いうところもあるけれども、その面白さで彼は小説家でないことが語られているような工合です。
 鴎外の「阿部一族」は雄大複雑な歴史小説で封建のあらゆる枠は枠なりに肯定したところで、その中での性格相剋の悲劇、君臣の臣の負担となるその結末、情誼が、人の生かしかた、生きかた、死しかた、死なされかたなどのうちに表現されなければならなかった姿を、武家気質の範疇での感情行為の必然にしたがってよく描いています。
 しかし鴎外は、この時代の枠へ人間の心をこすりつけてはいないのよ。こすりつけられた人間の魂の熱さと重さとで枠がゆすぶれるものとは見ていません、その点彼の現実の順応性が実によく出ている。
 このことは逆に「高瀬舟」で、白河楽翁時代の江戸の一窮民の遠島されるときの物語にある財産の観念及ユウタナジイの問題を、鴎外がいきなり一般人間性という自分の主観からとりあげているところにもあらわれていると思います。一窮民と扶持《ふち》もちとでは同じ時代に於て財産の観念は巨大にちがいますし、ユウタナジイのことにしろ、武家のモラルは楽に死なせてやる武士の情というものを承認しているのだから、庶民の男が罪せられたのとはちが
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