りました。これからはそうしましょう。
 きょうはこれで終り。
 今多賀子から手紙が来ました。野原小母さんの弟さんの河村さんという方がなくなられたそうです。うちの経済の事情は、やはり多賀子が勤めなければならない程度だそうです。いずれかえって来て、よく相談にのって頂いてからきめるそうですが。
 では又明日ね。朝そちらへ行って、あとは横になったり何かしつつ。『英研』六月号でマーニン夫人てどんなひとか見でもしましょう。なおったら又図書館通いよ。では明朝。

   つけたしノ表。
      │ 朝     │ 夜   │
七月  十日│   七・〇〇│一一・三〇│書いたもの90[#「90」は縦中横]枚
   十一日│   六・四〇│一一・〇〇│
   十二日│   六・二〇│一一・〇〇│読んだもの、
   十三日│   六・三〇│一一・三〇│ 七月十二日から三十五頁。
   十四日│   七・〇〇│一一・〇〇│
   十五日│   六・四〇│一二・〇〇│たくさんの式の中からやっと這い出したところ。そして、すこし、このこととドイツが金本位を廃止することとはどういうのだろうかしらと思う地点に立っているところ。
   十六日│   七・〇〇│一〇・三〇│
   十七日│   六・五〇│一〇・四〇│
   十八日│   六・三〇│一一・三〇│
   十九日│   六・四〇│一一・〇〇│
   二十日│   六・四五│   ――│戸台さん盲腸サワギ
  二十一日│朝八時―一二。│ 九・〇〇│
  二十二日│   六・三〇│一〇・〇〇│
  二十三日│   七・〇〇│一一・一五│
  二十四日│   六・五〇│一〇・二五│
  二十五日│   七・〇〇│一一・〇〇│
  二十六日│   六・三〇│一〇・三〇│
  二十七日│   六・四五│一一・〇〇│多賀子出発
  二十八日│   七・〇〇│一〇・四〇│
  二十九日│   六・五〇│一一・二〇│明舟町のお話
   三十日│   七・〇〇│ 九・一〇│
  三十一日│   六・四〇│ 九・三〇│

 八月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 八月一日  第五十三信の別口
 この間しらべた記録の配分かたの表、やっと出来ましたから、左のとおり(森長さんでしらべた分)たか子と二人で見えなくしてしまっていた分。

 十四、七  木俣鈴子手記 四通 栗、袴、山、秋
  〃    大泉兼蔵記録 二通 栗、袴、山、秋
       (八月にとった)アトの分と合わせて四
  〃    秋笹正之輔記録四通 同
  〃    予審終結決定十二通三部、栗、森、秋、袴
  〃    宮本顕治記録 二通 栗、袴、山、秋
       (八月にとった)あとの分と合わせ四
  〃    木俣鈴子記録 五通 栗、秋、山、袴
  〃    西沢隆二   二通 栗、
 十四、八  袴田里見記録 五通 栗、袴、山、秋
  〃    金季錫    ?  ?
  〃    加藤亮    ?  ?
  〃    宮本顕治抗告 四  森長さんがもっている、栗、あとは分らず
  〃    熊沢光子記録 五  栗、袴、山、秋
  〃    西沢隆二記録 四
        高橋善次郎 一冊
                 森、
        大串雅美  一冊
 十四、十  袴田公判   四  栗、袴、山(秋)ナシ
       木島記録   五  栗、袴、山、秋
       証拠物写シ     栗、袴、山、森(秋ナシ)
       大泉公判 第一回  袴、宮、栗
 十四、十二 大泉第二回 第三回 ?
 十五、二  証拠物写シ     森
       西村マリ記録 三  ?
       加藤西村公判    ?(これは岡林氏の方のしらべで、岡林氏のところに一通アリ)
  〃    林鐘年予審  四  宮、栗、秋、袴
       蔵原惟人   二
       秋笹正之輔上申四  山、袴、
        同 公判調書四  山、袴、
       山本正美調書 四  森
       逸見重雄公判 四  山、袴、
       逸見上申書  四  森
       袴田上申書  二  秋、森、
       木俣鈴子上申書二
        同 公判調書四  秋笹二部
 この間のしらべではこのようでした。きょう林鐘年と逸見上申書のお話がありましたが、林というのは、そちらに行っているように森長氏は思って居りますね。上申書の方はたしかにまだなのでしょうが。本当によくはっきりしないこと。
 ○猶、木島公判記録一、二、三、四回は山崎、岡林氏のところにある由です。
 これでいくらか見当がおつきになるでしょうか。
 写したものはこの表が全部ではなく宮本文書目録そのほか一通二通のもの、とりのけとしてあります。先に写してお送りした分と参照して御覧下さい。
[#ここから1字下げ]
 失くしたと云ってもある筈と心がけていたので出現しました。眼玉の御威光のみには非ず、念のために。キラリとすると正気づくとなど御思いになると閉口故。
[#ここで字下げ終わり]

 八月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 八月四日  第五十四信
 雨ね。すこしわきへよって、場所こしらえて頂戴。ああ、これでいいわ。
 私の変なのは、やっぱり眼ですね。でも、何とひどいのでしょう。きのうかえりに近藤というお医者へ行って、計って貰ったら、右の方が 2.0 だったのが 3.0 になっていて、それは進んでいるわけです。左の方はやっぱり 2.0 でいいというわけで、もとのしらべでは左右同じな度に少し乱視の度がついていて、右が 0.5 左が 0.25 ついていたの。その乱視の度はとってしまって、単純な近視 3.0 と 2.0 となったわけです。それですぐ目鏡やへ行ってそのように新しくして、かけたら、今度は右の方はスーと頭のしん迄楽になったのに、左がまだきっちり合っていないようです、今日も左の駄目なのが益※[#二の字点、1−2−22]はっきりして来ているのですが、日曜でしょう? 明日迄待たなければならないの。こうしていると、ついどうしてもよむか書くかして又つかれそうだから、栄さんのところへでも行こうかなどと考えているところ。右は楽なのに左が苦しくて、その片方の眼から頭がこの間うちの苦しさの微弱なのになって来るのがよく分ります。でも何とひどいんでしょう。
 きのう電報頂いて、ありがとう。眼ね。内科的な原因から眼がどうなっているというのではないでしょう、血圧のこと本当に大丈夫よ、尤も眼の調整がすっかりすんでいくらかでも妙ならすぐやって見ますが。
 体のこと非常に注意しているもんだから、体力で或程度まで眼の自身の力で保っていたのが、つかれたので突発的に自覚されて来たのね。
 頭のああいう工合の苦しさ、ひどい気持でした。何しろ頭でしょう、致命的な不安です、その感じを自分に誇張しまいとして(そういう精神的な不安を)。突然だし頭グラグラでまともに歩けない位だし、実際たまらない気持でした。いやねえ。これには、一つ原因があるのよ、ずっと眼を見て貰っていた桑原という医者(ケイオーの人)が、一昨年盲腸を切って入っていたとき、ふと眼のことを考えて、すこし変化しているように思って又調べて貰おうとしたの。そしたら、私の眼はちんばで右左ちがうが、度のちがいすぎる眼鏡はわるいからこのままと云ったのよ。
 私はそれを信じて居りましたからね。そしたら、きのうの話では、2.0と 3.0 ぐらいの相異は全く普通でいくらでも差をつけていいし、差がないと見える方の眼だけで見ていることになってよくない、それだろうというわけです。眼をつかうのだからそんな差はやはり大切だというの、永い間には。全く何だか分らない。執拗に自分の眼の感じで追って行くしかないわけになってしまいます。左の方のことよく明日研究してね、それでおさまるでしょう、しかし、神経はよっぽどつかれたのね。これまでにどんなに損していたでしょう。残念だこと。私は何だか段々慶応がすきでなくなります。内科のお医者で今戦争に行っている人はしっかりしていると思っているのですが、どうかしら。
 お医者などという人は、ずっと永年かかって、体の特殊な条件をすっかり知っていてもらわなければ、いざという重大なとき何の足しにもなりません。例えば私なんかこんなに丸くたって、婦人科のお医者が、丸い女につきものといういろんな条件、頭痛だとか不眠だとか、便秘だとかは一つもないのですものね。そして、やっぱり内科のお医者がそうだろうと思ういろんな条件もないのですもの、例えば私は胃腸がいい体ですし、新陳代謝もいい方です。そんなことだってやっぱり独自な条件ですもの。
 この眼、この左の眼、これがちゃんと調整されれば、そして疲れやすめしたら、もう大丈夫です。眼からの苦しさと、今ははっきりわかりました。
 さわいで御免なさい。でも、自分としては小さくさわいだつもりだったのよ。
 河出の本のために作品をうつす仕事、きのうときょう二人の若い女のひとにたのみました。一人のひとは洋画をやろうとしている、大変素質のよさそうな二十一の娘さんで、絵の具を買う金を働こうとしているの、ですから、私のこまこました仕事ずっとあればその人にとってもいいわけですが。
 きょうはもうこれでおやめね、なるたけ疲れさせない方がいいと思うから。右の眼は底まですーと自然な感じで、左の眼だけ変に意識されています、それが曲者よ。
 眼鏡をとった私の顔はどう見えて?

 八月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 神奈川県国府津町前羽村字前川より(芦ノ湖及び元箱根風景(※[#ローマ数字1、1−13−21])、宮ノ下全景(※[#ローマ数字2、1−13−22])、湯本温泉全景(※[#ローマ数字3、1−13−23])、玉垂の滝(※[#ローマ数字4、1−13−24])、箱根神社の森(※[#ローマ数字5、1−13−25])、箱根町全景(※[#ローマ数字6、1−13−26])の写真絵はがき)〕

(※[#ローマ数字1、1−13−21])こちらは八十二度から四度です、東京も余りちがわないようね。何しろ一家総出ですからなかなかの賑わいです。泰子、太郎めっきり元気で泰子はやっと食欲が出た由。私は空気のいいのとお客のないのとが何よりで、ついた日は午後二時間も眠って又早く熟睡いたしました。眼はやはりこの度でいいようです。遠く遠くと水平線をながめて居ります。
〔余白に〕全部で六枚つづき

(※[#ローマ数字2、1−13−22])きのう(七日)は、珍しく私が来たというので国、咲、太郎、私、従弟の紀という一行で午後から夕刻まで箱根まわりをしました。始めて通ったところで仙石原というところがひどく気に入りました、高原的な眺望で。これも初めて芦の湖を小さい汽船で渡りました。仙石原を通ったとき、私の心に一つの遠い夢想がわいて。きっとあなたのお気にも入る風景だったものだから。そこのエハガキがなくて残念です。

(※[#ローマ数字3、1−13−23])こちらもいろいろの生活資料が統制でおかみさん大苦心です。砂糖、炭、米、東京で切符のものは(マッチ、砂糖)こちらではどうしても手に入りません。これから来るのならば、みんな持参というわけになります。魚も十分でありません。ここは所謂避暑地でないためにこういうときは不便ですね。保田の稲ちゃんもショーユを買うのにいい顔をされないと云ってよこしました。

(※[#ローマ数字4、1−13−24])本をよまない覚悟でいるので、子供まじりに何だかだというのは却ってよいかもしれません。紀というのは黒鯛釣りに夢中です。太郎がそれにくっついてゆく。私やああちゃんは、赤子《アカコ》と森閑としたあの食堂のところで風にふかれます。けさは太郎とお恭ちゃんとをつれて海岸へ出て一寸遊んでいたら、雨が落ちて来ました。頭の苦しさ大分直りました。左の目も馴れて来たよう
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