えば、「友人」だからと云って妻のある男が妻の知らない女を遊ぶ対手にするなんということは、それは友情というべきものでないという理解、それは、友達であるならその友達の配偶への態度に自然な限界があるべきという私の書いたものの中に云われていると思います。そういう点での友情[#「友情」に傍点]と称するもののいかがわしさを、私はちっとも許す気をもっていません。ですから「人間関係の豊富さ」ということにかりて、そういう妙なルーズさを肯定しようとする友情[#「友情」に傍点]に、私は常に反対なのよ。遊戯的或は擬似的な接触としての友情なんて、そういう表現をえ[#「え」に傍点]てつかいたがる連中の頽廃でしかありません。そして、その所謂友達[#「友達」に傍点]のあいまいな性質、妻を不幸にする存在について私は沢山見本を見ていると思います。それが逆に良人を不幸にする場合だって、例えば「海流」の中にその片鱗を示していると思います。
 すべての同僚感即ち友情ではないというのは本当ね。実に本当よ。そして、これは、歴史的推移の甚しいときには、何と具体的に痛感されることでしょう。
 その点につき、私はこの頃、いろいろな人のい
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