です、子供二人とああちゃんと一つ蚊帖で眠るのも珍しい味です。

(※[#ローマ数字5、1−13−25])ここの海岸は、あなたの御存じのころと大して変りません、風にふかれた砂丘もあすこにやはり短い草を生やしています。道路がすっかり変ったけれど。道ばたに松の生えた土堤があったでしょう? あれはもうないけれど。うちは、芝生が出来たのがちがいです。今はあのソファーによく泰子が手足をのばして眠って居ます。こうやって皆とここにいると、日頃と全くちがった空気です。子供二人はちがいますね。おばちゃんになるのも休みの一つのようです。

(※[#ローマ数字6、1−13−26])きのうきょうのうち何にも急な用事はおありにならなかったでしょうか。字をかくとまだすこし頭がしまるようです。でも、只いれば大分まし。字をかいてもこの頭がしまって来る気分がないようにならなくては本物でありませんね。あの位ひどくなった揚句、三四日で直そうというのは虫がよすぎるのでしょうか。目のまわるのはすっかり直りましたからいいけれど。明日はおめにかかります。きょうは一日くもりでしょう。あした雨だと草履で困りますね。

 八月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(「鴨緑江流筏」の写真絵はがき)〕

 八月十日、これは随分美しいでしょう、悠々たり千里の江ね。北京の坂井徳三さんが送ってくれた一組の一枚です。まだほかにも面白いのがあります。追々御目にかけましょう。ヴォルガを下った夏の終りのことを思い出します。けれども、この河の水のきらめきがつたえる生活の響はやはりちがうことを感じさせます。揚子江の上流の絶壁の風光はすばらしいようですが、そのエハガキはありません。

 八月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 八月十日  第五十四信
 暑くないのだけましと思っていたのに、いけませんでしたね、顔色がわるうございました。気分、大分よくなかったのでしょう? こんな天気はよくありません、皆お大事にということでした。どうか安静にしていらして下さい。呉々も呉々もお大切に。月曜日にあのとき云っていらしたことについて御相談いたします。私の方でも出来るだけ心当りをしらべておきます、それ迄に。専門で適当な人を見つけたいと思います。
 私の眼は、左まだ研究の余地があります。月曜日にそれをやります(これは六日に)。
 五日のお手紙、それから九日にかいて下すったの、けさ、ありがとう。五日のお手紙へのお礼は、六日に申しましたね。国府津も空気こそ袋へ入れてもってかえって、あなたに吸わせて上げたいと思いますが、生活条件がハガキにちょっとかいたようでね。なかなかちょくちょくとはゆきません。その点では鵠沼はましですね、咲枝もつくづく云って居ました、何しろ海は荒くて子供(大人だって)入れないし、全くの漁師村ですから野菜もすくないし。切符のものは別途に手に入れる方法がないし。行くとき国男にたのまれて、台所で使う炭をもって行ってやったのよ、そんな工合。石炭も持って行ったのですって。ですものね。三四日一人でとはゆきません。おしいものだが致しかたなしです。バスがこの頃は大分あやしいの、昼頃はよく休んでしまうし。愈※[#二の字点、1−2−22]《いよいよ》閉口です。でも何とかして折々息吸いにゆきたいとは思って居ります。大磯のようなところは町そのものが外から来る人々によって生計を立てているようなものだから、わるいところもどっさりあって、しかし、今は物資はやや円滑でしょう。全く国府津は、使えるような使えないような、ごちゃごちゃしたところとなりました。あなたの御存じの頃があれで一番住よい条件のあったときでしたね。
 パニック的手紙のこと、いつかも書いたように幸《さいわい》大分わかって来て、本質的に所謂気にすることも少くなって居りますから大丈夫よ。夕立をやったとき、あの日は一日時々晴れた空からパラパラと来てね、そして、パラパラ雨をふらしながら、生活って何と面白いいいものだろうと思いました。あんな狭っくるしい、あんな短い時間の間にも、やっぱりああいう形でつい溢れるものがあるのですものね。そして、私はあなたに対して腹を立てている自分、あなたを恨んでいる自分をさがし出そうとして心の底をいくらさぐってもどこにもそういうものが無いので、大変不思議でした。ずーっと心の水底へ鏡をしずかに投げてやると、その小さい鏡は沈んでゆきつつ悲しさを映してはいるけれど、憎悪のかげはどこにも映すことが出来なくて、底に落付いたときには、その鏡の面一杯になつかしさが照っている、大変面白い気持でした。私たちもこうして暮して、九年の月日が閲《けみ》されたことを痛切に感じました。そんないろんなことから思いかえせば、あの夕立、やっぱりなかなか可愛いと思います。
 それにつけても、飽きない心のたたずまい、あの眺め、この風景という工合に過されないのは千載のうらみですね。
 九日のお手紙、眼の本のこと、どうもこまかにありがとう。眼と神経衰弱についての本をよんで見ましょう。これで左がちゃんとすればきっといいのだろうと思いますが。眼からの疲労と云っても私は実によく眠るのよ、そして食べるのですけれど。只よんだり書いたり歩いたりが苦しいのね。しかし、もう頭が大分楽になって、少くともものを考えることが出来るようになって来ましたから(仕事について)追々ましになりましょう。こんなにしてボヤボヤしては迚もいられない、その気があって早くよくなろうとするものだから。全くあんなに気をつけていたからこの位ですんだのでしょう。
 Dのないようにするということ。大体Dはそうないし、例外ね、万一そんなときは朝よく眠るようにします、私は眠りが不足では実に能率が低下しますから。それは自分でよく心得て居ります。よく仕事したいのならよく眠らなければ駄目なのです。
 河出の本のもの二人のひとにたのんでうつしています。でもまだ自分でさがす必要のがあり。そのついでに(どうせひとをたのんだのですから)「『敗北』の文学」の批評ののっているのを見つけて、やっぱり写しておいて貰おうと思います。必要でしょうから。いろんな広汎な種類のひとの言葉がより有意義ですから。
「街」「顔」などのほかに「伊太利亜の古陶」「小村淡彩」「氷蔵の二階」「心の河」など、そして「白い蚊帳」「高台寺」等。
「伊太利亜の古陶」というのは一寸した諷刺的なものです、マジョリカの焼物をめぐって。「小村淡彩」は、鎌倉の小料理やへ来た馬鹿な女中をめぐっての風景。馬鹿な小女が、みごもっていて、馬鹿なりにその父親になってくれるものを熱心にさがしているその切な心を、はたでは只バカ扱いにしている、そういう有様。
「氷蔵の二階」は平凡社の、あなたが御覧にならなかった小さい本に入っているのです。氷屋の二階が貸部屋になっていて(アパートの前駆ね)そこに暮している若い女の生活の気持をかいたもの。「心の河」は伸子の前駆をなす種類のものです。一組の男女が、日常茶飯の些事ではいやに心持が通じたのに、生きてゆく根本のところでは何にも通じず、憎らしいと互に思う気持だけがあるとき閃きあっているのが分るという心理。
「高台寺」「白い蚊帳」は内容を覚えて居りません。これから見つける分。
 この時代のものは、概して小さいあるときの心理というようなものをとらえている作品が多うございます。まとまっている。でも深さが十分でない。題材がそういうものであるところもあるけれど、やはり作者の生活眼、生活感覚が、環境的なものに支配されていると感じます。能才者という調子があります。上すべりしているというほどではないけれども。そして今の自分としてはその能才風なところが気に入らないわけです。
 現在の私は、小さい枠に、どっさりのものを含ませたり盛ったりしようとして、未完成なものを書く傾きがありますが、それらの作品はどれもそれぞれにその世界をもってまとまっていて、つやがあって、小市民の善良さ、かしこさのつやをもっている。狭さがわかります。「顔」「伊太利亜の古陶」「小村淡彩」などは題材は面白いのです。気持も一寸とらえているけれど、生活の息が不足しています。あくどさがない、いい意味でも。濃い色とつよい息がありません。破れたところがない。その頃私は芥川の作品が殆ど大部分一種の作文だということを、理解していなくて感覚で反撥してだけいた、そのことがよくわかるようなものです。少し気持がわるくなったからもうこれでおやめ。本当にお気分はどうでしょうね。

 八月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 八月十一日  第五十五信
 きょうの御気分はどうでしょう。さむいようなむすような天気ね。すこしはお落付きなさいましたか?
 きのうの「ひどく心配しなくていいよ」という気持と苦笑との交りあった極めて複雑な表情が、目にのこっていて、やっぱりこうして手紙かきはじめます。
 ほんとにどんなかしら。お眠りなさいましたか。
 専門家のこと、いい見当がつきました。おめにかかって申しますが。非常にふさわしいと思われる選定です。月曜日にいろいろこまかくお話しいたします、まち遠しい。
 この天候は一般に大変こたえているようです、いろんな人が調子をわるくしています。きょう『都』をみたら保田で稲ちゃんが急病で、鶴さん看病に行ったと出ています、何かしら、扁桃腺なら大したことないけれど。でも扁桃腺は腎臓になるからどうしたのかしらと心配です。あのひとも過労つづきですから。朝鮮旅行で随分無理した揚句だったし。
 私の眼の方は、きょう左の方に乱視の度の入っているのを入れかえて見ました。いく分楽になったようです。それにつれて、思いかえして、もう一度、ずっと見て貰っていたケイオーの医者のところへ行って見ることにしました。以前からのひきつづきで、責任を帯びているわけですし、私のような仕事は、眼の使いかた激しくて、一日のうち大抵ごく近距離を見ているわけですから、眼鏡はその特殊な条件も考えられなければならず。つまり右の方にだって、乱視の度がなくては、きっと害があると思いますし、その変化は、やはり前に見て貰った人にたのむ方が比較されていいわけですから。
 私はこれから一年一度の健康診断と検眼を実行いたします。こんどのようにショックうけて、さわいで苦しがって実につまりませんから。あの苦しさ! 眼鏡が合わなくなると誰でも相当バタバタやるらしいのね。めがねやでは心得たものです。
 この頃は外米にヴィタミンBが欠けているために、眼の苦情が増大しているそうです。それから酒の品質低下のために。
 ここまで書いたらお客さん、若い娘さんたち。一人は写しものをたのんでいる可愛い人。お恭ちゃんはきょう上野の博物館見物です。佐藤さんのところに、さち子さんの姪が(十五歳)来ていて、その子に見物させるというので、つれて行って貰わせてあるわけです。この間はお恭ちゃんの兄さんが二人づれで来て、よろしくとたのまれました。大切に可愛がられている娘です。だからうちへ来ても変に引こんだところなくて、家の者としての気分でいてようございます。その点では、私は仕合わせだと思って居ります。
 ここまで書いたのが十一日。きょうは十八日です。その間ずっと書きませんでした。
 けさ、十六日づけのお手紙着。ありがとう。箱根のエハガキ、やっとつきましたそうですね。山の峯々遠けれど、という次第ですね。林町の父、そんなこと云って居りましたか? ストーヴの前の光景やいろいろよく覚えていて、あの重い剣をこしらえ直した火をいじる道具をもって話していたりしたときの様子まざまざ浮びますが、その話は忘れていました。父は大変歓待したいと思ったのね。
 国府津の海では、私又別のことを思い出すの。虹ヶ浜のこと話して、私が泳げないと云ったら、そして、きまりわるいと云ったら、「夜教えてやるよ」と仰云ったこと。今年行ったらどういうわけか珍しく、この体に海の水をサアサアとあびて見たいと感じました。それにつれて、一度ならず「夜教えてやるよ」、
前へ 次へ
全59ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング