身のうちにあるニヒリスティックなものをただかこうとしたという作品ですが、女主人公レンは支那のひとと日本の女との間に生れているの。何とかしないではという心を、日本の心、ニヒルなものを支那の血の流れというようにみているところがあって、私には、気になるところです。魯迅の小説が描いた男はニヒルでした。けれども、今日そういう性格の象徴としてはつかえないと思うの。それにたえぬものがあるのが所謂作家でない作家の感情の健全さではないかと思うの。そのことについて作者はこだわらず、いい対象をつかんだと思っているようです。ニヒルなものと闘うというプラスが、題材をそうつかむところにあるマイナス風なものと分離されて出ている。腐蝕作用はこんな風にも出るのですね、柱の裏側を喰うのね。表側は柱だわ、ちゃんと通用する。作品批評は、今日そこまでを触れないのが通念となっています。
 島田のこと。四熊さんは学者の家ですって? だからうちに学問をするものがいるということは心持よいことでもあるのです。いろんな雑誌へ名が出るのはわるくないところがあるのです。しかし自主の標準のないのは当然ですから、人のいう一言二言でいろいろに動かさ
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