そう思います。同じ話でも話し手によるというはっきりした一つの実例ね。今私が同じような物語を誰からされたとしたって、そんな物語の非文学性虚構を感じずにはいられず、大方耳もかさないでしょうから。そして、それは自然で正当なのだから。そのように非文学性を見わけられるように何故なっているかと云えば、やはり単純素朴な正直だというのは何と面白いことでしょう。ねえ。いろいろな場合、一生懸命倒れと私がいうときは大体、誠意は十分なのだけれども、それを表現してゆくにふさわしい方法やその方法の一般性に負けて自身のものを見きわめることの出来ないような場合、主として自分の一生懸命倒れを感じるのです。ほら、あなたもよく注意して下さるでしょう、或る種の作品が未完成でしかあり得ないというような先入観を持つことは間違っている、と。あれね、あれも一種の一生懸命倒れよ。この頃そう気付きます。私は小説をかくときは一番ぴったりしたテーマでしかかけないようで、そのために妙に自分で自分の足の先にせきをつくりつつ進行するような意識の塞《せき》があって、これはフロイド的現象なのね。これは非常に有害です。小説における私の神経衰弱をひき出し
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