あきらかに在って、この筆者は私たちのぐるりのような荊妻豚児的家庭の感情ももっていないし、公のことと私のこととを妙に区別した一昔前の新しさもなくて、何と全統一の感じがあるでしょう。この感動は、私が自分で見ききしていた時分には、まだ社会感情として一般にここまで来ていなかったということと思い合わせて一層深うございます。よろこびとは何と合理的で透明でしょう、私たちは何とそういうよろこびをよろこばんと希うでしょう、ねえ。この感動で屡※[#二の字点、1−2−22]涙をこぼしました。人間のよろこびは、何と大きくひろく動くものとしてあり得るでしょう。そして、ある挨拶をおくる言葉を、心からあなたにもあげたいと思って。この本のなかにはどっさりの忘られぬ響があります、ね、そうだったでしょう?
 今年のお正月は、こういう本ではじまって幸先よしの感じです。私はこの本とサンクチュペリの「夜間飛行」と何か日本の飛行をかいた本とくらべて何かにかいて見たいと思います。文学としてね。
 きょうはどっさり勉強しなければなりません。もううちの正月は終りです。夜は栄さんが仕上げた小説をもって来るでしょうし。
 二十八日のがきょ
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