの日本橋の角は貸事務所か陸軍病院になりそうだそうです、伊勢丹もやはり。その他この暮にはいくつかがしめるそうです。つとめている人たちはまだ知らないのでしょう。
島田から炭お送り下さいました。これまでは一俵二円でしたが四円よ。あっちの価もそうなのね。今年の冬子供を生む人は今からハラハラです。
この頃の夜のしーんとして圧迫する気分はそちらも同じでしょう? 何だか却って落付けません。今日まではうちのあたり割合しずかですが、夜なかどうかしらと云っているところです。うちの方は上り屋敷の前の空地へ避難するのです。
私はどうかしてすこし風邪気です。勿論大したことなし、そしてね、バカでしょう、ゆうべは秋刀魚《さんま》のトゲをのどに立てたのよ。秋刀魚の骨は細くしなやかで、御飯かためてのんでもなびくばかりでとれなくて、痛いよりくすぐったくてそれは妙なの。困った揚句、喉に薬つけるような綿棒こしらえてかきまわしてフーッとやっととれました。そのときよだれ[#「よだれ」に傍点]を十日分ほどこぼして勿体ないことをしました。よだれ[#「よだれ」に傍点]はこの頃大切よ。思わず出るような美味いもの減りましたから。おいしいもの、おいしいもの。私は、ああ美味しいと歎息して、あなたがそんなにおいしいかい? と仰云ったこと思い出しました。
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[自注6]二葉亭のあの煩悶――文学は男子一生の事業に非ずという彼の煩悶。
[自注7]山田忍道の店――日本橋の白木屋。
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十月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月六日 第六十八信
十月三日づけのお手紙、きのう、ありがとう。
土曜日に朝ゆけたら行こうと思って、ああ申上げたら、金曜の夜中フーッフーッで目をさましてしまって朝おくれて目をさましたので失礼しました。それでも、このまわりには何も落ちなくてよかったこと。
今は一寸一筆ね。原稿を、日曜で目白市場の郵便局が休みで落合長崎まで行って貰うので、ついでに。
これは小説ではないの、ごく短いの、その代り大いにピリリとしなければならない筈なのですが、果して如何か。
「煉瓦女工」の評は、随分こまかにしました。全く私もそう思うの。そして、文学の悪時代、出版の悪時代にめぐり合わせて、あの娘さんそのものが大分大した要素もあるらしくて、「藪入り」なんか最もましな部分の流露です。「今かくことはいくらでもある」「じゃ書くことがなくなったらどうするのかね」「そしたら小説家みたいに、嘘かいてやる」悲しき問答でしょう? 文学と云えば直木三十五しかよんだことがないというのをカンバンです。素人文学というものがここまで悪用されるとは川端康成も思わなかったでしょうね。先生という人たちものすごいのよ。新協で上演しようとしたら、先生第一声は「儲かりますぜえ」であったと唖然としていました。二十歳ですからね、私なんか、その娘さんのひととなりをきかないうちは、いろいろ心で思っていたが、今はいささかこわいと思って居ります。先生というのが政治家(この頃流)ですし。娘さん、何だかとんだ娘というところもあるらしい。
高山の本の題、やっぱりでしょう? 一寸どうか、ね。今ほかの事で頭いっぱいで考えられず。
外国の婦人作家のこと、永い間の仕事として面白いと思います。でも作品を一とおりよむのも、エリオットなんかあるけれども、ほかの作家のもの手に入れがたくてね。ドイツ、ロシアの作家たちも面白いわ。ロシアの過去の婦人作家というのは、妙な芸術至上主義者やギッピウスのようなシムボリストなどで。婦人の積極性(文化上)は、ああいう文盲率の高かったところでは一方ではそうなり、他方では「フ・ナロード」となるのね。一七年以後小学校の教師をしていた人が先ず文学的活動に入っていて、それも文化の上で考えさせます。ドイツの婦人作家は、ちっともしらなくて、ロマンティストのフーフ一人です。このひとの本は『ドイツ・ロマンティシスム』岩波から大した難解のが出て居ります。
それとは別にね、この間、津田青楓の会に行ってふと思ったのですが、日本の文学者と画家の交渉を、文学者の内から文学の動きのなかから見て、画家と文学者の推移を描いたものは日本になくて、しかも或る種の文学者しか出来ない労作であって、大変面白いと思いました。私は画と音楽がすきで、普通よりはすこしわかるのよ、ですから、それを河上徹太郎のように、他の芸術分野へ、そのまま歩みこんでしまうのでなしに、どこまでも文学・作家という本筋からはなれず、そういうところからでなくては分らない課題をとってゆきたいと思って。面白いでしょうね、たのしみです。ポツリポツリと『中央公論』にでものせてね。「当世書生気質」の逍遙の插画と長原止水の絵との時代的相異。明星時代と印象派の画家たち。自然主義と写実派の画家とはどういういきさつもなかったのでしょうか。漱石と青楓。龍之介と小穴隆一。尾崎士郎と中川一政。小島政二郎と小村雪岱(※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]も入る、鏡花)。白樺と草土社。その他、おもしろいでしょう? 画家の画業の本質と代表的作家のうごきとをくらべてどういうモメントが結びつきとなっているか。たとえば、尾崎の「人生劇場」と一政とのくみ合わせは、一政の型のきまった抒情性と士郎の浪曲的感激との結合ですから。石井鶴三の「大ボサツ峠」のさし絵は、作者のあくのきつさのいい面がいかされてあの絵となっているし。
插画にばかりでなく、「白樺」と草土社のつながり、そこにあるセンチメンタルなものなどなかなか面白いと思います。画家の説明出来ないことが語られるわけでもありますし、道楽があるでしょう? これで私もなかなかなものよ。なまじっか、じかに絵の具をいじくるよりもっとよくばりなわけね。
音楽も、近代日本の音楽のうつりかわりを文学の方からみると、これまた面白いと思います。寿江子がもうすこしものがわかって来ると、面白いでしょう。
『明日への精神』千増刷いたします。でも、あわれ、三倍以上の借金がありますから、雲霧消散[#「消散」に「ママ」の注記]よ。先のとき又きくように、程々には水をやって手入れしておかなければなりませんからね。四冊本が出て、ひととおり片づく算術です。まことにいそがしい足し算、ひき算ね。「基礎」は三度ぐらいよみましたでしょうね。しかし、いいものの味は、自分の長成[#「長成」に「ママ」の注記]とともにわかりかたも育つ故、年々歳々|新《あらた》でしょう。
十月の十七日に何のお祝してさしあげましょう。いい写真帖をあげたくていろいろ考え中です。今年はいつものようなこと出来ませんようです。栄さんのところはマーちゃんという娘が胸の方本ものになったらしいし、戸塚はふらふらしているし、そのほかのことで。いずれお話いたしますが。いっそ、寿江子つれて国府津へ行って二三日(十七日を中心にして)いて来ようかとも思ったりして居ります。てっちゃんが招待してくれると云っているのですが、何だかすこしちぐはぐな気もするので。いずれおめにかかりまして。
あした夜着もってゆきます。肩当ての布がいいのが(丈夫なのが)なくて、今、台所で染物工場がはじまって居ります。袷羽織、メリンス襦袢お送りいたしました。
ああ仕様がないわ、一筆なんて、こんなに時間かけて。木犀の花の匂りいくらかのこって居りましたか? もうあれも萩もちりました。これから菊でも植えましょう。犬考えたのよ、でも税のこと考えると。今年の所得を来年何しろ払うのですもの、その来年やいかに、でしょう? だから。
十月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十二日 第六十九信
きょうは大笑いなおみやげだったでしょう? ゆうべきゅうにその話になりました。あなたの御誕生日のおよろこびに何かしてあげたい、じゃ本もの見て貰いましょうか。それですこし日が早すぎたけれど、何しろ赤ちゃんというものは、いろんな都合があってね、雨ふればダメ、風ふけばダメ、くしゃみが少しつづけて出ればダメ故、善はいそげというわけでした。いかが? 小坊主は。親たちに似ているのは何と可笑しいでしょう。赤坊は物理的に私にだかれにくいのよ、そのわけは、私はこのように円いでしょう、赤坊だって丸いでしょう、円いものと円いものは接触面が全く小さいのよ、だから双方工合がいいということに行かないの。これも可笑しいでしょう?
あれから私がおしめの袋ぶら下げて家まで無事送り届けてかえりました。そして家へついた途端すっかり眠くなりました、赤ちゃんづれは気が張るのねえ。
七日づけのお手紙と八日のつづけて十日に頂きました。七日の、開巻第一に詩話がのって居りました。「ゆあみ」の話が。八日の午後は、すこしおそいおひるたべて吻っと一休みしていたら二時なのですもの。ぱぁーっと立ちあがって、いきなり着物きかえて、出かけました。全くもたない状態となって。そしたら八日に手紙かいて下すったというので、大変満悦なわけでした。
「朝の風」は十日にかきあげ、ひる前に共同へ届けました。重吉とサヨが現れます。絵画的な周囲の光景風景の感情、その推移と結びあわされつつ、サヨの重吉への心持を描いたものです。いろんな瞬間の。そして、その瞬間瞬間のつみ重りの間にサヨの感情の成長してゆく姿を。
「日々の映り」の直しのつもりでしたが、書いて行くうち全く新しいものとなってしまって、たたみこまれている味は非常に濃やかで且つ複雑で、自分としてはこういうテーマとして、今日かける面からの扱いとして、不満でありません。「日々の映り」のなかでは割合現象的にしか扱われていなかった乙女の後日の姿も、「朝の風」の中ではもっと深められて、単にサヨの重吉に対して抱いている感情との対比という範囲よりふかめられました。一番終りはサヨの妹が赤坊を生む夜あけ、ついて行ってやったときの場面。無事子供がうまれ、高い産声がしている。丁度朝になった時刻で、サヨは電話室のよこの中庭に露のおりている石菖の鉢を見ていると、どこからかラジオ体操のレコードがきこえて来ます。そのメロディーはサヨが重吉と結婚して間もなかった頃、初々しい朝の目醒めのなかできいたものです。そのメロディーを運んで来た朝の風は、二人の体の上をもとおった。サヨは今のよろこびに通じるそのまじりけのないよろこびのために涙をおとす。そういう心持が終りです。大変深いよろこびと安心と乙女への憐れさとこの涙と、透明な清冽さのなかになかなかニュアンスがあります。詩的です。リリカルであって精神の力に貫かれたものがあります。
こうして、爪先一分ばかり、前の作品を抜いたわけよ。ジワジワとこれから各作で前作をぬくつもりです。どうかこの作も、私からのおくりものの一つとして下さい。
七日のお手紙のなかの「アナウンスした」を「したと聞いたが」と訂正して下すったこと、私はうれしいと思います。御話したとおりに。ああいうところに私たちの生活感情の何とも云えない思いとその思いの美しくあり得る精髄がこもっているのですものね。それは全くそうよ。もしそういう感情が私たちの生活の一つの美として感覚されていないとしたら、たとえば、この間の大きい濤に私がゆられ、ゆりあげられた何日間かの心持を、そのあとにかいた手紙のああいう情感では受けられなかったわけですものね。ああ、でも考えればあの折(こないだの)私は半ばものぐるいでした。それはそうねえ。誰がそれを咎めることが出来るでしょう!
ロマンティシズムの問題、そうだったの? この頃のような生活の周囲の空気だと、私は正しい沈着且つリアルな「見透し」そのものが、とりも直さず人間精神の美をなすものであって、その美の自覚された美感というものが、どんなに大切なものかということを深く考えます、バックの所謂自覚された正直さという表現のもっと成長した
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