してしまってはどうでしょうか。
新しいのは来年書き下しを、というのですが、これはまだひきうけ切りません。三千刷るので一割二分の由、作家としての条件が余り低うございますからね、保証の率がなさすぎるという意味で。
ここまで書いたら珍しく重治さんが来て夕刻までいました。泉子さんがよるかもしれないというのでしたがよらず。いろんなこと話している間に、寿夫さんの細君になった人が来ました。これが、いつぞや上野の図書館でいきなり私にものを云いかけたとお話した女の人でした、やっぱり。名をきいたとき、どうもそうらしいと思ったのでしたが。お姉さんのようにしている方だからと云ったということですから、大いに力をつくしてそのような名誉は辞退しました、私は自分の弟は林町のが一人で沢山よ、寿夫さんが弟では任に堪えませんからね。その点は、冗談のうちにも、はっきりと申しました。だって、こまるわ、姉さんのようにして居りますのよ、なんて、ああいうひと。肉身でもないのに、じきおばさんだとかお姉さん云々とは全く趣味に合いません。
そのうちに、おひさ君が久しぶりで水瓜をもって現れました。洋装でね、ずっとつとめて居ります。呉々よろしくとのことでした、お体いかがでしょうと。達ちゃんの御婚礼の写真みせてやったら「アラア何てお可愛いんでしょう」とほめて居りました。自分たちのときはとらなかったのですって。
本当にひどい風です。益※[#二の字点、1−2−22]明日は吹きつのるそうです。いやね。今夜は、星の光なんか吹っとばされたように月の光が皓々です。荒っぽい空ね。大家さんへお中元をあげるのに買物に出かけたら途中で又うちへ来る女の人に出会って。そのひとは風に帽子を吹きさらわれかかって、少なからずあわてました。こんな天候が不穏なのに、山へゆくためのリュックを背負って、シュロ繩や懐中電燈リュックの外へ吊って、余り科学的でない顔つきの若者が何人も省線にのっていました。あぶない気がしてしまいました。山はこわいものですもの。リュックの外へ地図をくくりつけたような男が、シュロ繩なんかもってどこをよじのぼるかと心配ですね。山でもう何人かが死んで居ります、今夏、既に。
冨美子は八月五日ごろ上京するそうです。二十日ごろまでいるでしょう。学校からの旅行が廃止になりましたから、今度はさぞさぞよろこんで居るでしょう。多賀子と二人で遊べばいいわ。何だかまとまりのない手紙になりましたがこれで。
七月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十七日
こんな紙をおめにかけます。小さい字がふつり合いですね。毛筆でペンででも大きくサラサラとかくべき模様ね。どこで書いているとお思いになりますか。テーブルの上よ。黄色とグリーンの縞のオイル・クローズのかかった。――林町。珍しいでしょう。
けさ、九段、そちらとまわり、お昼になったので林町で食事して上野へゆくためによりました。そしたら、六月十三日の母の命日にも何にもしなかったし、夏の休みにみんなあっちこっちへ行ってしまうので、きょう一日しかひまがないから青山の墓詣りをするという話なので、図書館は明日として一緒に出かけることにしました。それでここで此をかいているわけ。
又ひどい風になりましたね。汗のところへ埃がついて閉口。今このテーブルに八月号の『婦人公論』があって、(自分も書いている分)あけて見たらアラン・ポオのアナベル・リイの美しい詩が日夏の訳でのせられています。アナベル・リイという愛する女の名が、第二節の終りにリフレインとなっていて、情緒も幽婉ですが、日夏さんはこれを、謡曲みたいに「かの帝御羽衣の天人だも」というような用語で訳して居られて、大変重いものになってしまっています。この号に、露伴の肖像もあり、面白い。この白髭の丸形のお爺さんは白い襟をちょい出して、黒い着物で、大きい四角い和本箱が二重に鴨居より高くつみかさねてある座敷にペシャンコな座布団しいて、片手をすこし遠くはなして漢文をよんでいるところを映されています。この爺さんの短い蒙古史のエピソードを戯曲化したものをこの間よんで、この老人のなかにある麗わしい心情と、現実判断の標準の常識性とのために、小説をかかなくなった心的機微を感じましたが、この写真みるといよいよそうです、芸術家が変に玲瓏となるのは考えものね。
今泰子がこのテーブルの端にだっこされて来てお乳をのんでいます、いろいろのことで発育がおくれていてああちゃん大心痛です。可愛いようなすこし気味わるいようなところがあって。
太郎は幼稚園をやめてしまいました。どういうわけか分らず。書生君は大したてこずりもので、近日中保証人のところへあずけるのだそうです。そうしないと安心して、国府津へもゆけないからだそうです。国府津では今年咲枝も海水を浴びるつもりだそうです。「だそうです」つづきで可笑しいこと。
今夜、うちの手伝のひとがやっと参ります。これは吉報でしょう。岩手のお医者さんの妹で友達の紹介です。ユリのお人となりにふれることが何よりの修養とお兄さんが云ってよこしているので私は恐縮です。こまるわねえ。そして大笑いね。特別の人ではないのにね。多賀ちゃんは十一月頃受験して年内にかえるつもりのようです。それがようございましょう。
きのう所得税のための決定が申告どおり来ました。去年四月―本年四月迄。私のような職業は百円について七円五十銭です。七百円の収入とすれば、五十二円五十銭です。それが四期、分納。十三円十二銭五厘。これが一度。六十何円の収入からそれだけ払うのも大変なわけですね。七百円は最低です。新税法の。来年は当然多くなり、しかし其を払う当時の収入は如何にや、と申す次第。涼しくもない世帯じみたお喋りで御免なさい、でも一寸面白いでしょう?
七月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十八日 第四十七信? 八かしら。
今夕刻の六時です。けさあれからずっと上野に来て。ここはこんなにひろくて風が通っているのにこんなに手がねとつくところを見ると、又きょうも三十三度でしょうか。
十七日朝というお手紙が珍しくけさついて、その返事もここでかきます。
その前にね、何だか気になることがあるの。あなたは「過渡時代の道標」のとき、ここで下拵えなすったとき『新潮』の昭和二年というのなどをずっとおよみになりましたか? 論文の見出しのところ(目次)へ万年筆でカギをかけたりなすったことがありましたろうか、そんなことはなさらなかった?
線とか棒とかにやっぱり癖はあるものと思うのです、気になるというのは、二年のどこかに私の日記で「狐の姐さん」という題のがあって、それにも例外にカギがかかっているの、そして、七十二頁というところがボヤケているのを七とインクでかいてあるの。
そんなこと気にするのはあなたにとって全く片腹お痛いことでしょうか、もしそうだったら御免なさい。でもね。七という字にも、と(字の頭のひっかかる筆づかいに)見覚えがあるように思うの。これも妄念の一種なりや。もしそうならば夏なお寒いような工合ですね。どうぞあしからず。
あなたも、目録室を出て右へ行って、一寸段々のぼったところでおよみになりましたか、一寸遠目には暑そうなところですね。そして、やはり目録室の正面に、高間惣七のねぼけたような花園の大きい油絵がかかって居りましたか?
やっと今、あらましの小説をよんだところです。発表年月が、はっきりしなくてどうも見つからないのもあります。
「顔」「伊太利亜の古陶」「心の河」「小村淡彩」「氷蔵の二階」「街」をよみ、「高台寺」「白い蚊帳」が見当りません。
「顔」その他、勿論今日から見ればいろいろ申すべきところありますが、作品としてつかえます。「街」はやめます。あの頃フィリッポフという白系露人の知人がいて、その生活をかいているのですが、こういうものになると、今日の読者が面白さを見出すとしても、作者はそれで満足しないものがあって、出すのはいやです。全集ならばともかく。ですからもしまだよめないのがなくても、「街」をのぞく五篇であと新しいもの一つなり加えれば一冊の本になりますし、又これで面白いと思います。題材のいろんな風なのも面白いし一寸したアイロニーもあってね。集めておいた方が確にようございます。「白い蚊帳」というのは昭二年の『改造』ですが、ここに二年の『改造』が今ないのです。出ているのかもしれないけれど。間をおいてもう一度来て見ましょう。この本の題は、もし「白い蚊帳」がつかえたらそれもいいでしょう? そういう題で出る筈でしたから。或は、新しい一作の題を、もうすこしましにしてつけてもいいわね。
ところで、今急にあわてた心持になって居ります。毎週木曜日に『朝日』家庭欄に短い週評をかいていて、きょうその木曜でしょう? すっかりポッと忘れていて、今、あら、と思い出してびっくりした次第です。きょうは忘れるわ、それは忘れるわ。忘れられないから週評は忘れてしまうのが当り前です。
それから、ブック・レビューのことについては確にそう思います。又、女のひとのための雑誌に書くのは、通俗教育家とはちがうという点でこそスペースがあるので、そこが又いつそのスペースがなくなるかもしれないところで、極めて微妙です。女史型言説をなしては居りませんから、その点は御安心下さい。すこし勉強して、そして、女の今日のいろんなことを社会的な生活向上の面から見て、批判的にかくという人はこの頃全くすくないのよ。ですから私でもかくことになり、小さいものにしろ、私は所謂雑文は書きませんから(本質的に)それは大丈夫です、念のために一言。
隆二さんから稲ちゃんのこと心配した手紙が来ました。この頃どんなに仕事しているかと。わきから励してやれと。なかなかむずかしいことであるし、むずかしいものね。友人が「この頃はこういうものをかくようになったこと感慨無量です」と云ってよこした由。「素足の娘」のことでしょう。これについてはいろいろ考えますけれど、隆二さんのいうようなわけにもゆきません。作家の生涯の道は全くこわいジグザグね。その間に或る方向の一貫性をもって、いくらかでも目ざす方へ動いていればよし、としなければならないようなところもあり。「心の河」なんかよみかえし沁々とそう思います。
そして、この一貫性は、きょうのお手紙に云われているとおり、作家としての内的な必然性に忠実であるより外にはないのだから、大したものです。
これで、図書館一寸やめ。写す人をさがしてそれにたのみ、自分は当分家で書きます。そしてね、あなたはもしかしたら、いつでも午後二時すぎにしかこの丸いものを御覧になれなくなるかもしれません。うちは午後大したあつさなの、二階が。午後は全く頭がゆだります。ですから午前に一日分の仕事したいのです。そして、ひるをたべて、そちらへ行って、かえって、夕飯前一休みして、夜又いくらか生気を戻す。そういう時間割にしたいと考えて居ります。勝手ですけれど。一番暑いときでなく[#「なく」に「ママ」の注記]て御免なさい。一番でも十時でなければかえれず、落付くのは午後となって、それではどうも工合わるうございますから。
さア、きょうは、あつくて、くたびれて、脚がはれているけれど、心の中でたのしい心持のふき井戸の溢れる音をききながらいそいそとして家へかえります。朝の眼のなかによろこびがあるという、リフレインのついた小さなうたがきこえています。あの眼のなかに生きているよろこび、よろこびの可愛さ。あこがれのいとしさ。いとしいあこがれも信頼の籠に盛られれば、それは朝々にもぎたての果物のよう。そういうソネットを、ゲーテが書いたって? うそでしょう。そんな痛みのように新鮮な献身へのあこがれを、ゲーテが知るものですか。天才の半面の俗物という批評を、そういう詩趣を解さなかった生活に帰し得るのですもの。
刺繍の模様は一輪の花でした。[#図4、花の絵]こんな花弁の。一つの花の花びらですから、どの一|片《ひら》もむしることは出来
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